救世主(メシア)を迎え入れなかった韓国に悲劇が迫っている

(1)韓国から天運が去っている
 現在の韓国の状況を見ていると、この国はどこに向かおうとしているのかと疑問がわいてくる。日本、米国と同盟を結んで共産圏三国と対峙しているのかと思えば、同盟といいながら同盟関係に亀裂が入りかねないことを平気で行っている。一方で、北朝鮮との統一、民族統一に思い入れが強いあまり、北朝鮮に対して経済協力の提案など不用意に近づいている。それが非常に危険な行為であることにさえ気づいていないようである。
 現在の韓国政権にはもう天の守りがない。国の霊的中心となる宗教界も天の守りをもっていないようである。いわば韓国は漂流しているのである。天の守りを失ったならば、そこに代わりにサタン(悪魔)が侵入するのが人類歴史である。既に韓国内にはあちこちにサタンが入り込んで騒いでいる。そして、とどめを刺すタイミングを見計らっている。
 ここに及んでも韓国国民は、危機を感じないのであろうか。

(2)韓国はサタン(悪魔)に主権を取られて苦難の未来を歩むのか?
 国の主権をサタン(悪魔)に奪われるということは、北朝鮮とその同盟国が韓国に主権を樹立して、韓国国民を収奪していくということを意味する。同一民族なのでそんなことはありえないと安易に考えているであろうが、表面的な問題の背後に神とサタンの主権の奪い合いという問題があることを忘れてはいけない。天の摂理では、韓国に救世主(メシア)を降臨させて韓国民族を一つにまとめて偉大な民族にするという壮大な計画があった。それにもかかわらず、韓国に降臨した救世主(メシア)を韓国国民は受け入れず拒否したために国をサタンに引き渡さざるを得ないという深刻な天の事情が関係しているのである。
 2000年前救世主(メシア)を迎えたユダヤ民族は、メシアであるイエス・キリストを十字架に架けてしまい、ユダヤの王として迎え入れることができなかった。そのことと同じことが起ころうとしているのである。

(3)イエス・キリストを十字架に架けたユダヤ人の末路
 キリスト教では、イエス・キリストが私たちの代わりに十字架に架かることによって人類の罪を背負ってくださった恩恵により私たちは救われたと教えている。確かに、イエスの十字架の代贖によって人類は救われたのだが、イエスを十字架に架けた当事者ユダヤ民族はその罪を償わなければならなかった。それが、イスラエル王国の滅亡とユダヤ民族放浪の2000年を決定づけた原因である。
 ゴルゴダの丘に向かうイエス・キリストは、悲しみ嘆く女たちにこう言われている。
エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日がいまに来る。そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。(ルカ書第23章28~30)」と語られた。
 神の子イエス・キリストを十字架に架けたユダヤ民族は、神の身元からサタン(悪魔)に引き渡されることが決まったのである。イエスの死後40年後の西暦70年、エルサレムローマ帝国との間に起こったユダヤ戦争において陥落する。エルサレム神殿は破壊され、一部の生き残ったユダヤ人もマサダの砦で玉砕する。(エルサレム神殿から持ち去られた財宝によってローマのコロセウムが建設された。) それ以降、1948年のイスラエル建国に至るまで2000年間、ユダヤ民族は国を失い放浪の民として迫害を受け、嘆き悲しむ受難の歴史を歩まざるをえなくなった。歴史は偶然で動いているのではない。

(4)救世主(メシア)とは何か
 人類始祖がサタンの誘惑によって堕落した結果、人類は自らの心の中に自分本位の醜い心を宿すようになり、外面的には対立と抗争を繰り広げ、誰もが苦しみもがく罪悪歴史をつくってきた。宗教は、この人間の置かれている苦悩から逃れる術を探し求めてきたが、人間にはどうすることもできない心の闇(仏教では無明と呼んだ。キリスト教では原罪と呼んだ。) が存在し、サタン(悪魔)が支配していることに気づいた。この闇を取り払うには神が送られると予言されてきた救世主(メシア)によってしか救われないと悟り、救世主(メシア)の出現を待ち望んできた。
 創造主である神は、人類始祖の堕落を悲しみ、悲痛な思いで絶望の淵から人類をサタンの手から取り戻すべく救済の摂理を準備されてきた。聖人・義人・善人を召命して様々な宗教を打ち建てて、彼らの信仰と犠牲を条件にして人類の救済を進めてこられた。残念ながら多くの失敗があったがゆえに、救済の摂理は延長に次ぐ延長を重ねて現在に至っている。人類救済の神の最後の計画は、人類始祖の堕落によって生じた原罪の清算とこの世における神の主権復帰(千年計画)である。人類をサタンから取り戻し苦難の歴史に終止符を打つ人物として救世主(メシア)の降臨を準備された。
 救世主(メシア)の降臨は、神の経綸であるがゆえに世界中の多くの宗教で主唱されてきた。ユダヤ教キリスト教のメシアとして、仏教の弥勒として、儒教の真人として、呼び方は違えども、救世主が降臨して人類と世界を救うといわれてきた。人々は、そこにすべての希望を託してきた。
 そして2000年前実際にユダヤ民族に救世主(メシア)が降臨した。イエス・キリストである。しかし、古代ユダヤ民族はメシアを待望していたにもかかわらず、実際に来たメシアであるイエスを受け入れることができず反対に十字架に架けてしまった。その結果、人類歴史はその後2000年の苦闘の歴史を繰り広げることになった。
 そして現在、韓国民族に同じことが起ころうとしている。韓国に実際に降臨した救世主(メシア)を韓国国民は受け入れることができず拒否したのである。今、韓国情勢が不穏なのは、その報いが始まろうとしているからである。

(5)韓国民族の苦難の歴史は、救世主(メシア)を迎え入れるためにあった
 救世主(メシア)を迎え入れる民族となるためには、民族としての条件が必要である。この条件(基台)が整わなければ、民族の栄光であるメシアを迎え入れることはできない。ユダヤ民族は、救世主(メシア)であるイエスを迎え入れるためにその条件を満たすために苦難の歴史を歩んだのであった。韓国民族も、メシアを迎え入れるために苦難の歴史を歩んできたのである。韓国民族が歩んできた苦難の歴史は、救世主(メシア)を迎え入れるものだったと理解することが重要である。

(5-1)神の心情の対象となる国
 救世主(メシア)を産む民族は、神の悲しい心情の対象となるために、血と汗と涙の道を歩む必要があった。人類始祖の堕落によって人間は神と対立するようになったので、神は子女を失った父母の心情をもって悲しまれながら悪逆無道の人間を救おうとさまよわれ、義人・聖人・そしてメシアであるイエスまで犠牲にしながら、天に反逆する人間を救おうとされてきた。神は、人類始祖の堕落以来一日として悲しみの晴れることもなかったという。
 メシアを迎え入れる民族は、神の心情の対象として立つ善なる神の孝子・孝女として血と汗と涙の路程を歩む民族である必要があった。韓国民族が歩んできた悲惨な歴史路程は、将来メシアを迎え入れるための準備であった。4000年の歴史の中で、何度となく侵略を受けたが、一度も侵略をしたことはなかった。また、韓国民族は、古来より敬天思想が強く、忠・孝・烈を崇敬する民族性をもっている。迫害を受けても苦難にあってもそれを怨むのではなく、「恨」という赦す心情をもって歩んできた。赦しと愛の心情が韓国民族の誇るべきすばらしい民族精神である。

(5-2)メシアの降臨を準備するための日本従属40年期間
 ユダヤ民族は、400年のエジプトでの迫害と苦役期間を経てカナンの地に入って古代イスラエル王国を建設した。それが崩れた後は、バビロン捕囚70年を経てイスラエル王国の再建に臨み、メシアを迎え入れた。苦難の期間を民族的に通過することによって、民族の心情を一つにしてメシアを迎えるためであった。
 韓国民族の場合も同じことが起きた。日本の属国にされたのである。韓国民族の日本への従属は、1905年の乙巳保護条約に始まる。この条約によって、韓国の外交権が日本の外務省に移管・一任された。日本は韓国に統監(後の総督)を置き、必要な地域ごとに理事官を置いて内政に干渉した。韓国の政治、外交、経済の主要部門の権利は剥奪された。1910年韓国を併合した後には韓国民の自由はさえぎられ愛国者は迫害された。1919年キリスト教徒を中心として起きた三・一独立運動の時には多くの国民が迫害された。
 多くの韓国国民は日本の圧政に耐えかねて、故国を捨てて自由を求めて満州の広野に移民し、苦しみながら祖国の解放運動をなした。第二次世界大戦末期には神社参拝まで強要された。この苦しみは、1945年の第二次世界大戦終戦、韓国の解放・光復説まで続いた。その期間がちょうど40年間になる。
 韓国民族が40年にわたる日本の属国になったのには理由がある。メシアを迎え入れるためにサタン分立の苦難の道を通過することが必要だったのである。

(5-3)メシアが韓国に降臨するという予言者の証の存在
 ユダヤ民族は預言者たちの証言によって、将来メシアが王として来て王国を立て、自分たちを救ってくれるであろうと信じていた。キリスト教徒たちもメシアの再臨を待ち望みながら険しい信仰の道を歩んできた。韓国民族も、李朝500年以来、この地に義の王が現れて千年王国を建設し、世界各国の敬愛を受けるようになるという預言(鄭鑑録)を信じる中で、救世主を待ち望んで苦難の歴史路程を歩んできた。韓国に新しい王が現れるというメシア思想なので、時の権力者たちはこの思想を抑圧した。日本の占領時代には、日本の執権者たちは、この思想を抹殺しようとして書籍を焼却するなどの弾圧を加えた。キリスト教が入ってきた後には、キリスト教によってこの思想は迷信として追いやられた。
 韓国民族は、苦悶しつつ待ち望んできた義の王、正道令(神の正しいみ言をもって来られる方という意味)は韓国に再臨される救世主(メシア)の韓国式の名称であった。将来キリスト教ではイエスが再臨されることを、仏教では弥勒仏が、儒教では真人が、天道教では崔水雲が、そして「鄭鑑録」では正道令が顕現すると異なった啓示を受けてきたのである。

(5-4)自由・共産の分断国家に降臨する
 メシアの降臨される国は、自由・共産の分断国家である。現代の世界における神とサタンの対決の最前線は、自由と共産の対決である。(共産主義は、神を否定するがゆえに神の恩讐となっている。)
 メシアが降臨される国は、神のもっとも愛する国であると同時に、サタンが最も憎む国となり、自由と共産が衝突するようになる。この衝突する一線が38度線である。神とサタンの対峙線として供えられた38度線は、自由と共産という二つの世界の対決であるとともに、神とサタンの対決の最前線である。朝鮮動乱で、北側にソ連、中国が加わり、南側に国連加盟の多くの国家が動員されたのは、世界的な神の復帰摂理として韓国を解放することだった。

(6)そして韓国に救世主(メシア)は降臨した
 多くの予言と韓国民族の苦難の歴史路程の上に救世主(キリスト教でいう再臨のメシア)は再臨した。しかし、再臨のメシアはイエス・キリストの時と同様ないがしろにされ、苦難の路程を歩まざるを得なかった。神が準備に準備を重ねてきて送り出した再臨のメシアも、悲運の道しか残されていなかった。再臨のメシアの道は、苦難に耐えて人類を救済することが使命なのだが、苦難に耐えても人々は受け入れなかったのである。
 残念なことに、既に再臨のメシアはこの世から天界へ去って行かれた。もし、再臨のメシアの勝利圏が少しでも残されてないならば、韓国民族は2000年前のユダヤ民族と同じような迫害と苦難の歴史路程を歩まざるを得ないことになる。イエスが、十字架に架けられるとき、「あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」と語られたように、苦難の道が待ち受けている。
 幸いなことに、再臨のメシアは勝利圏を残されてまだ希望が残っている。再臨のメシアの栄光と権能を受け継いでいる教団がある。そこを見出して、再臨のメシアの権能を受け入れることができれば、韓国の未来は大きく転換して道が開けることになるであろう。

(7)再臨主の権能はどこが受け継いでいるのか?鍵は、現在の韓国の大統領の名前と外務大臣の名前にある
 現在の韓国大統領は、文在寅である。そして、外交の中心を担っている外務大臣は康 京和(カン・ギョンファ)である。ここにヒントがある。本来の人物が座ることができなかった場合、偽物が同じような顔をして座るのである。
〔この内容は再臨したメシアが語られたことをベースにしている。〕

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