多くの宗教人が現在も活動されているので、真剣に国の未来を心配して神に深刻な祈りを捧げている方はいらっしゃるでしょう。しかし、その声は埋もれたままで、外には出てきていません。ほとんどの人は、日本の未来に不安・危機感を抱いていても、庶民にとってはどうしようもないから心配しても仕方ないと思っておられることでしょう。また、心配は政治や社会には向かっても、神に向かおうとはしないようです。
国の守護、救いを神に祈り求めるという姿は表面には現れてきていません。神に救いを求めるということは前近代的な姿であって、今の科学時代にあっては単なる迷信にすぎないと思っておられるのでしょう。政治と社会の問題なので、そちらが問題であるとほとんどの人が思っておられるはずです。
では、今の政治と社会を見て、人間に現代の問題、国の課題を解決することができるでしょうか。怪しい限りです。
実は、日本の歴史を振り返って、国が危機の時に神に救いを求めようとしない初めてのときなのです。
日本の歴史を振り返ると、いつも鎮護国家ということが重視されました。
東大寺の大仏建立は、聖武天皇の時代天変地異や騒乱が相次いだので、鎮護国家の中心として造立されました。869年貞観地震があった年、この年は多くの災害があり、清和天皇も困り果てて、伊勢神宮に奉幣して、「天照大神が神護しておられる日本の国は、神明の国なので、日本の国と天皇を護ってください」と祈っています。鎌倉時代、蒙古襲来の時には日蓮が「立正安国論」を書いて、鎌倉幕府をいさめます。また、後深草上皇、亀山上皇は石清水八幡宮に行幸し、また伊勢神宮に勅使を遣わすなどして異国調伏(内外の悪を打破する。特に怨敵・魔物を降伏すること)を祈願しています。明治維新の前後にあっては、霊界から外国から悪魔が襲ってくると警告が再三なされています。日露戦争の時も国難として各地で神仏への祈願が行われています。未曾有の危機でもあった昭和の軍国主義下では、戦意高揚の際にさかんに「神国日本」と宣伝されました。
しかし、現在神仏への祈願は見られません。それどころか、神への供え物を騙されたから返せという恐ろしいことが起きています。神を怖れ敬愛したのとは正反対に、神を軽んじ否定する人々が跋扈しています。どんな禍が起こるかわかりません。国が亡びるということが現実になろうとしているのです。
日本という国がどんな使命を託されているか、大本教に降りた啓示を引用しましょう。出口王仁三郎が再構成してまとめた「初発の神諭」(明治25年旧正月・・・日)には、次のように記されています。
「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世に成たぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構はな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかにされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。三千世界の大洗濯・大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。是が違ふたら、神は此の世に居らんぞよ。天理・金光・黒住・妙霊先走り、とどめに艮(うしとら)の金神が現はれて、世の立替をいたすぞよ。・・・」
このような啓示が日本に降りています。それから100年、日本人は獣の世になってずいぶん尻の屁まで抜かれたようです。
キリスト教を迫害したローマ帝国でさえ、ローマの神々を信仰しローマ建国800年祭まで行っています。その過程で、ローマの神を拝まないキリスト教徒を「けしからん」といって迫害したのです。
303年キリスト教最後にして最大の迫害であるディオクレティアヌス帝の迫害は、共治帝ガレリウスが首謀者でした。しかしキリスト教徒は、迫害にもかかわらず信仰を捨てないため、ガレリウスは、ついに311年病の床から迫害中止の勅令を出すのです。その勅令には、「キリスト教徒は、父祖伝来の神々をすてたけしからん奴ではあるが、迫害の結果、かれらは自分たちの神をも拝さなくなってしまった。だから事態は前よりも悪くなってしまった。こういう神なき人間が増えてはたいへんだから、かれらに、かれらの祭祀を返却しよう。キリスト教徒は、自分たちの神を拝し、国家の安全と皇帝の健康のために祈れ」と、訳の分からない勅令を出したのです。
神を捨てると、事態はさらに悪くなるのです。神への帰依を取り戻しましょう。それなくして日本の再興は実現できません。神は生きて働いています。すべての宗教人、神を愛する人々に告げます。日本の鎮護と世界平和を取り戻すために「すべての宗教人による救国救世大法会」を提起・提唱したいと思います。