浄土信仰と本地垂迹説(神への菩薩の授与)

1052年末法の時代の始まりに仏教は衆生の救済に入る。(この年についてはブログ「都合よく改ざんされた末法時代」を参照してください。)日本において仏教が急速に広がり定着するのは、衆生に対して仏の慈悲を説いてからである。仏教が日本人の中に浸透して…

秋山真之海軍少将の見た霊夢

秋山真之といってもピンと来ない人でも、日露戦争の日本海海戦のT字戦法を編み出したあの参謀、あるいは『本日天気晴朗なれども浪高し』というあの有名な電報を作った人といえば、ああっと思い出すと思う。日本が生んだ天才戦略家である。その秋山が自分が見…

祈りと祈りの力、そして意識連鎖

スポーツの試合で、多くの選手が「応援が力になりました」と応援している人に感謝している場面をよく見かける。また、私たちはスポーツの試合で真剣に応援することにより試合に疑似参加して楽しみ満足感を得る。また試合の雰囲気を盛り上げることにより、試…

いい人ほど苦労するのは、なぜ?

Yahoo知恵袋にこんな質問と回答があった。 「どうして人は、苦労して幸せになれない人と、苦労しないで幸せになる人にわかれるのですか?」 「苦労しているのに幸せになれないということは確実にその人はとてもいい人です。いい人は他人を幸せにするために苦…

宗教経済(神社・寺の宗教ビジネス今昔物語)

「お金で救われるはずがない」と宗教否定論者は語る。しかし、お釈迦様の衆生救済の出発がお布施であったといわれるように、布施・浄財は神仏との縁をもつ最初のきっかけ、信仰の出発点である。布施・浄財による功徳・救済の実感は、宗教成立の原点であり発…

日本のジャズ「六斎念仏と仏教音楽」

「空也が始め、一遍が広めたとされる念仏踊り、音楽がなければ仏教は大衆のものとはなりえなかった。親鸞もまた音楽僧として出発したという。10世紀末には、「看取りと弔いの互助組織」といえる念仏結社(念仏講)が貴族社会に成立していた(高橋繁行)」。 …

悪魔の実在と攻撃の目的

悪魔の実在については、このブログでも「煩悩の背後に悪魔は実在する。そしてこの世を支配している」と題して記述し、人間が苦悩する執拗な善悪の闘いには敵対する実体があることを指摘しました。私たちが心の中にある罪を自覚しても、心の闘い、魂の闘いが…

仏教世界と弥勒菩薩

仏教が救済理念に基づいて構築した世界像は三界として表出されている。これは無色界、色界、欲界の三層からなる。最高位の無色界は四つの無色天から構成され、その最上位に非想非非想処天、いわゆる有頂天が位置する。次の食欲と性欲から解放された色界は四…

宗教と信仰ー出口日出麿氏とともに(3)私という存在は、歴史の結実体である。

「人民からみれば苦労人に見えるなれど、此の世の苦労と申すのは、前の世からの因縁によって、世界に外に無い苦労せんならぬ因縁の身魂であるぞよ。それと申すのは、昔、稚日女君命の折に天の規則を破り、重き罪を負ひ、それでなおの罪は肉体の重量よりも罪…

弥勒信仰の発生と起源

弥勒信仰の発生と起源について、宮田登氏と安永寿延氏の論文をもとにまとめてみた。 アジア世界で発展した弥勒信仰は、未来仏マイトレーヤ(弥勒)を軸とするメシアニズムである。釈尊入滅後56億7千万年ののちに、弥勒菩薩が兜率天からこの世に下生して竜華…

宗教と信仰ー出口日出麿氏とともに(2)神と人間は親子である

人間は、神について古くから畏敬の念をもってきた。神は、人間をはるかに超えた超越した不気味な存在であり、いつ祟りをもたらすかわからない怖ろしい存在であった。篤く祀らないと何が起こるかわからず、人間は供え物をして神にとりなしと許しを請うことを…

宗教と信仰ー出口日出麿氏とともに(1)宗教本来の目的は、地上天国の建設にある。

宗教と信仰ということについて、出口日出麿氏が簡単明瞭に語られている。その言葉に込められているなかに真理が明確に示されている。氏の語られている言葉をたどりながら、宗教と信仰について何回かにわたって語っていこうと思う。 出口日出麿氏は岡山県生ま…

古代、仏教が大衆に期待された役割は、死者の鎮魂滅罪であった。

古代の神、先祖崇拝の神においては、神は人間を慈しむ存在ではなかった。祟りを引き起こす恐ろしい神であった。篤く祀らないと、何が起こるかわからない存在であった。亡くなった死者の霊魂も、危害を加えかねない恐ろしい存在だった。「モガリ」の風習は、…

中世浄土往生ブームの中での法然の宗教的戦い

日本中世は、仏法末法の時代である。その時代、浄土往生を願う浄土信仰が一世を風靡した。聖地霊場の参詣と納骨が熱心に行われた。浄土往生を達成するためには、仏が垂迹した霊場を訪れることが不可欠とされた。このような風潮の中で、法然は「浄土宗」を立…

平和の教え「仏教」ー法句経より

紀元前259年、即位したアショーカ王は、インド東南岸のカリンガ国への征服戦争を起こして圧倒的な勝利をした。しかし、戦争の勝利の裏に悲惨な結果があった。カリンガ国の兵士15万人が捕虜になり奴隷となった。捕虜となった10万人はその場で殺された。この他…

死と墓の表象(日本とヨーロッパの比較)フィリップ・アリエスの研究を通して

ラテン・ヨーロッパを舞台として紀元前後から現代まで2000年にわたる死の表象を研究したフィリップ・アリエスの仕事(主著「死を前にした人間」みすず書房1990、「図説 死の文化史」日本エディタースクール出版部1990)は、ヨーロッパにおける死者の観念と墓…

日本の墓の変遷と霊魂観(2)

(4)近世ー檀家制度と墓参慣習 15世紀から17世紀にかけて、日本列島では遺体・遺骨に対する見方は再度大きく転換する。永続的に受け継がれるイエ(家)の制度と観念が庶民層まで広がり、それを背景として個人の墓・家の墓地が広く一般化していく。今日にま…

日本の墓の変遷と霊魂観(1)

東北大学大学院教授の佐藤弘夫氏が日本人の墓の変遷についてまとめられている。墓がどのように変遷を遂げてきたか、それを知ることは未来にも通じるはずである。現代の日本人は、通常遺影を家に飾り、立体化した墓地に家の墓を作り遺骨を埋葬している。また…

諸神混合と神仏習合の姿ー背後にある日本人の信仰

『日本の神と信仰は、極めて開放的である。神は仏を排除しない。神は、仏法を悦び給うとする信仰は、やがて仏法が優位になるにつれ、神も衆生の一つとされるようになり、仏法を守る護法善神としての意味づけが強まる。神階を神に贈る現象は、そうした状況の…

正月行事と盆行事(仏教と神道の分担)

正月とは、年神あるいは歳徳神と呼ばれる神を各自の家に迎え入れてこれを祀る行事である。年神・歳徳神は各自の家のご先祖様の集合霊で、ご先祖様が各自の家に戻って来られ、家族がみんなそろって年神と一緒に食事をするー神人共食ーのが正月行事である。正…

稲荷信仰とは何か?そして狐は何を意味するのか?

稲荷信仰は、朝鮮半島でも中国でも目にすることはない。ただ、満州から華北ににかけて農家の片隅に祠を設けて胡仙(狐神)を祀る信仰があるという。稲荷信仰とは、何なのであろうか。日本で最も多いといわれているのが稲荷神社である。 ●伏見稲荷の縁起(由…

厄年と厄払い(人生の転換期)

厄年を単なる迷信として片付けられないのは、その年の前後に多くの人が転換期を迎え、その年を境に没落・失脚あるいは脚光を浴びていくケースが数多くあるからである。へたをすると、病にかかるなどこの世を去る運命にもなる。厄年とは、何なのであろうか。…

日本の風習「人が何故神として祀られるのか?」

外国人が首をかしげ理解に苦しむ日本の風習、[人間が何故神様になるのか?]、西洋では立派な信仰者が聖人として敬われることはあっても、神様としてではない。外国人にとって、人間が神様になるということがとても不思議なことのようである。立派な信仰者がそ…

日本は八百万の神々の国ではない(1)吉田神道の天下と失墜

日本は八百万の神々の国であると誰もが思っているが、雑多な神々の国ではない。少なくとも神道関係者の間では、秩序付けようとする試みが行われてきた。儒教の天、道教の太極、仏教の大日如来という宇宙の真ん中に位置する全知全能の神という概念の影響を受…

「金神七殺」方位の吉凶ー恵方祭祀と艮の金神

節分に食べる恵方巻きはずいぶん有名になったものである。恵方祭祀とは、家の中で「恵方」とされる方角に棚を作り、歳徳神を祀る習俗である。この習俗が強まったのは、鎌倉時代後期とされている。 歳徳神は、牛頭天王(ごずてんおう)の八王子の筆頭、薬師如…

日本人の死生観(産育と葬送の類似性)

日本人の葬送儀礼は、産育つまり出産と育児の儀礼とよく似ている。このことを指摘されたのが、国立歴史民俗博物館教授 新谷尚紀氏である。産飯と枕飯、産湯と湯灌、産着と死装束、名付けと戒名、誕生餅と四十九餅など対応する儀礼が多い。日取りも三日、七日…

ローマ法王とカトリック首長の相次ぐ破格の言動の意味は?

カトリック教会系メディアのゼニスは2013年8月21日、600年ぶりに任期途中で退位した前ローマ法王ベネディクト16世(86)が、「神秘的な体験」をしたと「神のお告げ」を受けて退位を決断したと報じた。そして、後を引き継いだフランシスコ法王…

煩悩の背後に悪魔は実在する。そしてこの世を支配している。

ほとんどの現代人は、聖書や仏典の中にあらわれる悪魔は、比喩にすぎないと思っていませんか。人間の内面の心理的葛藤を表わしたものにすぎないと。私たちの心の中には、悪への誘惑に駆られる心とそれに打ち勝とうとする力があって葛藤をしている。煩悩があ…

因縁の考え方は、西洋にもある。「ジェノグラム」とは何か?

家族再興-ジェノグラムを知っていますか(因縁の考え方は、西洋にもある)? 「因果応報」、「厄年」、「先祖の因果が子に報う」という言葉は、仏教の広まった民族ではあたりまえのように信じられてきた。最近は、科学的思考がひろまって迷信のように思って…

都合よく改ざんされた末法時代の始まり

末法思想とは、釈尊の教えが時間とともにだんだんに歪められていくという思想である。釈尊の説かれた教えは、釈尊が入滅されてから500年間は正しく伝わる。したがって、仏滅後500年間は「正法時代」である。しかしその後、501年目からは形だけが伝わっていく…