「ヨハネの黙示録」と千年王国

(1) ピューリタン千年王国運動

千年王国論とは、キリスト教の宗教的解釈の一説で、『聖書』の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」をもとに、将来キリストが再臨し、地上でキリストの王国が実現されると考える教義です。しかし、この教義はアウグスティヌスが『神の国』において非難して以降、カトリック教会の支配的教義からは「迷信」として排斥され、中世においては民衆や異端的な預言者に受容され、近代において登場しても、前近代的な「狂信派」の思想として捉えられがちでした。
これが近代イギリスの扉を開いた革命に大きな影響を与えていました。千年王国論は単に前近代、狂信的という言葉では片付けられない歴史的役割を担っていたことになります。なぜなら、革命以前、多くのピューリタンが迫害から逃れてアメリカ大陸のニューイングランドへと渡り、本国から遠く離れたこの地で、祖国の腐敗を嘆き、新しい地における理想の国の実現を目指す千年王国論が確立されていきました。最近の研究では、清教徒たちの「大移住」には、「千年王国論」が大きく影響していると見られています。
ピューリタンの思想は、広くはカルビニズムの流れに属しますが、「契約神学」と呼ばれる独自なもので、神人関係も社会関係(家庭や国家)も契約で考え、聖書にのっとって地上に理想社会 (神の国) を実現し、神に対し責任をもつ生活をすることを目標としました。
千年王国論はピューリタン革命から110年後のアメリカ独立において再度姿を現し、アメリカにおいて、モルモン教や、エホバの証人などのプロテスタント教会に強い影響を及ぼし、彼らを理想郷造りに駆り立てました。
清教徒」と訳される「ピューリタン」という名称は、最初イングランドの女王エリザベス1世のアングリカニズム(英国国教会中心主義)による宗教政策を不徹底な宗教改革とみなし、国教会をジュネーブ宗教改革者カルバンの教会改革のモデルに従って徹底的に改革しようとしたプロテスタントにつけられたあだ名でした。
以上≪ユートピア研究 ピューリタンの理想社会の実現≫よりhttp://www.geocities.ws/genitolat/Utopia/000.html

 

プロテスタントピューリタンにとって、将来キリスト教の教理であるイエス・キリストの再臨、人間の体の復活、最後の審判、天国あるいは地獄への裁き、新天新地の到来があると信じられてきました。この信仰のもとに、キリスト再臨後に訪れるとされる千年王国を待ち望み、神に選ばれた選民として聖書にのっとった禁欲生活を守り、キリスト再臨まで神に対し責任をもつ生活をすることを目標としました。そしてキリスト再臨以降は、小羊の婚姻に招かれる栄誉に浴し、さらにこの地上にキリストとともに神の千年王国を実現しようという理想を抱いていたと考えられるのです。

 

 (2) 黙示録と終末、千年王国

 では、「千年王国論」のもととなった「ヨハネの黙示録」には、どのように書かれているのでしょうか。ヨハネの黙示録は、聖書の最後に登場する預言書で、紀元96年頃、パトモス島のヨハネによって書かれたとされています。)

ヨハネの黙示録』は、古代キリスト教の小アジアにおける七つの主要な教会にあてられる書簡という形をとっています。黙示録によると、(キリストの再臨が近づいた時)小羊によって封印(*1)が解かれ、天において神とサタンの壮絶な戦いが繰り広げられるとされています。地は暴虐に満ち、天変地異が続き、多くの人びとが苦しむとされています。神の怒りが極みに達した時、キリストが雲に乗って再臨し、大淫婦の裁き(*2)とバビロンの滅亡(旧き罪の世界の解体)が起きるというのです。

(*1)小羊について黙示録は次のように記している。「巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当たらないので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老のひとりがわたしに言った『泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる』。」(黙示録5-4~5)

(*2)地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒によいしれている。(黙示録17-2)

この裁きの後、汚れのない聖徒たちの婚姻=子羊の婚姻=が行われると書かれています。キリストの千年の統治が始まり、サタンは底知れぬ所に封印されるのです。殉教者と、獣の像を拝まず、獣の刻印を受けなかった者が復活して、千年間統治するというのです。千年王国の後、サタンが一時的に解放されて神の民と戦うものの、滅ぼされると書かれています。最後の裁きがなされた後、神が人と共に住み、涙をぬぐわれる、死もなく、悲しみもない新天新地が到来するというのです。そこにはいのちの書に名が書かれている者だけが入ることが出来るとされているのです。

ヨハネの黙示録  http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Yohane.html

第18章 (1~6)
この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
わたしはまた、もうひとつの声が天からでるのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜいれた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。

第19章(1~9)
この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、「ハレルヤ、救と栄光と力とは、われわれの神のものであり、そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を彼女になさったのである」。

再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。
すると、二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝して言った、「アァメン、ハレルヤ」。
その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、ともに、われらの神をさんびせよ」。
わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれたものは、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。

第20章 (1~3)

またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手にもって、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕らえて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。

 

(3)千年王国の理想と終末において処する態度

千年王国の理想は、キリスト教世界だけにとどまりません。原始共産制をめざすマルクス主義キリスト教の影響を受けたものであることは、多くの識者によって指摘されています。また、東洋世界にも仏教の弥勒思想による弥勒浄土思想(千年王国思想)が広く伝わっています。キリストの再臨を願うように、東洋では弥勒の下生はずっと待望されてきました。日本でも弥勒下生は、仏教だけにとどまらず神道の教派においてもずっと待ち望み続けられてきました。千年王国あるいは弥勒浄土は、地上での生に苦しむ人間にとって唯一救いと希望を託せる未来預言だったのです。

東洋、西洋で伝えられてきた千年王国思想には、次のような共通点があります。

千年王国思想は
1. 信徒が享受するもので、
2. 現世に降臨し、
3. 近々現れ、
4. 完璧な世界であり、
5. 建設は超自然の者による

という共通した世界観を持ち、
a. この世は悪に染まっており、
b. 全面的に改変する必要があり、
c. それは人間の力では不可能で、神のような者によらねばならず、
d. 終末は確実に、そろそろやってきて、
e. 来るべきミレニアムでは、信徒以外は全員居場所を失う、
f. そのため、信徒を増やすべく宣伝しなければならない。(Wikipedia

千年王国を信奉している宗派では、天変地異や地上の混乱が続く時代が訪れた時、終末が来たと警告します。そして、キリストあるいは弥勒の降臨が近づいており、キリストが直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になった、希望の時が来たと説きます。そして、キリストの再臨、弥勒の下生が近づいたので、千年王国に入るために人びとは「悔い改め」をして信仰姿勢を正すことが重要であると諭すのです。しかし、この説明は幾度も不発であったため、今やほとんど信用されなくなってしまいました。しかし、黙示録の予言は絵空事ではありません。比喩で書かれているため如何ようにも解釈できる想像しきれない内容ですが、恐ろしいことが書いてあることだけは確かです。大本教出口なお教祖の御筆書きには、終末の混乱によって最悪の場合3%の人間しか残らないという予言もあります。地球破滅に近い事態ですね。

黙示録の言葉は、天で起きていることが感得できなければただの戯れにしか聞こえないでしょう。現代も先の未来が見えない「終末」と呼んでもいい時代です。何が起きているのか、何が起きようとしているのか、聖書あるいは弥勒預言に耳を傾けてみてはいかがですか。

出口王仁三郎は、次のような言葉を残しています。「弥勒の世は、弥勒(信者のこと)が法を説くようにならないと到来しないのじゃ」と。また弘法大師の言葉には、弥勒下生の際には自分も地上に下生して弥勒の業に協力すると書かれてあるそうです。悟りを開いてきた聖人は、キリストの再臨あるいは弥勒の降臨を信じて疑っていないのです。私たち一人一人も、終末に際して処すべき姿勢・信仰を見つめ直すことが重要ではないでしょうか。

神と霊界の存在形態<神はいかなる御方か、そして霊界は>

人間が神と宗教を信じようとしないのは、神の実在と来世の実相を知らないからである。このことを実感するなり体験するなりまたは客観的に実証されるならば、受け容れざるを得ないであろう。一方、この世界は日常私たちが見ている現実世界だけで出来ていると信じている人にとっては、人生の目的が現実世界だけにとどまるがゆえに、人生の大半を送ったあと誰しも最後には肉体の消滅によって無になるのかという虚しさを味わうことになるのではなかろうか。この虚しさの背後には、「それは事実ではないのではないか」という懐疑心が宿っている。

すべての宗教が主張してきたこと、「神は実在し、そして来世は実在する」のは事実である。

 

神を知るには、一神か多神かの問題を解決する必要がある。生長の家創始者の谷口雅春先生の神に対する論考をもとに、『神』とはいかなる御方かを考えていきたい。(谷口雅春著『生命の實相』第一巻p380~382 日本教文社 昭和35年

 (1)創造の原理神―創造主(唯一神

【日本語でカミと申しますのは、第一に創造神のことをカミと申すのであります。この語源は『噛む』と云って『上』と『下』とは和合すること、天と地とが結び合うこと、陰と陽とが触れ合うことによって事物を生み出す愛の働きを云うのであります。歯で噛むと云うことも上下相和すると云う同じ語源から来たのであります。ありとあらゆるものを陰と陽との和合、すなわち愛のはたらきによって造り出し給う霊妙なる『創造の原理神』が第一義のカミであります。】

≪日本の「神」のいう言葉の語源は、陰と陽の二性が相対関係を結んで一つになるということからきており、愛によって陰と陽の二性が相対関係を結んで和合することが根本である。そこに顕れている神は、「創造神」ともいうべきもので、「無形の創造の原理神」ともいうべきものである。

パウロは、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた被造物において知られていて、明らかに認められるからである。従って彼らには弁解の余地がない」(「ローマ人への手紙」1-20)と記しているように、私たちは無形の神を無形であるが故に直接感じることは出来ないが、神が創造した被造世界を通して(自分も含む)明らかに感じることができるようにできている。

現実世界の森羅万象は、それを創造し給うた神の見えない神性が明らかに展開されている。それゆえ、私たち人間は、被造物の中にそのすばらしい出来上がりに感動し神を感じるのである。こうして創造された被造世界は、愛という創造の目的によって和合された動じ静ずるひとつの完全な有機体となるべきものである。それゆえ、神は被造世界の一切の被造物の中に遍在しているということができる。

東洋哲学の中心思想である易学思想は、宇宙の根本は「太極」であり、その太極から陰陽が、陰陽から木火土金水の五行が、五行から万物が生成されたと主張している。そして陰陽を道と称し(一陰一陽之謂道)、その道は、即ち、み言(道也者言也)であるといった。太極から陰陽、即ちみ言が、このみ言から万物が生れたという意味となる。従って、太極は、すべての存在の第一原因として、陰陽の統一的核心であり、その中和的主体である。≫

 (2)発光神としての神

【第二に、吾々がカミと申しますのは『輝く身』即ち一つの発光身を云うのであります。一燈園などでは「お光り」と云っています。仏教では「不可思議光」と云ったり「無礙(むげ)光如来」と云ったりしています。キリスト教では創世記に「神、光あれと云い給いければすなわち光ありき」と書いてあるのがそれであります。この神は本来それは真如法身(観自在原理)そのものであって相(かたち)がないのであります。ただ救うて下さいと呼ぶ者があるので、真如界から救いの求めに応じて発光身となって観世音菩薩の如く機に応じて色々の姿に顕現せられる如来であります。キリスト教で云うエンジェル(天使)の多くはこれで、唯一根元神から投げかけられた「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。皆さまが霊眼に同時に御覧になった「生長の家の神さま」もこの「救いの霊波」が形体化して顕現したものであります。いづれも元は一つ、その働きによって名前が違う。例えば観自在菩薩と云うのは観察自在のお働きをして衆生を教化になるので、そうお名前を申し上げ、阿弥陀如来と云うのはアミダ即ち無量壽無量光の働きとあらわれ、死後までも衆生を摂取し給うからそう申し上げ、天照大御神と申し上げるのは「渾珠(あま)」即ち「宇宙」を、限りなく遍照し給い一切のものを育み育て給う働きとなって顕れてい給うからそう申し上げ、「生長の家の神」と云うのは、狭義に於ては家々、家庭々々を生長さす一つのおハタラキであり、広義に於ては「宇宙」全体に満ちみちている普遍的真理を世界に宣布し給う救済力として顕現になっているから、そう申し上げる。神そのものの本質本体から云えば一つでありますが、その救いの働き(即ち霊波の種類)から云えば異なる譯でありまして、霊波が異(ちが)うから、霊眼で見てもお姿が異なる譯であります。丁度それはもとは一つの太陽光線でも三角帽子で光を分散させて見れば七色にも八色にもなり、その各々の光波は別々の作用を人体に及ぼすようなものであります。】 

≪中国の易学では、太極から陰陽、即ちみ言が、このみ言から万物が生れたという。陰陽の交わりが道であり、み言である。旧約聖書の創世記の初めは、次の言葉で始まっている。『はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった』(「創世記」1章1~2)

即ち神は陰陽の根源として存在しており、陰陽の交わりが光、道、即ちみ言を生み、み言から万物が創造されたということになる。だから、【神は光であり、道であり、み言】である。

神による啓示が、光であり、言葉であるのは、このことによって明らかであろう。すべての宗教にもたらされている神の啓示は、見えない神(太極)から発しているさまざまな波長の光を受信したものである。ただ、私の経験あるいは感じるところでは、如来とか天使、中国の天上の生命「麒麟」「鳳凰」「龍」は、光としての存在「発光神」というだけではなく、霊的に実在している。キリスト教では、「天使は人間に仕えるために創造された。天使の属する霊的な世界は我々の物質的な世界に先立って創造された」といわれている。天使が神のお告げを伝える伝令としての役目を負っている姿はしばしば描かれているように、光だけの存在ではない。後に述べる幽体(死後の人間の姿)と同様に霊界で実在している。ただ、東洋の阿弥陀如来や鳳凰、西洋の天使がすべて別の存在であるか、感じる姿・呼び方が異なるだけなのかはまだ判然としない。

私は、「金神七殺」方位の吉凶ー恵方祭祀と艮の金神」(2013/12/1)において、「金神七殺」といわれ疫病神の筆頭にされてきた艮の金神とは、ひょっとするとキリスト教でいう堕落した天使長ルシファーなのかもしれないと書いた。金神は、金気の精・太白の精とされる。太白星とは金星のこと、金神は星に例えると金星。西洋のユダヤ教キリスト教では明けの明星金星というと、堕落した天使長ルシファーを指す。三大天使長のひとりで知恵の天使長ルシファーを指す。同じ霊的存在かも知れない。

別の角度から論ずると、堕落した天使長ルシファーは神の意図とは違うささやき・誘惑をしているのだから、神の意図とは違う明確な別の霊的存在が実在していることになる。いづれにしても、人間が受けている神の啓示は、発光神としての作用の発現作用のようである。

付け加えて一言言っておきたいことは、堕落した霊的存在が存在しているが故に、啓示は神からだけくるのではなく、別の存在【悪魔=サタン】からも来るということである。≫

 (3)幽り身・幽微な身(霊界での姿)

【第三に吾々がカミと申しますのは幽(かく)り身の略称であります。即ち肉眼で見える体を備えてはいないけれど、体がないのではなく幽微(かすか)な身をそなえているのであります。此の階級のカミの種類は千差万別であって、低きものにはまだ悟りを開かない人間の亡霊や動物霊などがあり、高きものにはズッと高い神界に住む神格を得た人体があるのであります。仏説では此の世で善因を積んだものは「天」に生まれると申しますが、この諸天にいます神々はすべてこの幽(かく)り身に属する神々であります。】 

≪人間は死を迎えると、肉体を捨てて幽体として霊界に旅立つ。幽体離脱である。幽微(かすか)な身・幽り身は、幽体あるいは霊人とも呼ばれ、死後肉体から切り離され、霊界で生活する体である。神仏との縁をもち善行を積み、愛の完成に努めた人は、同じような人がいる霊界(神界・天界)に行く。神道では、すべての霊人を『命』と尊称で呼んでいるが、弔い上げが済んだといっても自動的に神界に至るのではない。

スウェーデンボルグの霊界日記に表されているように、天界・中間界・地獄界に分かれている。神の波動と無縁な霊界も存在している。昔から地獄と呼ばれてきた世界は、空想の産物ではない。当然ながらそこには神の光は届かない。

もちろん天界にいる聖人からは多くの啓示・霊的護りがもたらされる。過去の聖人がこの世にいる人間に多くのメッセージを送ってきていることはよく知られている。一方、地獄で苦しむ霊人も、この世に救いのメッセージを送ってくる。苦しみを背負ってくれといわんばかりに苦痛・不幸をもたらすのである。

人間は、現実世界に於いて善行を積むことによって、或いは悪行を重ねることによって、幽り身(魂)の善化あるいは悪化をもたらす。現実世界における行動が死後の世界を決めることになる。人生の目的は愛を深めることにあるという啓蒙は、幽り身(魂)を善化することが死後の世界においてかけがえのないものになることを意味している。

天国でも地獄でも、人間が死後行くことになる場所は、神が定めるのではなく、人間自身が決定するものである。愛を育んだ人間は、神の懐に近い天界に行くが、犯罪行為や過ちのために不完全な愛の姿になった人間は、愛の主体である神の前に立つことが苦痛となり神とは遠い距離にある自分の心に似た霊界(地獄など)を自ら選択するのである。

このような法があるから、人生の第一の目的は神を知り愛を完成することなのである。≫

 (4)まとめ

【この三種のカミを神と呼んでいます。神か一つだと主張する人は、神と云う言葉で宇宙の創造者としての唯一の神を指して云われるのでありますから唯一つと云うことに決して間違いがないのであります。そして神は多神だと主張する人は救いの化身たる第二類以下の神々を含めて云われるのでありますから、これも間違いがないのであります。同じ言葉で別々のものを指して、互いに「一神」だ「多神」だと論争していても結局解決の果てしがないのであります。

このように神は一神であると共に、時と所と人に応じて、場所次第、時代次第、救われる相手次第で、そのあらわれ方が千差万別して来るのでありまして、時代により、そこに住んでいる人間の発達程度に応じて色いろに変化して現れ給うて人をお救いになるのであります。】(谷口雅春著『生命の實相』第一巻p380~382 日本教文社 昭和35年 

≪神は創造神として唯一神であり、愛の原理によって<光・み言>を発している存在である。その発する形態が千差万別の形となって具現化している。その姿を見れば多神といっても間違いはない。神は全ての被造物に遍在して、巨大な平安な宇宙を築き上げているのである。人間は、神との関係を保持することなくして安寧と幸福を保つことはできないことを知らないといけない。そうでなければ、反逆児として神の創造世界を壊す役目をすることになる。また、堕落と呼んでいる現象は、悪魔と一体となって、神との関係が切れた状態のことをいっている。そこには神の光は条件なしではとどかない。≫

 

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、町の門は閉ざされる。(旧約聖書「伝道の書」12章1-4)】自らの魂が願うところに救いを求めよ。

自分の家庭に幸福を見出さない限り、地上天国は到来しない

「王様であろうと農民であろうと、自分の家庭で平和を見出すものが一番幸福な人間である。(ゲーテ)」

ゲーテのこの言葉には、すべての人間の究極の願いが込められている。どんなに社会的に成功したとしても、どんなにお金を儲けても、足元の家庭が安定して平和で楽しくなければ、人生は切ないものである。反対に、家庭が平和で安らぎに満ちたものであれば、世間の荒波に翻弄されていても辛抱して耐えていくことができる。「人」という字は、二本足で支える形をしている。人間は独りで生きていくようには造られていない。夫婦は「ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マルコ10章;マタイ19章)

古今東西、この世における幸福は家庭の幸福と平和な世界に包まれた社会の中で生きることである。歴史上の賢人の言葉をまず紹介してみよう。

とにもかくにも結婚せよ。
もし君が良い妻を得るならば、
君は非常に幸福になるだろう。
もし君が悪い妻を持つならば哲学者となるだろう。
そしてそれは誰にとってもよいことなのだ。 
 ソクラテス (古代ギリシアの哲学者 / 紀元前469~399)

結婚は個人を孤独から救い、
彼らの家庭と子供を与えて空間の中に安定させる。
生存の決定的な目的遂行である。
 ボーヴォワール (フランスの作家、哲学者 / 1908~1986)

結婚には多くの苦痛があるが、
独身には喜びがない。
 サミュエル・ジョンソン (英国の詩人、批評家、文献学者 / 1709~1784)

結婚をしないで、
なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、
腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。
 グレタ・ガルボ (スウェーデン出身のハリウッド女優 / 1905~1990)

人類は太古の昔から、
帰りが遅いと心配してくれる人を
必要としている。
 マーガレット・ミード (米国の文化人類学者 / 1901~1978)

幸せな結婚の秘訣は、
どれだけ相性が良いかではなく、
相性の悪さをどうやって乗り越えるかにある。
 ジョージ・レビンガー (米国の心理学者)

何と心打たれる言葉の数々であろうか。同じ人生を生きるならば、よき伴侶を持つべきではないだろうか。

賢人の言葉は、そのまま神が人間に願ったことである。この世の始まりが一組の夫婦から始まるのは、旧約聖書だけではない。日本の古事記の国産み神話を読んだ人は少ないと思う。次のように書かれている。

古事記の一節、伊邪那岐命伊邪那美命の国土生成の話

さて、天津神々は、伊邪那岐命伊邪那美命の二神に、「この、まだふわふわとした国土を、造り固めて下さい」と、一本の矛を授けてお任せになった。そこで、二神は天の浮橋に立って、その矛を差しおろして、潮をこをろこをろとかきまわして引き上げ給うと、その矛の先から、ぽとぽとと潮のしずくが滴り積もって島となった。これが自凝島(おのごろしま)である。

二神はその島に天下り遊ばされて、柱を立て、広い御殿をお造り遊ばれた。そうしてから、伊邪那岐命が、

「そなたのからだの形はどのように出来ていますか」と、伊邪那美命にお尋ねになると、

「わたくしのからだは成り整ってはおりますけれど、足りない所が、ひと所だけございます」とお答えになった。

「わたしのからだは、余っている所が、ひと所ある。だから、このわたしの余った所を、そなたの足りない所に刺しふさいだら、国土が出来ると思うが、いかがなものであろう」

「それがよろしうございましょう」

「では、わたしとそなたと、この柱をめぐって、婚(まじわ)りをすることにしよう」

こう約して、「それでは、そなたは右からお廻りなさい。わたしは左から廻ることにするから」
こうして、二神が柱を廻られる際に、伊邪那美命がまず、「あゝ、お美しい、愛しいかた!」とお唱えになり、後に、伊邪那岐命が、「おゝ、美しい、可愛いおとめよ!」と仰せられた。しかしその後に、「女が先に言ったのはよくなかった」と仰せられたけれども、とにかく寝屋におこもりになって、水蛭子(ひるこ)をお生みになった。

聖書のアダムとイヴの神話と似たような物語が展開しているのである。

天理教が受けた啓示
中山みき教祖が天啓を受けた天理王命の教えである「みかぐらうた」は、次のような文言で始まる。

あしきをはらうて たすけたまへ てんりおうのみこと

ちよとはなし かみのいふこと きいてくれ

あしきのことは いはんでな このよの ぢいとてんとを かたどりて ふうふをこしらへ きたるでな これハこのよの はじめだし

あしきをはらうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい

〔神は、天地にかたどって夫婦を造った。これがこの世の始まりであると。凡ての人間の救済を急いでいる。心を清らかにして。天理教の教義では、全世界の人間を救済して、地場に甘露台を建てるとしている。また、結婚は男女それぞれの因縁を寄せる人生の大事であると説かれる。〕

神の計画は、この地上に一組の夫婦を造ることが出発点だったのだ。そして宗教の目的も、幸せな結婚をして平和な家庭を築いて地上に甘露台(地上天国)をもたらすことである。儒教に誰もが聞いたことがある【修身斉家治国平天下】という言葉がある。孟子は、次のように述べている。

人恒の言あり。皆天下国家と曰う。天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り。(離婁章句上)

<世間の人はだれもが「天下国家」と口癖のように言うが、天下の本は国であり、国の本は家であり、家の本はこのわが身であることをとかく忘れがちだ。一身が修まらないで、天下国家を論じたとてなにになろうぞ。>

天下国家が治まり地上に天国を築くには、まず自らの身を治め、幸せな家庭を築くことが始まりとなる。
「宗教の目的は、地上天国の建設にあるが、それを実際に行うのは人間である。人間一人一人の幸福にとって一番重要なのは、家庭であり結婚である。一国の王様といえども、家庭が幸福でなければ、人生の幸福は得られない。ここに重要な出発点がある(出口日出麿)」。ここに宗教の原点がある。

だから結婚はとても重要なことである。「人生にとって、もっとも大切なことは結婚だ。これが失敗したら、その人の一生は失敗である。それでも、まだ魂のほぼ相合うのは結構だが、その差がはなはだしくなるほどやりきれなくなる。ああ若者よ、その他の何物の得なくともよい、真の愛だけは得てくれ!(出口日出麿)」

  • 多くの問題を抱えている現代の家族

ところが、現代の家族は多くの問題を抱えていて、幸せとはいいがたいものである。当然ながらその中で育つ子供達も幸せではない。人は平和と幸せな世界を築きたいと願うものの、結婚と家庭を築くことにしり込みしている。また家庭を築いたとしても、お互いに理解しあえず離婚となることが日常茶飯事である。現在、人生の基地となる家庭の多くは壊されており、人生が幸福であるかといえば疑問符が付く。現在家族が抱えている問題は、複雑でやりきれないものが多い。

天理教の教義では、結婚は男女それぞれの因縁を寄せる人生の大事であると説かれている。結婚は、男女それぞれの因縁を引き寄せるのである。ブログ〔ブログ2014年11月11日家系の法則3-先祖の因果が子に報う〕で語ったような形で、実際の家庭の中に問題が起きてくるのである。多くの家庭で、外には内緒にしているものの複雑な家庭問題を抱えていることが多い。誰にも大っぴらに相談しづらいものなので、一人で悩まれているケースが多い。何が悪かったのかもよくわからず、方策を見つけきれない。家庭には、先祖からの罪科が集中して現れてくるのである。兄弟仲が悪いとか、両親の仲が悪いとか、家庭内暴力が止まらない、子供の閉じこもりとかいう問題は、自分に原因があるというより先祖から持ち越してきた問題なのである。そして、仲良くできないことを当たり前として、「兄弟は他人の始まり」と争いが始まることは当然のことと思われてきた。

では、いつから家庭は壊されたのかといえば、人類の創生時に壊されたようだ。聖書は、そのことをアダムとイヴの話として伝えている。上に述べた古事記は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが、婚(まじわ)りをして、「女が先に言ったのはよくなかった」と仰せられたけれども、とにかく寝屋におこもりになって、水蛭子(ひるこ)をお生みになった。>何かの間違いがあって水蛭子(ひるこ)=不具の子が出た、と語る。どうも、男女の交わりに第一の原因があり、そののち生まれて来た子供が健全ではなかったと伝えている。聖書によれば、アダムとイヴの子供カインとアベルの間では人類最初の殺人が行われたと記述されている。

幸せであるはずの家庭の破壊は、人類創生から始まっているようだ。そして、直視しなければいけないことは、人類始祖に起きた家庭の悲劇は、現代でも日常的に起こされているという現実である。このことが、家庭が不幸になる原因である。

  • 家族が抱えている問題は、子孫が解決しなければならない

男女それぞれが引き寄せた罪科が、家族の抱える問題となっている。先祖の犯した罪科は、子孫が解決しないといけないものである。先祖の業を関係のない人が償うという理屈は成り立たない。

「霊界で罪科に苦しむ霊魂を救うには、神への祈念とともに、その霊魂と因縁のある者が、なんらかの形で、代わって罪のつぐないをせねばならない。その霊魂の負う罪の多寡、また救済する者の祈念力の大小で、“あがない”の規模、期間に差違はあるが、いずれにしても、この形はふまねばならない。このことなくして現界からの霊魂の救済はない。」(出口日出麿)

 

  • 地上天国の理想は家庭から

「この世の改造ということが、そう手っ取り早くできるものではない。表面だけの改造なら今日の日でもできるけれども、それはまたすぐに壊されるものだ。神さまは、“得心さして改心さす”と仰っている。“悪でこの世が続いていくかどうかということをみせてあげる”と仰っている。“渡るだけの橋は渡ってしまわねばミロクの世にならぬ”と仰っている。どうもそうらしい。せめて世界中の半分の人間が、なるほどこれは間違っているということを心の底から気づいてこなくてはダメだ。(出口日出麿)」

地上天国を築くということは、共産革命のように制度改革をすれば済む問題ではない。人間が築くものである以上、人間が得心して心が変わっていなければできるものではない。それは、一人一人の人間が本心に目覚めることであり、人生の基地となる家庭に天国を築くこと、それが最初の一歩である。地上天国の理想は家庭から始められなければならないのである。

聖書のヨハネの黙示録に小羊の婚姻が描かれているが、エデンの園の再興は、幸せな結婚と家庭づくりから始まることを示唆しているのである。

宗教はなぜ儀式と浄財を重んじるのか?(1)

誰もが神社に参拝する時、神に祈りを捧げる時、供え物をする。神が本当に聞いていると思っている人はわずかかもしれないが、そのように行う。供え物は、自分の心の正直な証というつもりであるのだろう。私の本当の気持ち、願いが参拝と供え物という形になって表われているのだ。神の前では人は皆敬虔である。

このためであろうか、供え物は貴重なもの、清らかなものでなければならないというのが古来宗教の教えて来たことである。神に豊穣の感謝の祈りを捧げる時は、もっともよくできた初穂を捧げるのが鉄則である。心のこもったものを供えないと、神に受け取ってもらえないという恐れを感じるからであろう。

アニミズムシャーマニズムという土着宗教だけではない。旧約聖書に出てくる最初の供え物は、アダムとイヴの息子カインとアベルの供え物である。地を耕す者となったカインは、地の産物を、羊を飼う者となったアベルは群れのういごと肥えたものを供えた。人類は、神につながるためには供え物が必要であるということを創世記の時代から感じていたのである。

 

(1) 宗教が教えて来た浄財の姿

 

1-1、仏陀の最初の在家(一般人)への説教
仏陀の最初の在家への説教は、ベナレスの富豪の息子、人生に煩悶し懊悩していた青年ヤサに説教したのが最初であるとされている。「青年よ。ここに来るがよい。うとましさを脱した安らかな境地を教えてあげよう」と呼びかけられた。
釈尊は、順を追って説法された。
施論ーまず説かれたのが、他者への施し、布施についてである。布施は慈善とは違う。慈善は、他人のためにする行為であるが、布施は自分のためにする行為である。仏教は、自分の大切なものを人にもらっていただく。そうすることによって自分の気持ちが安まるから、お布施をさせていただくのである。「相手がありがとうというべきだ」という考え方は、相手を乞食扱いしている。布施の功徳を積むことによって、心が浄らかになる。正しく世界を見られるようになる。(ほんとうにそうである。)
戒論―次に基本的な戒として五戒を説いている。五戒は、命令ではない。a,不殺生戒、b,不妄語戒、c,不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、d,不邪淫戒、e,,不飲酒戒(ふおんじゅかい)。このような善い習慣を身につけようという意味である。そして、戒を犯したとき、素直に自分の過ちを反省して謝罪する(懺悔―さんげと読む)。自分の弱さを自覚してそれを懺悔するのが仏教者の生き方である。
生天論―因果応報の思想
わたしたちが布施の功徳を積み、そして戒を守って行くならば、わたしたちは必ず来世において天界に生まれることができる。逆に、わたしたちが布施の功徳を積まず、破戒をしながらなんの反省もなく、悪事を積み上げるならば、来世は必ず地獄に堕ちるという教えである。輪廻転生を信じたインド人は、未来における果報を「天に生まれる」と表現した。
この布施・戒・因果応報の三論がわかってはじめて仏教に入っていくことができるといわれた。

(ブログ2012年5月13日「 仏教のミニ知識1-釈尊の教え」)

布施・戒・因果応報の三つは密接に結びついているのである。(出家は、身施にあたる。)


1-2、空海弘法大師)の行った社会事業宗教的背景

空海弘法大師)は、多くの社会事業を行ったことでも知られている。香川県に残る満濃池は、周囲20キロに及び、この巨大な池の修築工事は空海の数ある業績の中でも、確かな史実として伝えられる代表的なものである。
空海は、なぜ多くの社会事業を行ったのか。その理由は、古代の勧進にあった。宗教者の衣食住、布教・法会・儀礼などの宗教行為、ついでその場となる寺院や堂塔、そこに収まる仏像並びに経典はすべて勧進によって集められた資縁(集められた金品)にかかっている。

古代、聖の勧進は、信者団体を結成して因果応報からくる悪果を説いてそれを免れる滅罪のための宗教的作善と社会的作善を行うという形ではじめられた。死後滅罪の一番良いのは、社会に奉仕することだと考えられていた。行基は、罪滅ぼしの奉仕をしなさいと言っている。社会事業のために橋を架けたり、道を造ったり用水を引いたりしたのではなく、そうすることによって行った人自身の罪も滅び、亡くなった人の罪も滅びるという理由である。

行基は、たびたび「罪福の因果を説く」と述べている。行基は、古代呪術と唱導巧みによって数千の人を集めたといわれる。四十九院といわれる多数の寺や道路・橋・溝・造船などの社会事業を行った。朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な支持を得てその力を結集して逆境を跳ね返した。その実績を認められ、後に大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として、聖武天皇により奈良の大仏東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。古代の社会事業の背景にも浄財の思想は息づいていたのである。

 

1-3、アブラハムのイサク燔祭

 供え物・燔祭といえば、忘れてならないのがアブラハムのイサク燔祭である。この燔祭は、神がアブラハムの信仰を認め、アブラハムがユダヤ教イスラム教キリスト教の祖としてその起点となる重要な供え物である。信仰の勝利は、子々孫々の繁栄を約束されるということにつながることになる。ひとり子を捧げるという不合理極まりない決断をしなければならなかったアブラハムの真情を神は見ておられたのである。

このように信仰による供え物は、不合理で人間には理解できないことが多い。合理的な思考になれた人から見れば、馬鹿げたものに違いないだろう。しかし、そこに神が存在するとすれば、答えは自ずから変わるのではないか。その場面を聖書から抜き出してみよう。

 「アブラハムよ」神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」と。

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。

そして、アブラハムを祝福して言われた。

「わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしはあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである」。(創世記22-1~19)

 

神は何をアブラハムに願ったのだろうか。モルモン書(モルモン教の経典)が答えている。人間が神と和解することを願ったのである。

アブラハムイサクささげようしたことは、神(かみ)神(かみ)独(ひと)り子(ご)相(そう)似(じ)あった。人(ひと)贖罪(しょくざい)通(つう)じて神(かみ)和(わ)解(かい)しなければならない。(モルモン書ヤコブ諸第4章)

宗教はなぜ儀式と浄財を重んじるのか?(2)

1-4、キリスト教献金

 聖書は、献金には神様の大きな恵みと祝福が伴うことを教えている。 「献金とは、会費・寄付金・説教の聴講料ではなく、イエス・キリストを信じた人が、その感謝の心を、神に対して金品をもって表わすものである。従って、感謝もなく、強いられたり、いやいやな思いでするなら、むしろしない方がよろしい」。

「金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は、欲ばって金銭を求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦難をもって自分自身を刺しとおした」(テモテへの第一の手紙6-10)

「信仰」とは、ある意味で抽象的なものである。人の信仰は目に見えないからである。しかしその「信仰」が、その人のお金や献金への態度になると、具体的に現われてくる。献金は信仰のバロメーター」とよく言われるゆえんである。献金という具体的な形を取ろうとすると、心の中にすぐっている醜い私が顔を出すのである。

またキリスト教では、十一献金をいう。マラキ書は次のように述べている。
「あなたがたはわたしのものを盗んでいる。………それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。………十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て………こうしてわたしをためしてみよ。」(マラキ書3-8~10) 

神が求めているのは、私達の献金ではない。神が求めているのは、私達自身との深い交わりなのです。そして「あふれるばかりの祝福」を私達に注ぎたい、と願っておられることにある。そのすばらしい神と私達との交わりを、お金に対する執着などというもので壊してしまってはいけないと言っているのである。   

十一献金は、決して「教会の税金」ではない。十一献金の正確な意味は、「私達の全ての必要を満たして下さった神への、私達の感謝と献身の表現として、私達は『全て』を、つまり『十分の十』を神にささげるということ。すると神は十分の一を取って残りの十分の九を私達の生活のために下さる。」ということである。そして、神は私達の生活の必要を必ず全て満たして下さる、と約束して下さっていることを忘れてはいけない。

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ福音書6-24)心に留めておきたい聖句である。

参考:http://www.imcj.org/bible/abc/l6.html

 

1-4、天理教中山みき教祖の「貧に落ち切れ」

 天理教の教祖中山みきさんの浄財はすさまじいの一言に尽きるものである。

中山みきさんは、天保9年(1838年)10月26日、「月日のやしろ」と定まられてからは、まず「貧に落ち切れ」との親神様の思召のままに、貧しい人々への施しに家財を傾けて貧のどん底への道を歩まれた。

1853年、夫・善兵衞が田地3町歩と屋敷を遺して病死すると、かねて宿願どおり「これから世界のふしんに掛る」といって、母屋を売却して一家は八畳と六畳の隠居所に移った。

このような常人には理解し難い信仰は、親族の反対はもとより、知人、村人の離反、嘲笑を招かずにはいなかった。しかし、貧窮の中で成長した五女こかんは、老いた母の真摯な信仰に引かれ、大坂の町で最初の布教に赴く。

その後さらに十年ほどのどん底の道中も、常に明るく勇んでお通りになり、時には食べるに事欠く中も「水を飲めば水の味がする」と子どもたちを励ましながらお通りになった。

こうした道中を経て、三女はるの初産の「をびや許し」を道あけとして、不思議なたすけが次々と顕れるにつれて、教祖を生き神様と慕い寄る人々が現れ始めていく。

「あしきはらひ」のおつとめに教祖が「貧に落ち切れ」と言われたのは当時の中山家だけ

開教直後の中山みきは、幾度も池や井戸へ投身を企てるなど、神と人との間のはげしい内面的矛盾の中を歩んだ。(中略)中山家の没落は、開教後の中山みきの、際限ない施与が原因とも伝えられているが、中山みきは、「貧に落ち切れ、貧に落ち切らねば難儀なる者の味わいが分からん」との神の命を聞き、すべての人間の救済を実現するための神の意志として、「谷底」への道をよろこんで迎えたという。「谷底せりあげ」すなわち民衆の救済は、中山みきの考えでは、中山家が「谷底」に落ち切ることによって、はじめてその第一歩を踏み出すはずであった。
(参考:村上重良「中山みき天理教」日本思想体系67「民衆宗教の思想」岩波書店1971所収)

 

信者を代表して中山みきさんが浄財をなされたのである。ちょうど、アブラハムがイサク燔祭をしてユダヤ教の始祖となったように、中山みきさんが神との和解の道を切り開かれたといえよう。大変敬服すべきことである。

 

1-5、儒教と祭祀

 孔子自身は、多くの儀礼について語ったが、厳密にいえば宗教的な話題には言及したことがない。鬼神に仕えることについて聞かれた時、「未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん(人に仕えることもできないのに、どうして鬼神に仕えられよう)」(先進第十一)と答えている。

ただ、中国では古来、自然=事物と鬼神とは表裏一体のものとして捉えられていた。自然や堅物の裏側に、ある霊妙なものの存在が予感されていた。『周礼』大宗伯にみえる雨師・風師は、雨や風の背後にあってそれらを現象せしめる神である。『中庸』第16章の「物に体して遣すべからず」というのも、より原初的には物の背後にある笹神などの鬼神をいっている。

孔子の孫、子思がまとめた『中庸』第十六章二節には次のように記述され、その重要性が指摘されている。

視之而弗見。聴之而弗聞。体物而不可遺。

<訓(鬼神は)之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺す可からず>

仏教の挑戦を受けて再興された近代儒教宋学朱子学)では、霊妙な世界(霊界)は、鬼神が充満し、その物をその物たらしめている「物に体する(体物)」空間として説明した。鬼神は民衆の世界においては、日本語の「オニガミ」のように、具体的なお化けや幽霊、物の怪などを意味する。(「朱子語類」の記述でも最後のところで民衆の信仰の一端が書かれている。)

しかし朱子学では、鬼神は具体的なオニやお化けという実体があるのではなく、「二気(陰陽)の良能」(張横渠)として、気が帯びている陰陽の作用によって分かれる気の霊的エネルギー状態に「神」「鬼」という名をつけている。自然科学のように、陰陽の作用として受け止めている。(気が伸びるのが神、気が屈するのが鬼である。)

もの、すべての存在は、陰陽二気が凝集することによって生まれ、すなわち存在を開始し、それを散ずることによって存在を終える。物の体、物の骨子を形づくっているものが鬼神である(『朱子語類』九八)。物に体して遺す可からず」とは、鬼神があるからこそ物がある、という意味である。物の芯、骨格ともいうべきものであって、存在にリアリティを与えているのが「鬼神」なのである。

この説明を聞くと、霊的世界を他の宗教と形は少し違うがエネルギー的なものとして存在を前提にしていることがわかる。

 

では、儒教の祭祀であるが、このことについても朱子が「鬼神論」の中で述べている。

ところで人間が死ぬと、最後には散ってしまうことになるが、すぐに散ってしまうわけではない。だから祭祀に感格の理があるのだ。はるか遠い昔の先祖の場合、その先祖の気の有る無しはわからないが、しかし祭祀を取り行うものが、その人の子孫である以上、結局のところ気が同じなのだから、感通の理はあるのだ。しかしもはや散ってしまった気は、二度と凝まることはないのだ。ところが仏教徒は、人が死ぬと鬼になり、鬼がふたたび人になると考えている。もしそうなら天地の間には、常に大勢の人々が行ったり来たりしているだけであって、決して造化のはたらきによって生々しないのだ。こんな理は無いにきまっている。たとえば伯有の怨霊が祟ったという点になると、程伊川は別種の道理があるといっている。思うにその人の気がまだ尽くべきでないのに変死した時には、祟ることができるのであろう。子産が伯有のために跡目を立てて、落ち着き場所を与えてやったので、祟らなくなった。子産も鬼神の情状を知っていたといってよい。」

*感格:祖先の魂が感じてやって来る。

人に祟るものの場合は、まともな死に方をしなかったものが多い。その気が散らないので、結ばれて祟るのだ。体がひ弱くて病死した人の場合は、気が完全に消耗してから死ぬので、二度と結ばれて祟るようなことはない。しかしまともな死に方をしなかったものも、しばらくたつうちに散る。

問う。「子孫が祭祀を行う時には、誠意を尽くして祖先の精神(タマシイ)を集めますが、一体、祖先の魂気と体魄を合せるのですか、それとも魂気を感格させるだけですか。」

先生いう。蕭〔ヨモギ〕と祭脂(イケニエノアブラ)を焫(ヤ)くのは、〔祖先の魂〕気に報いるためであり、鬱鬯(ウツチョウ)の酒を〔地に〕灌ぐのは、〔祖先の体〕魄を招き寄せるためである。つまり祖先の魂気と体魄を合わせるのだ。いわゆる『鬼と神とを合はすは、教への至りなり』だ。」

やはり儒教も、儀式と供え物を重視しているのである。

〔参考:ブログ:2015年10月11日  朱子朱熹)の鬼神論(1)(2)〕

宗教はなぜ儀式と浄財を重んじるのか?(3)

  (2) 浄財の否定論の根拠

宗教がこのように昔から供え物・浄財を説いてきたにもかかわらず、現代では浄財に懐疑的な人が多数派である。特に合理的思考に慣れてしまっている現代人は、信仰の論理そのものが理解できない。信仰とは心の問題である、心が浄財や儀式で救われるはずがないという論拠によって完全に否定する。

浄財・献金をすることによって心が変わるはずがない。ものと心がつながっているなどという論理は非科学的であるとされる。心理学と脳科学の研究は、人間の思考と記憶、感情の問題をだいぶ解明してきており、脳の役割が解明されると心が何であるかわかると思われている。ノーベル賞受賞者である利根川進理化学研究所理研)脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター、センター長>のグループは、「光遺伝学によってマウスのうつ状態を改善―楽しかった記憶を光で活性化―(2015/6/18)」を発表し、うつ様行動を示すマウスの海馬の神経細胞の活動を操作して、過去の楽しい記憶を活性化することで、うつ様行動を改善させることに成功したと発表されている。脳科学は、人間の意識変革さえ可能であるようにも思われている。このような科学研究の状況下において、浄財と心の変化の相関性があるなどという研究は荒唐無稽であろう。科学は霊界の存在に否定的であり、浄財の効能についても懐疑的である。神からのメッセージ、霊界からのメッセージというものもほとんど信じられないことである。

 

否定論の論拠となっているのは、頭ごなしに「この世界は我々が感じ取っている現世(現実世界)だけである」という認識であり、霊の存在と霊的世界を妄想であると断定することにある。このように否定することによって、人間は心の不安を取り去り心の安定を保っているともいえる。

もし、世界がこの現実世界だけでできているとしたら、浄財の否定は正解である。しかし、私たちは現世の他にわれわれがまだよく知らない世界があることを感じ取っている。死後の世界の有無、幽霊とかお化けとかとか言っている霊的世界について完全否定できる人は少ないだろう。うすうす気づいている方の方が多いだろう。

科学も、超常現象について関心を深めている。生前の記憶を持つ子供の研究とか疑似死後体験の後生き返った人の調査などの研究が積み重ねられている。また、地球意識プロジェクトでは人間が意識を集中させると、意識のパワーが確立1/2の世界を変えるということを証明している。(ブログ 2014年4月29日 「祈りと祈りの力、そして意識連鎖」参照)
スピリチュアリズムが人々に受け入れられる日はすぐそこまで来ているといってよい。
霊界は実在しているのである。

 

(3) 霊界から現世の人間の行動が見えているとしたら

 大正時代初期に大本教で本田式鎮魂帰神術という霊媒術が流行した。霊界から霊を降ろし降りてきた霊(神)に必要な質問を浴びせ、もしそれが邪霊・邪神の類であると判断された場合には、戒告、なだめすかしたりした。しかし、あちらの世界から戻って来れなくなったりして、多くの問題が生じたため原則禁止になった。この霊媒術は、比較的簡単にできたため大変はやった。

ここで言いたいのは、霊界との交信は科学的方法としてはまだできないが、宗教的方法としてはできるということである。

つまりこの現実世界とは別に霊的世界を多くの人が実感できたのである。大本教の出来事は、日本に心霊科学協会の設立を促し、スピリチュアルの世界に多くの人の関心を引き付けていった。

ただここで問題なのは、やみくもに交霊すると問題が生じるということである。霊界には、神(善霊)が存在する一方、悪霊(邪霊)が存在していて、こちら側に影響を与えてくるのである。かつてのブログで、「煩悩の背後に悪魔は存在する。そしてこの世を支配している」と書いた。神(善霊)だけが霊界にいるわけではない。悪魔(悪霊)も存在していて、現世の人間に影響力を及ぼしているのである。守護霊とか憑依霊という形で影響を及ぼしてくるのである。

神(善霊=善霊、神の側にいる天使)が働くと、時間の経過とともに人間に平和感、すがすがしさ、正義感を増進させ、健康も増進させる。一方、悪魔と悪魔の側にいる悪霊が働くと、時間の経過とともに不安と恐怖、利己心を増殖させ、健康をも害するようになる。自らの心の中を省察すると、善霊と悪霊が入り混じりながら存在していることに気がつくだろう。

 

さて、表題の「浄財」という現世での人間の宗教的行為であるが、この行為はその人が悪霊側から神側に移りたいという意思表示の行為である。生命の次に大切な「お金」を捧げることを通して、悪魔の支配から神に仕えるという選択を示すのである。お金はこの世で生きていくために欠かせないものであり、お金には蓄われる過程の多くの思いが込められている。それだけに決意が固いとみなされる。心の決断だけではすぐ心変わりしてしまいやすいし決意は定かではない。

もし、霊界から見ている存在があるとすると、浄財・儀式という形にすることで決意が本物であると認めることができよう。「浄財」という儀式を通して、神側と悪魔側が取引をしているのである。

仏陀も言っているように、「布施の功徳を積むことによって、心が浄らかになる。正しく世界を見られるようになる」。浄財を通じて悪魔側から神側へと、心が転換するのである。浄財にあたって大切なことは、霊界には神(善霊)と悪魔(悪霊)がともにいて、自分がどちらの声に耳を傾けているのかをよく熟慮・自省し、自分自身が十分納得したうえで行うことである。私は、神側か悪魔側かのどちらかにつこうとしているのである。

 

最後に、供え物がすべて条件として神に受け取られるのではないということも付け加えておきたい。神への供え物は必ず受け取られるとは限らない。受け取られない場合もある。

人類最初の神への供え物として聖書に記述されているアダムとイヴの息子、カインとアベルの供え物の内、神(主)は、アベルとその供え物は顧みられたが、カインとその供え物については顧みられなかった。カインは大いに憤って顔を伏せた。そこで神(主)はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか、正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しいことをしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければありません」。(「創世記」4-4~7)

 

受け取る時期ではないとか条件が足りないとか方法が違うとか心情が不純であるとかの原因があると、受け取られないことがあることを付け加えておく。

「易経」が教える循環と苦難への対処(2)

竹村亞希子さんは、現代は「追い剥ぎに遭う時」山地剥の時代だといわれています。まさしくひとつの時代が終わろうとしています。このような時代には、時代を追いかけるのではなく、達観・内省して向かうべき未来、次の時代を見通すことが大切になります。このような姿勢を謙虚に持ち続けていると、どこかに次の時代の兆しが見出せるはずです。これが「陰」の時代の姿勢なのです。

易経』は、次のように説いています。陰の時代「塞がっている。進もうとしても進めない。希望がない」時代には、どのように歩めばいいのか。『繋辞伝』に、「戸を闔(とざ)すこれを坤と謂い、戸を闢(ひら)くこれを乾と謂い、一闔一闢(いっこういっぺき)、これを変と謂う」

ものごとは、扉が開いたり閉じたりするように、ある時は開き、ある時は閉じる。終わりなく開閉がくりかえされてすべてのものごとは発展していく。扉が開いて通じる時は外に出て積極的に活動し、閉じて塞がるときは活動のエネルギーを充電するために休息するのです。

 

(2)「陰」の時代、「坤為地」の教え f:id:higurasi101:20151124190931p:plainf:id:higurasi101:20151124190931p:plain

「陽の時代」の生き方を教えるのが、天の働きを説く「乾為天」ですが、「陰の時代」の生き方を説いているのが、地の働きを説いている「坤為地」です。「坤為地」は、卦の卦象がすべて陰の爻でできた「純陰の卦」です。陰の代名詞、大地は、母なる大地として天のパワーを虚心に深く受け容れ、その中から新たなものを生じさせ、地上の万物を生み育てていきます。これが、「陰」の時代の特質です。

この卦は、「したがい、受け容れる時」をあらわす卦とされるのです。受け容れて従順に従うことで力を発揮する時なのです。「陰」の道は、妻の道、臣下の道といわれ、従順な牝馬のように大地の働きにならって柔順に受け容れてしたがっていくならば、ものごとは正しく健やかに大きく循環して通じていくとされています。

 

卦辞坤は、元(おお)いに亨る。牝馬の貞に利(よ)ろし。

君子は往くところあるに、先んずれば迷い、後るれば主を得。西南には朋を得、東北には朋を喪うに利ろし。貞に安んずれば吉なり。

彖(たん)に曰く、至れるかな坤元、万物資(と)りて生ず。すなわち順(したが)いて天を承(う)く。坤は厚くして物を載せ、徳は无彊(むきょう)に合し、含弘光大にして、品物ことごとく亨る。牝馬は地の類、地を行くこと彊(かぎり)なし。柔順利貞は、君子の行うところなり。先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)いて常を得。西南には朋を得とは、すなわち類と行けばなり。東北には朋を喪うとは、すなわち終(つい)慶びあるなり。貞に安んずるの吉は、地の彊(かぎり)なきに応ずるなり。

象に曰く、地勢は坤なり。君子をもって徳を厚くして物を載す。

 

<最初の「坤は、元いに亨る。牝馬の貞に利ろし」は、易経64卦の卦辞にあたる一文で、最古に書かれた言葉です(そのほかの文章は、後に書き加えられた解説です)。乾為天の卦辞「乾は、元いに亨りて貞しきに利ろし」と比べると、牝馬の部分をのぞいて他は同じ卦辞となっています。陰の時代は、大地主導の時代であり、天の宜しきを得て、天地が交わってものごとが進んでいく時なのです。

牝馬」は、繊細でわがままで牡馬に比べ扱いにくいといわれています。しかし、一度人を信頼して馴れたならば100%の力を発揮して働きます。このことから、天の働きを徹底して受け容れてしたがう大地の働きに例えて牝馬が登場しているのです。

「先んずれば迷い、後るれば主を得」-閉塞した時は無理に何かをしようとしても、天の時も地の利も整っていないので迷うだけだと教えています。淡々と泰然自若に現実を受け容れて、逆境にさえしたがっていく、貫き通すことが大切だというのです。先走れば迷うだけで、あせらず後からついていきながら力を蓄えることが大切だというのです。

「西南には朋を得、東北には朋を喪うに利ろし」-「西南」は、太陽が進行する方向という意味で、気楽で親しみやすい人とは朋になるが、「東北」は太陽の進行と逆行する方向という意味で、慣れない親しめない方との関係に苦労するということです。気楽でない方向にしたがうとは旧来のものの考え方を忘れるぐらいの気持ちが必要で大変であるが、その苦労を乗り越えると開けてくるのです。

「東北に朋を喪うとは、すなわち終に慶びあるなり」―したがうということがしっかりできたなら、立場に変わりはなくても、ついには「あなたがいなければやっていけない」といわれるほど、なくてはならない存在になるということです。

「至れるかな坤元、万物資(と)りて生ず」とは、大地の徳はなんとすばらしいのだろう。すべてのものはここから生まれるということです。大地は雨がどれだけ降ろうが嵐が来ようが、美しいもの、みにくいものを選ばず、いやがらず、一切合切を受け容れます。限りなく受け容れて、したがい、生み育てることは、発するだけの陽にはできません。つまり、それが陰の強みなのです。地層が積み重なるように、土壌に栄養が蓄えられ、あらゆるものごとを生み出し育て形にしていくのです。

陰は陽によって動き方が変わるともいいます。陰は、何でも受け容れるので、清濁あわせのむので、善だけでなく悪をも育ててしまうことになります。このため、爻の初爻の「霜を履みて堅氷至る」という説明は、重要な戒めを説いています。秋の深まった朝、庭先に降りた霜はやがて厚く堅い氷に育っていくという意味なのですが、悪が育っていく兆しを見逃してはいけないという戒めの有名な言葉です。「少しくらい大丈夫だろう」と悪習を積み重ねていけばやがて身動きのとれない大きな災いに至ると言っているのです。悪事を早い段階で厳しく戒めないと、悪に染まってしまうのです。

陰の時代に重要なことは、陰は陽に正されないと方向転換ができないということを忘れてはいけません。陰の時代は、悪にそまらず、正しいものにしたがうこと、自分のことだけ考えて私利私欲に走らないことが重要なのです。悪に染まってしまえば、大変な時代になるでしょう。その上に立って、「大人を見るに利ろし」といって、「自ら陰徳を生み出しなさい。さもないと亢龍になる」と教えています。陰の時代は、未来を見据えて自分自身の土壌づくりをする時代なのです。

 

(3)苦しみに遭遇した時の教え「坎為水(かんいすい)」 f:id:higurasi101:20151124191108p:plainf:id:higurasi101:20151124191108p:plain

重病を患う、災害に見舞われる、大切な人をなくすなど人生に一度あるかないような苦しみに陥った時の教えを説いているのが、「坎為水(かんいすい)」の卦です。64卦の中でも大きな苦難をあらわす「坎為水」<四大難卦のひとつ>は、昔から多くの賢人に愛読されてきました。「坎為水」の卦名の下の「習坎」は、「苦しみに習う」という意味で、特別に別名として「習坎」と呼ばれていす。

 

卦辞習坎(坎為水)は、孚(まこと)あり。これ心亨る。行けば尚(たっと)ばるることあり。

彖(たん)に曰く、習坎は、重険なり。水は流れて盈(み)たず、険を行きてその信を失わざるなり。

これ心亨るとは、すなわち剛中なるをもってなり。行けば尚ばるることありとは、往きて功あるなり。

天険は升るべからざるなり。地険は山川丘陵なり。王公は険を設けて、もってその国を守る。険の時用大いなるかな。

彖(たん)に曰く、水洊(しき)りに至るは習坎なり。君子もって徳行を常にし、教事を習う。

<卦名の「坎為水」の水は苦しみをあらわし、坎は土が欠けると書いて穴を意味します。水が次々に押し寄せてくる。苦しみに次ぐ苦しみ、どん底を経験する時をあらわしています。「習坎」とは、苦しみを重ねることによって多くを学ぶということです。

苦しみの時は、心をしっかり持ってその時を通っていくのだよ、と教えています。苦しみの時を通っていくには、水の性質に習うことです。水は柔らかい性質をもち、丸い容器に入れたら丸くなり、流れるところがあれば、障害物にぶつかってもとめどなく流れていく。苦しい時には立ち止まらず、生きるために必要最低限のことをやって、ほんの少しずつ進んでいくのが大切だと説いているのです。絶対に苦しみから逃げてはいけません。「孚(まこと)」とは、誠心誠意の真心、信じる心という意味です。「心亨る」とは、苦しみから逃げずにいることで、真心と信念が虚しく苦しい時を貫いていく、ということをいっています。

天は高く昇ることができない険しさをもっています。地には険しい山と川があります。王は険しい城壁、堀などを築いて国を守ります。「時用」とは、できれば経験したくない時ですが、時としっかり向かい合うことで、この苦難の効用は大きくなります。そして大きな苦難を乗り越えた経験は、その後の人生を支え、より充実させるものとなるでしょう。君子は次々と押し寄せる苦しみに教えを乞うほどに習い、人生の教示を学ぶのです。>

苦しみの時は自分から逃れられません。だから勇気をもって自分から飛び込むくらいの覚悟を持った方がいいのです。「身を捨てて浮かぶ瀬あり」の覚悟が必要なのです。苦しいから逃げたいと考えたり、運が悪いと嘆いたり、人や世間のせいにしても解決になりません。逃げ出すことは諦めて、苦しみの中で水のように自然体で泳いでいくのです。煩悩や観念というものは打ち捨てて、今を生きるのです。そうしていると、苦しみの中に光明を見出すことができると説いているのです。

(参考文献;竹村亞希子著「超訳易経 自分らしく生きるためのヒント」角川SSC新書