2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

本居宣長の「もののあはれ」考(3) 「情」の本質と善悪

(1)「情」 移ろいゆくその姿 宣長は、「情」というものが曖昧で不安定な動きをすることを知っていた。それは、「とやかくやと、くだくだしく、めめしく、みだれあひて、さだまりがたく」、けっして「一かたに、つきづきなる物にあらず」と知ってはいた。…

本居宣長の「もののあはれ」考(2) 「情」の根幹を探して

「情」という字は、「じょう」と読むだけでなく、「なさけ」とか「こころ」と呼ばれてきた。この字に込めた日本人の思いには、特別な思いがあるように感じる。歴史を振り返ると、漢字は中国から日本に伝えられてきたものである。宣長が、「大御国にもと文字…

本居宣長の禍津日神論(宣長は、悪神《悪魔》と出会っていた)

「さて世間にあらゆる凶悪事邪曲事(あしきことよこしまなること)などは、みな元は此ノ禍津日(まがつび)ノ神の御霊より起るなり(『古事記伝六』) 「禍津日(まがつび)ノ神」と名づけられた悪神は、悪霊を意味しているのではない。もっと根源的霊的存在…

本居宣長の「神」の観念《人も悪霊も怪しきものもみな神である》

現代日本人の「八百万の神観」に大きな影響を与えているのが、本居宣長の「古事記伝」で語られている有名な「迦微(かみ)」とはという言葉である。「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を…

本居宣長の「もののあはれ」考 (1)小林秀雄と「もののあはれ」

(1)もののあはれと源氏物語 小林秀雄氏は、「折口信夫氏は、お別れしようとした時、不意に、『小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら』と言はれた」と、「本居宣長」の序に書いてゐる。 宣長は、「源氏」を語ろうとする努力と、同じ…