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本居宣長の「もののあはれ」考(3) 「情」の本質と善悪

(1)「情」 移ろいゆくその姿

宣長は、「情」というものが曖昧で不安定な動きをすることを知っていた。それは、「とやかくやと、くだくだしく、めめしく、みだれあひて、さだまりがたく」、けっして「一かたに、つきづきなる物にあらず」と知ってはいた。このことを本当に納得させてくれたのが「源氏物語」であった。「源氏物語」の表現のめでたさを、「人の情のあるやうを書るさま」、「くもりなき鏡にうつして、むかひたらむがごとくにて」と称賛したのである。(小林p152)

人の有るがままの心は、まことに脆弱なものである。

「うごくこころぞ、人のまごころ」と歌われ、動かなければ心は心であることを止める。動かぬ心は「死物」であるという。世に聖人と言はれている人が、巧みに「不動心」を説いてみせても、当人の「自慢の作り事」を出られないのは、死物を以て生物を解こうとする、或いは解けるとする無理から来る。(小林p394)

女童のもつような邪のない心こそが、人間の本当の情の姿であると見究めた。

 

それは、「歌」というものを心と世界とのかかわり合いからたずねようとして達したものであった。それは、現実をふまえ真実なものとしてほとばしり出る情というような〈真心〉あるいは〈誠〉という内的価値を基底にして世界とかかわる心のあり方とは異なる。真実なあるいは誠実なといわれる心的態度のうちに、心と世界とのかかわるあり方への問いはほとんど収束してしまい、道徳の根拠を尋ねる問いが、〈真心〉あるいは〈誠〉という価値をもってとらえられる心情のあり方をこえてすすむことが困難なように。(子安p49~50)

宣長は、人間の情が対象とする「物」との間で「あはれ」と感ずる情を瞬時瞬時生み出すことを感得したのだった。

 

(2)情の背後にある人間の本来の欲求

感慨慨歎の情、あるいは「物のあはれをしる心」の背後には、「うまき物くはまほしく、よききぬきまほしく、よき家にすままほしく、たからえまほしく、人にたふとまれまほしく、いのちながからまほしくするは、みな人の真心也」(「玉かつま」232)という人情が流れている。この情は、誰の心にもある人間本来の情であろう。宣長は、この情のすがたにたどり着き尊く感じたのである。

 

「情」の特色は、それが感慨であるところにあるので、感慨を知らぬ「欲」とは違う。「欲」は、実生活の必要なり目的なりを追って、その為に、己を顧み、「感慨」を生み出す。生み出された「感慨」は、自主的な意識の世界を形成する傾向があり、感動が認識を誘い、認識が感動を呼ぶ動きを重ねているうちに、豊かにもなり、深くもなり、遂に、「欲」の世界から抜け出て自立する喜びに育つのだが、喜びが、喜びに堪えず、その出口を物語という表現に求めるのも亦全く自然な事だ。(小林p144)

「事の心、物の心をわきまへ知るが、則ち物の哀を知る」事といへるし、更に、「世にあらゆる事に、みなそれぞれの物の哀はある」筈だと言ふ。このような考え方を進めて行けば、世間が、ほんとうに解るという事が、「もののあはれ」を知るといふ事だといふ事になる。人の心ばへ、世の有様は、なるほど、かくの如きものか、と身にしみて解っている人が、「もののあはれ」を知る人と言える。(小林)

宣長は、「もののあはれをしる」とは、いかに深く知っても、知りすぎる筈のない理想と見極めたのだが、現実を見下ろす規範として、これを掲げて説くという事になれば、嘘になり、空言となる。これが式部がよく知っていた事だ、と彼は解する。だから、「式部が心になりても見よかし」と言うのである。誠に「物のあはれ」を知っていた式部は、決してその「本意」を押し通そうとはしなかった。押し通そうとする賢(さか)しらな「我執」が、無心無垢にも通ずる「本意」を台なしにして了うからである。それに気付かないのが、世の劣者の常だ。(小林p148~149)

 

宣長は、《情》というものを尺度にして「人間なるもの」を探究してきた。それは、移ろいやすく、よろいを脱げば女童の心のように邪のない女々しいものであった。しかもその情は、世間がわかればわかるほど深く感ずる事ができるものであり、と同時にさかしらに押し通そうとすれば壊れてしまいかねないか弱い姿をしていた。そして、その情の背後には、人間の本来の情ともいうべき欲求(まごころ)があるのを感ずるのだった。ここまで書いて来て、今聖書の一節を思い出した。「幼子のようにならなければ天国には入れない」。人間の情はか弱いのであり、それを悟らなければ天国の門は開かないのである。宣長は、天国の入り口のところまで到達したのであろう。

 

(3)まごころと善悪

宣長は、「まごころ」とは、人間が神より授かり皆もって生まれて来たものであるという。その意味で、「まごころ」は神から頂いたものである。

「眞心とは、産巣日神(むすびのかみ)の御霊によりて、備へ持て生れつるままの心をいふ。さてこの眞心には、智なるもあり、巧なるもあり、拙きもあり、善もあり、悪きもあり、さまざまにて、天下の人ことごとく同じき物にあらざれば、神代の神たちも、善事にまれ悪事にまれ、おのおのその眞心によりて行ひ給へる也。然るを難者、智巧の事などは、眞心の行ひにあらずと心得たるは誤れり。(中略)善にもあれ悪にもあれ、生れつきたる心を變(かえ)てうつるは、皆眞心を失ふ也」(「くず花」)(小林p690)

*真心よりなされた悪事は須佐之男命のあらび―それは夜見の国の穢れよりなされた悪事であるが、漢意よりなされた悪事ではない。その意味で真心からなされた悪事であり、そこには悪しき真心が考えられる。(相良p220)

しかし宣長は、真心には、「智なるもあり、巧なるもあり、拙きもあり、善もあり、悪きもあり」もあるというのである。神には善神も悪神もあるという宣長であるから、真心にも善も悪もあるのは当然のことである。神代の神(人のこと)たちも、真心から善なる事、悪しき事をなしていたという。

 

宣長は、悪しき真心と「実の当然之理」をしる真心との関係について次のように述べている。「又人は必凶悪の忌去て、吉善を行ふべき理をも知るべきなり〔伊邪那岐命の、黄泉の穢悪を忌悪ひて、御禊したまふ是なり。後に須佐之命の、二たび逐はれたまふも、此ノ理なるが故なり。さて世人の、凶悪を直して、吉善を為べき道は、彼ノ御禊の理によれることなれども、彼ノ大神、此ノ御禊を以て、世人に、凶悪を忌去て、吉善を行へと、教喩したまふにはあらず。其故は、彼ノ御禊も、其時にことさらに神の教によりて為たまふには非ず。元来産巣日神の御霊によりて、おのづから黄泉の穢悪を穢悪しとおもほす、己命の御心から為たまへれば、世人も亦其如くにて、産巣日神の御霊によりて、凶悪をきらひて、吉善をなすべき物と、生れたれば、誰が教ふとなけれども、おのづからそのわきためはあるものなり。然れども又其なすわざ、必吉善のみもえあらず、おのづから凶悪もまじらではえあらぬ、云々〕」(「古事記伝」七之巻)

 

まごころは、産巣日神によって生まれたものであるから、悪事をなしたとしても、善事をなすべきものとの弁別は、誰れ教うるとはなくとも、人はおのずからもつものであるというのである。宣長は、生まれながら人は悪をもなす、しかしまた常におのずからみずから、善を志向するとみるのである。(相良p220~221)「禍福はあざなえる縄の如し」の如く、世の中のことは、すべて神の心より出でたる善神悪神の織りなす物語なのであって、人間は従順にしたがうことが神道の道であると言うのである。「生れいづるより死ぬまで、神の恵の中に居ながら、いささか心にかなはぬ事ありとても、これをうらみ奉るべきことかは、(中略)九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたへざるを恨むるはいかに」(「玉かつま」十四の巻)宣長は、善ばかりの世界は考えられないという。悪がどうしても混じらざるを得ないという。悪はどうしても混じらざるを得ないが、基本的には現になお善神の恵みの中に居るという理解が彼に安心をもたらすことになったようだ。「道の根元大本」である天皇が依然上古のままであり、したがって大局的には善神の恵みの中にいるという安心によって、少々のことは意にとめないという安定が出てくるということになろうか。(相良p278~279)

この見解は、現世は善主権であるという前提の下に組み立てられている。しかし、世の中の幸不幸・背理の実情はそのようなものではない。現世は悪神の天下である。ここに宣長の認識の誤謬があると言えまいか。

 

宣長が、《情》に人間存在の根幹があることを見出したことは大きな発見であり、このことが形式ばった倫理道徳から一歩踏み込んで、「情の救い」という救済の新しい次元につながっていったことは特質すべきことである。(このことをきっかけに江戸時代末期の民間神道の興隆がみられることになった。私は、「神と人間の関係は親子である」という主張は、情の世界における救いの表現の表徴であると考えている。)

一方善悪の分別をしなかったが故に、規範のない人間行動を是認することになってしまった。丸山真男氏は、「国学はかく一切の規範性を掃蕩した内面的心情をそのまま道として積極化した」(「日本政治思想史研究」p178)と批判されている。その後の日本の倫理道徳は、儒教・仏教・キリスト教に大半を負うこととなり、神道は上(神・天皇)に従順だけを説くだけで、悪について寛容きわまりない優柔不断な姿勢をとるものとなった。のちの大國隆正は、国体をはったことは素晴らしいが、「色情をゆるし、異母兄弟とつぎしも、いにしへのみちにて、あしからぬさまにいはれしたぐひは、わろかなり」(「学統辨論」)と批判しているのである。(芳賀)とはいえ、「もののあはれ」には、「永遠の根源者への思慕、依属」という観念が底流に流れていることは感じるのである。

 

(参考文献1:相良 亨著「本居宣長講談社学術文庫2011)

(参考文献2:「小林秀雄全集第十四巻 本居宣長」新潮社2002)

(参考文献3:子安宣邦著「平田篤胤の世界」ぺりかん社2001)

(参考文献4:芳賀 登「大国隆正の学問と思想」 日本思想体系50「平田篤胤 伴信友 大國隆正」岩波書店 1973)