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霊界で四大聖人・聖賢の方々がセミナーを開いているそうだ。 霊界からのメッセージ(1)【イエス・キリスト、アウグスティヌス、マルティン・ルター】

霊界で四大聖人(イエス、釈迦、孔子、ムハマンド)と聖賢(アウグスティヌス、ルター、ソクラテスなど)の方々がセミナーを開いているそうである。セミナーの主題は「神様は人類の父母」であり、地上に降臨された文鮮明先生が解明された『原理講論』を分析、討論しているのだという。セミナーに参加した聖賢たちが霊界から地上にメッセージを送ってきている。5回に分けて四大聖人・聖賢の方々の霊界からのメッセージを伝えてみたい。

メッセージの出典は、統一教会の教材【「平和神経 平和メッセージ1~17」光言社2015版 の中の付録霊界報告書「神様は人類の父母」】である。統一教会の教材であるから当然文鮮明氏を讃えているものであるが、このメッセージが本物かどうかは皆様自身に検討していただきたい。

なお、上記教材の中には、3人の他10人のキリスト教の聖賢の方々のメッセージが収録されている。(シモン・ペテロ、使徒パウロジャン・カルヴァン、テルトゥリアヌス、コンスタンティヌス大帝、エマヌエル・スウェーデンボルグカール・バルトマーティン・ルーサー・キング、金大建、李龍道)

 

[イエス様のメッセージ]

 ベツレヘムに生まれた私、イエスが、この紙面を通して地上に新しいメッセージを伝えようと思います。ユダヤ人たちは、いまだに来るべき主を待っていることでしょう。キリスト教徒、他の宗教者、そして信仰をもたない人たちも、イエスの名前ぐらいは記憶していることでしょう。
 今回のメッセージを地上に伝える私、イエスの心は、いろいろと複雑で錯綜(さくそう)しています。その内容を一言で要約して伝えられないことを、心苦しく思います。地上人、とりわけキリスト教徒は、このメッセージに触れるとき、信じるよりは、とても疑うであろうことを、私は分からなくはありません。しかし、かつて新約時代のメシヤの使命を抱いて来た私、イエスが、人類の救いの責任者として明言すべき時代が到来したため、この事実を明らかにするものです。
 当時、私は、神様からメシヤの使命を頂いて地上に来ていました。しかし、その時代、宗教者と非宗教者の葛藤を、すべて聖書に記録することはできませんでした。実際、聖書には、すべてを明かせずに、隠された摂理的内容が多くあったのです。その時代の流れに従って、神様の摂理は変わるしかありませんでした。今こそ、キリスト教徒やメシヤを待つ数多くの聖職者たちに、隠された摂理的内容の一端を、はっきり伝えようと思います。
 神様は、人間を創造されるとき、肉身を、地上で生きるときに必要なものとして造られました。そして肉身を失えば、その霊魂は霊界で永存するよう創造されたのです。メシヤを待つ聖徒の皆さん! 聖書に表現された各節の両面的な預言には、なぜ関心をもたないのですか。私、イエスは、新約時代に人類を救うために、メシヤとして来た人物です。しかし、イエスの十字架の問題を、皆さんはどのように考えますか。それは神様のみ旨だったのでしょうか。人間の失敗だったのでしょうか。皆さんは、私、イエスの生涯を綿密に検討してみましたか。イエスの懐胎と誕生についても考えてみましたか。その時代、私は間違いなくメシヤの使命を抱いて来ましたが、肉身をまとった平凡な人間の姿で、地上で食べて、着て、眠って生活したのです。しかし、私の使命は、一般人とは異なり、メシヤとしての使命をもっていたのです。メシヤの十字架の贖罪(しょくざい)は、神様の本来のみ旨ではありませんでした。
 地上の皆さん! キリスト教徒の皆さん! これが事実かどうか、断食しながら祈祷してごらんなさい。そうすれば、私、イエスが現れてはっきり教えてあげます。しかし、断食して徹夜するとき、純粋な祈祷と真心だけを尽くさなければなりません。また、いわゆる異端の声にも耳を傾けてごらんなさい。この時代に統一教会文鮮明(ムンソンミョン)先生は、十字架の贖罪により地上で成せなかった私、イエスの使命を完遂するため、再臨のメシヤとして現れたお方であり、成約時代を締めくくるために真の父母の使命を抱いて現れたお方です。
 新約時代にメシヤの使命を抱いて来た私、イエスを、当時の人々は十字架につけてしまいました。そのため、地上には神様が成就すべきみ旨が残され、そのため再臨のメシヤが必要になったのです。新約時代のメシヤは、霊的な救いしか成就できなかったため、肉的な救いは宿題として残されたまま歴史が流れてきたのです。それゆえ、恨めしい歴史の背後で、数多くの悲しみと苦痛を味わいながら神様は、再びメシヤを地上に送る時を待ってこられたのです。文鮮明先生の血統を分別して聖別し、メシヤとして送るまで、神様は、この上なく緊張した歳月を送られました。
 私、イエスは、どこで生まれたでしょうか。馬小屋で生まれました。当時、マリヤの気持ちはどうだったでしょうか。キリスト教徒の皆さん! 聖書を読むとき、容易にその内容を理解できたでしょうか。解けない問題、理解できない問題に直面して、皆さんは苦しむことがなかったでしょうか。天の秘密のすべてを明かせなかったイエスの気持ちを、理解できるでしょうか。聖書に記録できなかった摂理の奥深い内容を、皆さんは、いかに知ることができるでしょうか。イエスの父、ヨセフの婚約者であるマリヤのおなかが、どうして大きくなったのでしょうか。復帰摂理歴史において、人類が受け入れ難い、途方もない天の秘密がベールに包まれているのを、皆さんは知っているでしょうか。人類は神様の子女であるため、神様は人類を訪ねてきて、愛するほかはありませんでした。皆さんは、そういう神様の心情を推し量ることも難しいでしょう。
 この時代に地上に現れた文鮮明先生は、皆さんが待ちわびた再臨のメシヤです。文鮮明先生は、数えの十六歳の時、私、イエスからメシヤの使命を引き継がれました。キリスト教徒の皆さん! いまだに雲を見つめながら、雲の中から現れる再臨の主を待っていますか。文鮮明先生は、数万回、雲の中をかき分けて世界を巡回し、人類の平和具現のために渾身の力を尽くしていらっしゃいます。きょうもこのお方は、八十歳を超えた御高齢にもかかわらず、人類の救いのために最前線で苦闘していらっしゃいます。
 新約時代にイエスを迫害したローマ人たちのように、この時代に生きる皆さんも、そのお方を再び十字架につけるのですか。ソドムとゴモラの滅亡を皆さんは知っているではありませんか。神様は愛です。待っていらっしゃるのです。成約時代に降臨されたメシヤを迎え入れなさい。そのお方の業績と人類を救うための摂理的導きを排斥せず、心から迎えながら、祈祷してごらんなさい。皆さんの真実の祈祷の中に、イエスが共にあることでしょう。
 今こそ、キリスト教徒たちが、イエスの生涯と神様の救いについて深く祈祷しながら、メシヤ、イエスを十字架につけた新約時代の時代的な状況を、再び思い起こしてくれることを切に願うものです。
 私、イエスが三十三歳になるまで結婚できず、私に従って歩んだ十二弟子ともども空腹だった状況を考えてごらんなさい。イエスには恨めしいことが多かったのです。キリスト教徒たちは、メシヤ、イエスに関するすべてが神様のみ旨である、とだけ結論を下しています。けれでも、人類がすべきことと責任はないのか、深く考えてごらんなさい。メシヤとして来たイエスは、人の子でした。私、イエスは、神様のひとり子として、メシヤの使命を成し遂げるため渾身の力を尽くしましたが、その夢とみ旨を完全に成すことができませんでした。そのみ旨が完全に成されたならば、再臨の主が来られる必要があったでしょうか!
 キリスト教徒の皆さん! そして、もろもろの宗教者の皆さん! 当時のメシヤは私、イエスでした。間違いなくメシヤでした。しかし今日、メシヤの使命を完遂するため再び来られたお方は、文鮮明先生であられます。そのお方が、正に再臨の主であられます。二千年前、異端の魁主(かいしゅ)とされた私、イエスに「『きたるべきかた』はあなたなのですか」と尋ねた洗礼ヨハネの立場を考えてごらんなさい。皆さんは今、文鮮明先生をどう評価していますか。時代の流れを考えてみて、文鮮明先生が成し遂げた業績を思い起こしてごらんなさい。人間の力だけでは不可能な、途方もない業績を成し遂げられたのです。
 既に亡くなった私、イエスが、再び生きて皆さんの前に現れることはできません。人間の肉身は、霊人体と分離されれば、土に帰るようになっています。それが真理であり、天道なのです。墓から起き上がるという聖書の一節を、いま一度見てごらんなさい。神様は、科学的で数理的な神様であり、原理の神様であられます。消えた死体の全器官が分解して再び組み合わさり、復活するという論理は、神様は何でもできるという能力を前提にしたものですが、それは極めて矛盾しているのです。そのように問題が解決するのではありません。自然界を御覧なさい。人間の成長過程と構造を御覧なさい。神様と人間は父子の関係です。今や皆さんは、子女を待って耐えてこられた神様の摂理と心情を体験すべきでしょう。キリスト教徒が偶像崇拝者とする仏教の教祖、お釈迦様とイエスが向かい合って座り、談笑しているとすれば、私、イエスをどう思うでしょうか。
 もろもろのキリスト教徒の皆さん! 仏教徒の皆さん! そして、もろもろの宗教者の皆さん! イエス、釈迦、孔子、ムハマンド(マホメット)などの四大聖人と、ソクラテス、聖アウグスティヌスなどの聖賢たち、そしてその他の宗教指導者たちが、霊界で数回セミナーを開き、それは今も続いています。セミナーの主題は常に「神様は人類の父母」であり、地上に降臨された文鮮明先生が解明された『原理講論』をめぐり、分析、討論しています。
 それは、神様が私たちに下さった宿題でもあり、神様が地上の文鮮明先生の活動にくまなく関与し、観察し、私たちに対して、「人類を解放するためには、ここにいる宗教の代表たちが、まず一つになり、地上に協助するように」と命令されたからです。
 私たち(四大聖人)には宗派の壁はありません。私たちはみな一つになり、地上に現れた成約時代のメシヤを通して、人類が神様の子女として生まれ変わることによって、神様を中心とした一つの世界が成就できるよう祈祷し、発表し、談笑しています。地上でしばしば見かける宗教者たちの対立と葛藤は、こちらではすべて解消されました。そうなるまでに、相当な時間が流れました。人間の創造主は唯一、神様だけという究極的な真理を明らかにするまで、それだけの時間を要したからです。地上でも、すべての宗教の障壁が崩れてこそ、人類の平和が実現することでしょう。
 各宗教の教理の共通性と差異性を明らかにし、互いの長所と短所を取捨選択しながら、温柔謙遜の美徳を示すなら、宗教をもたない人たちも、その姿に倣い、正しい道に導いていけるのではないでしょうか。もろもろの宗教者、とりわけキリスト教徒がすべて一つになり、この無形世界で一堂に会することを願うものです。
 ユダヤのベツレヘム出身のイエスが、地上人にメッセージを伝えられる、時代的な環境と恵沢が与えられたのは、ほかでもなく、成約時代が到来したからであり、成約時代の主人公が文鮮明先生であり、そのお方が再臨のメシヤだからなのです。
 皆さんは、そのお方をどうしますか。批判の的にしますか。新約時代のイエスのように、十字架につけますか。祈祷し、断食して、神様に問いますか。皆さんが、最も賢明な信仰者としての在り方を選択するよう願います。この霊界からでも、新約時代のメシヤ、イエスの責任を悟らせたくて、このように地上人にメッセージを伝えるものです。                                           (二〇〇一年四月四日~五日)

 

アウグスティヌス(354~430. ヒッポの主教。カトリック神学の教父)のメッセージ

 私、アウグスティヌスは、神様に仕えることにおいて、誰にも劣らない最高の立場に立ちたいと思っていました。ところが、こちらに来て知ってみると、誠に恥ずかしく、愚かな立場になってしまいました。私は、神様に父母として侍ることができず、ただ最高の神様としてのみ侍り、父子の関係など念頭にも置くことができなかったのです。私の信仰と思想は、神様の前に極めて小さな価値をもって残っているのみです。
 地上で熱心に信仰するキリスト教徒たちと、もろもろの宗教者の皆さん! 四大聖人や聖賢たちのメッセージを何度も読んで、多くの覚醒(かくせい)があらんことを願うものです。私たち聖賢と四大聖人たちの集いは、周期的に開かれます。この霊界で、宗派の集いを開くのは、それを通じて、様々な次元に分裂した人々に神様の思想を知らしめるためです。
 地上人たちは、イエス様がキリスト教徒だけを訪ねると考えますが、そうではありません。宗派の代表者たちは、教派を超越し、各宗派の教理と教えについて、各自の見解を交換します。そしてついには、すべての宗教は一つに統一されなければならないという結論に達します。各宗派をあまねく巡りながら、信徒たちと対話して共に礼拝を捧げたのち、互いに経験した事実を中心として、四大聖人と聖賢たちはセミナーを開きます。その際、多様な主題が出されますが、私たちは互いに和気あいあいとした雰囲気の中で、それぞれの主題を論議します。
 ここで、実に興味深い出来事がありました。イエス様がお釈迦様の説教を熱心に傾聴されたのち、その説教を仏教徒が集まった他の場所で、そのままお伝えになりました。この時、仏教徒たちは、「イエス様はキリスト教の教祖なのに、私たちの師の教えを伝えるのですか」と質問しました。ところが、イエス様の返答がとてもおもしろかったのです。なんと、「私も釈迦牟尼仏になれるか試してみました」と言われたのです。このとき、ここに集まった霊人たちは、共に笑いました。イエス様は、本当に何の欲も私心もありませんでした。ひたすら神様の子女になることだけを願う、純真無垢で謙遜なイエス様の態度に、仏教徒たちも感動したようでした。
 宗教者の皆さん! 真理は永遠なものです。真理は一つだけです。それは、神様がただお一人であり、神様が真理の本体であるからです。神様は人類の父母であり、私たち人類は神様の子女です。このような状態で、数多くの集はが存在する理由がどこにあるのでしょうか。各宗教ごとに真理の核心を要約してごらんなさい。究極的な終着地は、一つの方向のみです。各宗派の長所を捨てよというわけではありません。一つの共通目的のもとに統一せよというのです。神様は、様々な子女たちを見て喜ばれるでしょうが、彼らが争い合う姿を見れば、胸が痛くはないでしょうか。子女たちが互いに和睦するとき、聖霊が共にあることでしょう。
 私たち四大聖人と聖賢たちは、セミナーで最終の結論を得ました。「私たちは互いに愛し合い、一つになろう」と決意しました。まず、天上で宗教の代表者たちが一つになってこそ、地上も一つになると信じています。宗教が一つに統一されなければ、神様の心も安らかではあり得ません。それゆえ、人類の平和は、神様の理念によって実現するのです。
 宗教者の皆さん! もろもろの聖賢たちと四大聖人のメッセージを、肝に銘じるようにお願いします。皆さんには、こうした黄金時代は、再び訪れないでしょう。私たちが、地上人に天上の秘密を伝え続けることができると思いますか。神様の特別な配慮によって下さったこの黄金期を、皆さんはしっかり受け止めて、信仰の本質と根本を悟り、神様の子女の立場に正しく立って下さい。
 私、アウグスティヌスに、最後のお願いがあります。数多くのキリスト教徒と地上の宗教者の皆さん! 地上で人類の平和のために、殉教者の道を歩み行かれる一人の師がいらっしゃいます。そのお方こそ、文鮮明先生であられます。ですから、そのお方を心から迎え入れてください。四大聖人と聖賢たちはみな、そのお方のメシヤ思想を固く信じ、その師が行かれる道を共に行こうと、しっかり決意しました。ここでひたすら一つの方向を定めて、熱心に努力し、愛し、尊敬して、すべての宗派を超越しようと決意しました。
 そして私たちは、文鮮明先生の思想を教えているのです。これこそが人類を平和に導く道であり、真理の道だからです。宗教者の皆さん! 争ってはなりません。互いに一つに和合してください。一つになった所に、神様はいらっしゃることでしょう。
(二〇〇一年四月十日)

 

マルティン・ルター(1483~1546.宗教改革者)のメッセージ

「統一原理」が明らかにされていたならば宗教改革も必要なかったものを

 

 まず感謝と尊敬の意を表します。立派な思想を明らかにしてくださった文鮮明先生に心から感謝しながら、この文をお奉げいたします。本来、ルターは、限りない神様の愛の体験を根拠として信仰生活をしてきました。今回の教育を受けてみると、神様の前に宗教改革は、大きな不幸をしでかした事件になったかもしれない、という心の葛藤が起きました。

 文鮮明先生、人類の真の父母様、そして再臨のメシヤなど、すべての呼称は当然であり、ふさわしいものです。何をもって、このような恩恵に報いることができるでしょうか。天の秘密を、このように理路整然と明らかにしてくださったので、感謝しています。今正に、人間救済の道が開かれたという確信をもちました。「統一原理」は、すべての思想と宗教的教えを受容し得る絶対真理です。このように体系的に成し遂げられた「統一原理」がルター当時に現れていたならば、宗教改革は必要なかったことでしょう。そして、数多くの人々が犠牲になることはなかったでしょう。今も宗教の名によって、数多くの人々が犠牲になっているので、残念に思います。宗教人たちが「統一原理」さえ知れば、宗教の障壁、人種の障壁、思想の障壁がすべて崩れることでしょう。しかし、このような真理が、なぜ今になって人類にもたらされたのか・・・・・。数多くの紛争と摩擦などによって、病にかかっていった人類を回顧してみるとき、無念な思いがします。

文鮮明先生、どのような呼称でこの文をお捧げすれば、最も大きな尊敬と感謝となるでしょうか。ルターは、ただ感動と感謝だけです。地上にいらっしゃる間に、このような原理と思想が全人類に、地の果てまで広く伝播され、人類の悲惨な歴史が終息し、ただただ神様の愛の世界が実現されることを願います。

 先生、再臨の主様、ルターはまだ、お父様とお呼びすることはできないでしょう。主は、全人類の父母として来られましたが、人類は、各自の資質を磨き上げ、神様と真の父母様の前に、真の子女の姿に生まれ変わらなければなりません。ルターが真の子女の立場に立つまで、あまりにも多くの時間がかかると思うのですが、このような姿でも子女として受け入れてくださるのでしょうか。先生、ルターも真の子女の立場に立てるよう努力します。天の秘密を明らかにしてくださったことを、心から感謝いたします。最高の感謝の表現をお捧げして、この文を締めくくろうと思います。先生、ありがとうございます。本当にありがとうございます。ルターは、この真理の前に渾身の力を尽します。

マルティン・ルター(二〇〇一年九月十六日)