地球に平和を招来するためには、原罪(罪の根)の清算が鍵となる (三) なぜ、罪の根を清算する必要があるのか

(1)今の世相をみれば、罪の根が人間を苦しめているのがよくわかる

 今の世相を見れば、現代人は善悪がわからなくなり自己破滅の状態に陥っていることがわかる。精神的病を患う人は数多であり、この地上での生活は苦悩に満ちたものである。世相を賑わす事件は、性の問題と殺戮、家庭内の不和。どれも人類始祖のアダム家庭で起きたことの繰り返しなのである。もう解決策はないかのような状態である。道徳を叫べども問題は解決されない。なぜなら、罪の根が一人一人の心の奥底あってまとわりつき苦しめているからである。

 人間の罪の根とは何か。罪とは何か。日本人は罪のわからない民族であるといわれている。罪を一言でいうならば、「神がわからない。神の意図がわからない。天宙で自らが立っている位置がわからない。だから神の願いに応える行動がとれない」ということになる。このことは、次の次元として「悪がわからない。悪主権(サタン)がわからない。当然ながら霊界という世界が理解できない。自己と他己の対立そのことが罪であることがわからない」ということになる。自らが神(宇宙の根源)と一つになっていない、一つになることがどういうことかわからない。どんなに細かい選択も、どちらかが神側でありもう一方がサタン側である。知らず知らずに悪の選択をしていることが多い。

 罪が清算されていくと、体がだるいということが減り、物事に集中することがしやすくなる。また、心が浄まると、ものごとの背後にある動機、人の行動の背後にある動機を感じやすくなる。自分は何をしなければいけないかが自明のこととしてわかるようになる。そうなればなるほど、罪の根が私と神との関係を引き裂いているということを感じるものである。

 そもそも最大の問題は、罪の根を持っていない人間、罪の根を清算した人間とはどのような姿なのかがはっきりしないことが大きな問題なのである。歴史上罪なき人間の姿は、イエス・キリストしかいない。仏教指導者が釈尊の悟りを語る時、超能力を得たかのように千里眼になると語るものだから、余計わからなくなっている。罪が清算されてくると、集中力が増し、創造力が啓発され、知恵が出やすくなる。また他人を思いやることが当たり前になる。この霊性の向上は、一世代で行えるものではない。何代にもわたる努力の積み重ねがあって向上するものである。

 

(2)罪の根(原罪)

<聖書 創世記第3章1~7>

001:さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは、女に言った。「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」と。
002:女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
003:ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
004:へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
005:それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
006:女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
007すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

 これが聖書が記述しているアダムとイブの堕落の箇所-原罪と呼ばれている-である。アダムとイブから受け継がれてきた故に原罪と呼ばれている。

 罪の根は淫行である。アウグスティヌスは、原罪をアダムから遺伝された罪とし、両親の性交を遺伝の機会として解釈した。多くの宗教が姦淫を最大の罪と見て禁欲生活を強調してきたのも、ユダヤ民族が贖罪の条件として割礼を行ってきたのも、罪の根が淫行にあることを感じ取って来たからである。また、淫乱によって多くの国家・人間が滅んでいった。

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」 (マタイ第5章27~30)

 

(3)サタンの血統とは、自己中心性の血統

 淫行は何故罪となったか。不自然な性の関係をもったため、人間と神との関係が切れたのである。そしてサタンの血統になったのである。サタンの血統とは、自己中心性の血統である。

へびと表示された天使ルシファーと不倫な血縁関係を結んだ人間は、神がわからなくなり、神の願う善の繁殖行為ができなくなった。代わりにサタンの悪の血統(自己中心性)の血統を繁殖するようになってしまった。この地上世界は、自己中心性の人間によって形成される世界となってしまったのである。

蛇が誘惑に使った決定的な言葉は、「目が開け、神のように善悪を知るものとなる」でした。神のように善悪を知るということは、つまり、神がいなくても自分がすべてを知っている、自分が神になるということに発展します。
現代でも自分は神であると自称する人が数多くいますが、本当の神を差し置いて自分が神になりたいという欲望はアダムとエバの時代から内在していました。自分が神のように振舞うことは神が最も忌み嫌われた罪です。(キリスト教聖書用語辞典)http://www.bible-word.org/content/%E5%8E%9F%E7%BD%AA/

 罪が入ってからの人間は他人と比較するようになり、お互いを蔑みあい、憎み合うようになった。自己中心的な考え方によって行動し、多くの対立抗争を引き起こすようになった。神との関係が損なわれると、自分が自分の主人であり、自分が神であるかのように振る舞うようになる。親子関係も破壊されてしまった。そこから、神なき世界が生れたのである。神なき世界は、強者の独裁の世界であり、暴虐の世界である。対立と抗争は、多くの憎しみと罪を生んでいった。原罪を背負った人間とは、サタンの血統をもっているということ」なのである。

 こうして堕落した人間は、神のわからない悲しい姿に転落し、互いに争い合い憎しみ合って分裂する社会を作り上げてしまった。堕落した人間の姿は、次の特徴をもつものである。

  • 神がわからなくなった。自己の立つ位置が分からなくなった
  • 自己中心性が芽生え、他人と対立するようになった
  • 他人と対立することにより、多くの罪の繁殖を行うようになった
  • 堕落は、淫行という行為によって起きたので、子々孫々に遺伝することになってしまった

 こう述べると、誰もがサタンの血統であり、原罪を背負っているということを自覚するはずであろう。

 

(4)原罪という堕落は現在も起きている

 現在は、堕落によって起きた憎しみと争いが頂点に高まっている時代である。一人一人の人間の中では、心が病におちいり、苦悶が頂点に至り、精神を正常に保つことができず、精神の崩壊という現象を起こしてしまっている。身近な人間関係では、互いに信頼関係を築けず、人間は孤独に陥っている。生存の砦である家族は不安定であり、人と人はいつ対立して別れることになるかもしれないと不安だけが支配している。国家世界も、対立の極みにあり、人類最終戦争が起きかねない状況である。不条理な淫行ももはやタブーでもなくなり、神の審判が下っても仕方がない状況である。

 神がわからなくなっている人間は、ソドムやゴモラが滅びた時のように、堕落行為を繰り返している。最後の審判によって滅びることになりかねない。滅んでもかまわないと腹をくくっている人も、死後霊界という世界が存在して、自らが死後地上で苦しんでいた世界へ行くことが分かると、それはそれで困ったことになるはずである。

 人類始祖に起きた堕落という失敗は、遠い昔の出来事というだけでなく、現在も繰り返し起きている悲しい出来事である。現在も人間は至る所で堕落を起こしている。堕落により人間は、再び未開の時代に戻らざるを得ないかもしれない。