古代ユダヤ王国は、ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂して、北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方は文書に残されていないため、残りの2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。アッシリアに征服された後、信仰を深めるため、信仰を邪魔されない場所に移るとして、消息不明になったと言う預言もある(エズラ第4書13:39〜47)。
ユダ族等の残り2支族は、エルサレムを都として南ユダ王国を建国した後、紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされた。指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となったが、宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり、神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになる。ユダ族等は離散後、ユダヤ人と呼ばれるようになった。
エズラ書第4書(第2書とも呼ばれる)13:39〜では、「幻に現れたその群集は…九つの部族であった(写本によって、九部族/九部族半/十部族と異なる)。彼らは異教徒の群れを離れ、先祖がいまだかつて住んだことのない土地に行き、自国で守ることのできなかった規則をせめて守るようにとの計画を互いに持ち合って、さらに遠くの国へ向かった。……それはアルザレト(もうひとつの土地あるいは果ての地)という地方であった。彼らは最後までそこに住み…」とされている。(Wikipedia)
これが有名な失われたユダヤ民族、地球上の何処に行ったかわからないといわれるユダヤ民族の末裔のミステリーである。日本にも来ているという説がある。実は、米国のキリスト教の一宗派であるモルモン教は他のプロテスタント諸宗派と異なり、古代ユダヤ人の啓示を創唱の契機としている。モルモン教のウェブよりその概説を伝えてみる。
1820年の春,ジョセフは家の近くの森に入り,ひざまずいて祈りました。その経験を次のように記しています。 「わたしは自分の真上に,太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そして,その光の柱は次第に降りて来て,光はついにわたしに降り注いだ。…そして,その光がわたしの上にとどまったとき,わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると,そのうちの御一方がわたしに語りかけ,わたしの名を呼び,別の御方を指して,『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。」 ( ジョセフ・スミス―歴史1:8,10)
神に導かれて古代の記録を手に入れ,それを英語に翻訳する力を与えられました。この記録はモルモン書と呼ばれています。
ジョセフ・スミスは,預言者として召された後,ますます主に頼りました。彼は,自分の責任は自分自身の教えを広めることではなく,神から啓示された事柄を伝えることであると知っていました。教義と聖約となった内容のほとんどは,ジョセフ・スミスの祈りと問いに対する神の答えです。http://www.mormon.org/jpn/ジョセフ・スミス
1823年9月21日ジョセフ・スミス・ジュニアは、モロナイと名乗る神の使者に黄金の板の聖なる文書の存在を告げられ4年後18歳になった時に掘るようにいわれた。黄金の板は最初の預言者の家族の一人から預言者モルモンまで書き継がれ、死ぬ前にその子最後の預言者モロナイが西暦421年にクモラの丘にそれを隠してから、1827年にジョセフ・スミス・ジュニアが掘り起こすまで、ずっとその丘に埋められていた。1827年9月22日にジョセフ・スミス・ジュニアが古代の変体エジプト語で黄金の板に書かれたイエス・キリストについての聖書とは別の「もうひとつの証(Another Testament)」をニューヨーク州、ウエイン郡にある丘に埋められたセメントの箱の中から入手した。なお、箱の中にはほかにウリムとトンミムという道具が入っていた
モルモン書全般にわたって記述されている内容は、大きく分けて歴史的な記録と神の教えである。内容は紀元前600年頃(預言者エレミヤの時代)、エルサレムからアメリカ大陸へ渡ったリーハイとその家族から始まり、その地において、神に従順なニーファイ人の子孫と神に背くレーマン人の子孫が対立、抗争しながら大陸全土に増え、最終的には慢心したニーファイ人がレーマン人に滅ぼされるまでの「歴史」である。 またそれに加えて、バベルの塔の時代に同様にアメリカ大陸に移動してきた2つの民族の興亡の記述もある。(Wikipedia)
モルモン書の一部を記す。聖書の黙示録のようである。
二―ファイ第1書第11章
ニーファイ、主の御霊を目にし、示現の中で命の木を見せられる。彼は神の御子の母を目にし、神が御自身を低くされることを知る。また神の小羊のバプテスマと務め、十字架の刑を見る。彼はまた、小羊の十二使徒の召しと務めを見る。紀元前約六百年から五百九十二年に至る。
二―ファイ第2書第10章
ユダヤ人は将来、自分たちの神を十字架につける。ユダヤ人は、主を信じるようになるときまで散らされる。アメリカは将来、支配する王のいない自由の地となる。人は神と和解し、神の恵みによって救いを得るようにしなければならない。紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る。
二―ファイ第2書第27章
終わりの時に暗黒と背教が地を覆う。『モルモン書』が出て来る。その書物について三人の証人が証する。学者はその封じられた書物を読むことはできないと言う。主は驚くべき業と不思議を行われる。イザヤ書第二十九章と比較せよ。紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る
二―ファイ第2書第29章
多くの異邦人は『モルモン書』を拒む。彼らは、「ほかに聖書は必要ない」と言う。主は多くの国民に語られる。主は書き記される数々の書によって世の人々を裁かれる。紀元前約五百五十九年から五百四十五年に至る。
モルモン、ニーファイの大版を短くまとめ、小版をほかの版と一緒にする。ベニヤミン王、国内に平和を確立する。紀元約三百八十五年。
1 ところで、わたしモルモンは、これまで自分が作ってきた記録を息子モロナイの手に渡そうとしている。わたしはすでにわたしの民であるニーファイ人がほとんどすべて滅びてしまうのを見た。
2 キリストの来臨後数百年たった今、わたしはこれらの記録を息子の手に渡す。息子は、わたしの民の完全な滅亡を目撃するであろう。しかし、息子が彼らよりも長く生きて、彼らについて多少のことを、またキリストについても多少のことを書き記して、それがいつの日か彼らを益するものとなるように神に祈る。
モルモン書の真偽については疑問が出されている。アメリカ大陸のインディアンは、モンゴロイドだからユダヤ人とは人種が異なるという批判である。モルモン書は、後世埋められていた偽物ではないかというのである。しかし、それは当たらない。古代ユダヤ人は、現在アラブ人と呼ばれている人々と同じ顔かたちをしていた。つまり黄色人種である。この人々が、移住して行ったのだから、アメリカインデアンとほとんど変わらなかったものと思われる。私たちが誤解しているのは、現代の有名なユダヤ人が白人との混血であるユダヤ人(アシュケナーディー)が多いため、ユダヤ人とはあのような風貌をしているものと解釈しているだけである。アラブ人と変わらない風貌をした古代そのままのユダヤ人(スファラディと呼ばれている)も多いのである。コロンブス以前にアメリカ大陸に渡った西洋人はいないという通説も、記録されていないだけのことである。
ユダヤ人と日本人との関係については、ウィキペディアの「日ユ同祖論」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96を見て参考にしてください。
Yahoo!ニュース - モルモン教創始者に40人の妻がいた、信者に衝撃 (CNN.co.jp)
追記:2014年11月12日、CNNは『モルモン教創始者に40人の妻がいた」と報道している。
(CNN) キリスト教系の末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教)は、創始者ジョセフ・スミスに30~40人の妻がいたことが分かったと明らかにした。妻の中には既婚者や14歳の少女もいたという。
スミスの結婚歴を巡っては歴史学の中でさまざまな説が飛び交っていた。同教会はこれまで妻が1人しかいない姿を印象付けようと腐心してきたが、このほど初めて「慎重に見積もってもその数は30~40人」だったと認めた。
同教会は米政府の圧力を受けて1890年に重婚を禁止している。
スミスは神から特別な啓示を受けた預言者として信者の間で信仰されてきた。しかしこれほど多くの女性と結婚していたという事実に、一部の信者は衝撃を受けている。
同教会によれば、スミス本人は複数の女性との結婚を望んでいなかったが、1834~42年に天使が3回現れて結婚を迫り、最後には剣を抜いて「戒律に従わなければ破滅させるとジョセフを脅した」とされる。