2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

中世浄土往生ブームの中での法然の宗教的戦い

日本中世は、仏法末法の時代である。その時代、浄土往生を願う浄土信仰が一世を風靡した。聖地霊場の参詣と納骨が熱心に行われた。浄土往生を達成するためには、仏が垂迹した霊場を訪れることが不可欠とされた。このような風潮の中で、法然は「浄土宗」を立…

平和の教え「仏教」ー法句経より

紀元前259年、即位したアショーカ王は、インド東南岸のカリンガ国への征服戦争を起こして圧倒的な勝利をした。しかし、戦争の勝利の裏に悲惨な結果があった。カリンガ国の兵士15万人が捕虜になり奴隷となった。捕虜となった10万人はその場で殺された。この他…

死と墓の表象(日本とヨーロッパの比較)フィリップ・アリエスの研究を通して

ラテン・ヨーロッパを舞台として紀元前後から現代まで2000年にわたる死の表象を研究したフィリップ・アリエスの仕事(主著「死を前にした人間」みすず書房1990、「図説 死の文化史」日本エディタースクール出版部1990)は、ヨーロッパにおける死者の観念と墓…

日本の墓の変遷と霊魂観(2)

(4)近世ー檀家制度と墓参慣習 15世紀から17世紀にかけて、日本列島では遺体・遺骨に対する見方は再度大きく転換する。永続的に受け継がれるイエ(家)の制度と観念が庶民層まで広がり、それを背景として個人の墓・家の墓地が広く一般化していく。今日にま…

日本の墓の変遷と霊魂観(1)

東北大学大学院教授の佐藤弘夫氏が日本人の墓の変遷についてまとめられている。墓がどのように変遷を遂げてきたか、それを知ることは未来にも通じるはずである。現代の日本人は、通常遺影を家に飾り、立体化した墓地に家の墓を作り遺骨を埋葬している。また…

諸神混合と神仏習合の姿ー背後にある日本人の信仰

『日本の神と信仰は、極めて開放的である。神は仏を排除しない。神は、仏法を悦び給うとする信仰は、やがて仏法が優位になるにつれ、神も衆生の一つとされるようになり、仏法を守る護法善神としての意味づけが強まる。神階を神に贈る現象は、そうした状況の…

正月行事と盆行事(仏教と神道の分担)

正月とは、年神あるいは歳徳神と呼ばれる神を各自の家に迎え入れてこれを祀る行事である。年神・歳徳神は各自の家のご先祖様の集合霊で、ご先祖様が各自の家に戻って来られ、家族がみんなそろって年神と一緒に食事をするー神人共食ーのが正月行事である。正…

稲荷信仰とは何か?そして狐は何を意味するのか?

稲荷信仰は、朝鮮半島でも中国でも目にすることはない。ただ、満州から華北ににかけて農家の片隅に祠を設けて胡仙(狐神)を祀る信仰があるという。稲荷信仰とは、何なのであろうか。日本で最も多いといわれているのが稲荷神社である。 ●伏見稲荷の縁起(由…