2013-01-01から1年間の記事一覧

厄年と厄払い(人生の転換期)

厄年を単なる迷信として片付けられないのは、その年の前後に多くの人が転換期を迎え、その年を境に没落・失脚あるいは脚光を浴びていくケースが数多くあるからである。へたをすると、病にかかるなどこの世を去る運命にもなる。厄年とは、何なのであろうか。…

日本の風習「人が何故神として祀られるのか?」

外国人が首をかしげ理解に苦しむ日本の風習、[人間が何故神様になるのか?]、西洋では立派な信仰者が聖人として敬われることはあっても、神様としてではない。外国人にとって、人間が神様になるということがとても不思議なことのようである。立派な信仰者がそ…

日本は八百万の神々の国ではない(1)吉田神道の天下と失墜

日本は八百万の神々の国であると誰もが思っているが、雑多な神々の国ではない。少なくとも神道関係者の間では、秩序付けようとする試みが行われてきた。儒教の天、道教の太極、仏教の大日如来という宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という概念の影響を受…

「金神七殺」方位の吉凶ー恵方祭祀と艮の金神

節分に食べる恵方巻きはずいぶん有名になったものである。恵方祭祀とは、家の中で「恵方」とされる方角に棚を作り、歳徳神を祀る習俗である。この習俗が強まったのは、鎌倉時代後期とされている。 歳徳神は、牛頭天王(ごずてんおう)の八王子の筆頭、薬師如…

日本人の死生観(産育と葬送の類似性)

日本人の葬送儀礼は、産育つまり出産と育児の儀礼とよく似ている。このことを指摘されたのが、国立歴史民俗博物館教授 新谷尚紀氏である。産飯と枕飯、産湯と湯灌、産着と死装束、名付けと戒名、誕生餅と四十九餅など対応する儀礼が多い。日取りも三日、七日…

ローマ法王とカトリック首長の相次ぐ破格の言動の意味は?

カトリック教会系メディアのゼニスは2013年8月21日、600年ぶりに任期途中で退位した前ローマ法王ベネディクト16世(86)が、「神秘的な体験」をしたと「神のお告げ」を受けて退位を決断したと報じた。そして、後を引き継いだフランシスコ法王…

煩悩の背後に悪魔は実在する。そしてこの世を支配している。

ほとんどの現代人は、聖書や仏典の中にあらわれる悪魔は、比喩にすぎないと思っていませんか。人間の内面の心理的葛藤を表わしたものにすぎないと。私たちの心の中には、悪への誘惑に駆られる心とそれに打ち勝とうとする力があって葛藤をしている。煩悩があ…

因縁の考え方は、西洋にもある。「ジェノグラム」とは何か?

家族再興-ジェノグラムを知っていますか(因縁の考え方は、西洋にもある)? 「因果応報」、「厄年」、「先祖の因果が子に報う」という言葉は、仏教の広まった民族ではあたりまえのように信じられてきた。最近は、科学的思考がひろまって迷信のように思って…

都合よく改ざんされた末法時代の始まり

末法思想とは、釈尊の教えが時間とともにだんだんに歪められていくという思想である。釈尊の説かれた教えは、釈尊が入滅されてから500年間は正しく伝わる。したがって、仏滅後500年間は「正法時代」である。しかしその後、501年目からは形だけが伝わっていく…

出口王仁三郎のエピソード

余談になるが、出口王仁三郎のエピソードを紹介する。大本教の信者にはあたりまえであると思うが、いかに王仁三郎師が常人を超えた人間世界を見通していたかを垣間見せるものなのでいくつか紹介してみる。 ○戦争に徴兵されて外地に出征する人に「鉄砲は空向…

出口王仁三郎と理想世界、世界平和ー3

4、昭和神聖会の設立 昭和7(1932)年11月、大本は再び「皇道大本」と復名し、第一次大本事件で頓挫した「大正維新」を「昭和維新」として実行しようとしていた。王仁三郎は、頭山満・内田良平ら右翼人士との交流を行い、1934年(昭和9年)7月22日に昭和神…

出口王仁三郎と理想世界、世界平和ー2

3、入蒙「満蒙に精神的理想郷建設」 王仁三郎は、第一次大本事件以後、突如満蒙にはいっていく。大正13年2月13日深夜、王仁三郎は松村真澄、植草盛平(合気道の開祖)ら3名をともなって密かに綾部を出発し大陸に渡り、ダライ・ラマと称して蒙古に入った。…

出口王仁三郎と理想世界、世界平和ー1

太平洋戦争敗北の時、満州に開拓に行っていた日本人は、命からがら本土に帰国した人がほとんどであった。大変苛酷な経験をされた。また、満州に日本人が入植して以来、中国人との関係は良くなかったとも聞いている。そんな中で、日本敗戦の時多くの中国人が…

仏陀は、悟りを得た後も最高の真理を求め続ける。そして、悟りを得た後も魔の誘惑は続く。

『盲目のアヌルッダは、自分で裁縫をするとき、針に糸を通すことができない。そこでいつも誰かに助けてもらっていた。ある時、「お願いしたい」と声を出した時、「では、わたしが功徳を積ませていただこう」と、釈尊がアヌルッダの手から針と糸をとられた。…