住みにくいコミュニティ-と住みやすいコミュニティ-

 人間が家族の次に生活していくうえで触れるのが近隣のコミュニティです。コミュニティには、隣近所の自然なものから始まって、地域の昔からの慣習となっている組織、学校などの生活上の必要から生じる組織、そしてその上に行政上の組織(市町村)などがあります。コミュニティ組織は、人が共同して生活するうえでの秩序を保つために規則を強いてきます。規則は、共同生活をしていくうえでの規範を教えるだけでなく、他人との豊かな人間関係を築く礎でもある為、人間の成長にとって大きな意味を持っています。人間の成長にとって結びつきのあるコミュニティという環境は、道徳性の発達にとって欠くことのできない重要なものでもあります。社会の健全な生活は、成員の間に自然発生的に生まれる組織により多く依存しているのです。人間が生き生きと誇りを持って生活できる環境を築くものでもあります。

 しかし規制は生活していくうえで不可欠なものですが、ともすれば煩わしいものになりがちです。規制が強いと息苦しさを感じてしまいます。公式な法的、政治的規制、古くからの慣習は、一方的に規制されるため戸惑いがちになります。日本の場合、ほかの地域から移住していった場合、なかなか溶け込むことが難しいことが多々あります。理由のわからない決まりや地元の人との価値観のずれから生じています。

住みやすい共同体と住みにくい共同体を比較してみました。

 

《住みにくいコミュニティ-》

ピラミッド型の統制社会

  • 共同体(全体)の利益を強制的に優先させる。
  • 指導者の個人的考えに左右される。
  • 個人の自由が結果として束縛される。
  • 命令的、上意下達、服従、規則的、義務的
  • 規則で縛り罪で罰する。
  • 今までの共同体及び共産主義社会の共同体は、この形態である。
  • 形式的で型苦しい空気が支配する。

 

《住みやすいコミュニティ-》

アメバー型の自立・融和社会

  • 共同体(全体)の利益は、理念のもとに運営される。
  • 多くの場合、神をいただき、神に判断を委ねるという形態をとる。
  • 民主的で平等、自主的、自発的、利他的
  • 愛で許し人を感化する。
  • 多くの宗教団体が建設している理想郷はこの姿に近い。
  • やすらかな愛・融和の世界が支配する。

 

 共同体が住みやすいものとなるか否かの違いは共同体の主権にあるのです。重要なことは、唯一絶対不変の神を頂き共にあろうとする精神です。そこが欠けると、人が支配して人の意識が分裂して対立して住みにくくなるのです。

 日本の村は、水利配分や水路・道路の修築、境界紛争・戦乱や盗賊からの自衛などを契機として地縁的な結合を強め、まず畿内・近畿周辺において、耕地から住居が分離して住宅同士が集合する村落が次第に形成されていきました。村の内部は、平等意識と連帯意識により結合していました。村の結合は、村の神社での各種行事(年中行事や無尽講・頼母子講など)を取り仕切る宮座を中核としていました。村で問題や決定すべき事項が生じたときは、惣村の構成員が出席する寄合(よりあい)という会議を開いて、独自の決定を行っていきました。

 民族学者の五来 重氏は、「日本の村は、二十五三昧会*1の結成により血縁社会から一種の信仰集団に変わっていった。村は、信仰的なつながりをもって運命共同体になった。ですから、日本の村落には多数決はありません。必ず全員で決め、一人でも反対があったら否決だという慣習ができています。(五来 重著「先祖供養と墓」角川書店1992 p140)」

 もう一度日本の村の原点に立ち返って、コミュニティのあり方を考え直す必要があるのではないでしょうか。神の祝福を受けた共同体は、住みやすく生き生きとして繁栄していくものです。今後、それぞれのコミュニティが神を頂く地域憲章を制定して神の祝福と共に生きる道を探すことが大切になると思います。

 

(*1)二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)とは、平安時代に結成された念仏結社。986年(寛和2年)に比叡山内横川にあった首楞厳院で、25人の僧が結集して結成された念仏結社である。この結社の性格は、極楽往生を希求する念仏結社であり、月の15日ごとに僧衆25名が集結して念仏を誦し、極楽往生を願った。彼等の「発願文」に、善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏することを記していた。