仏教世界と弥勒菩薩

仏教が救済理念に基づいて構築した世界像は三界として表出されている。これは無色界、色界、欲界の三層からなる。最高位の無色界は四つの無色天から構成され、その最上位に非想非非想処天、いわゆる有頂天が位置する。次の食欲と性欲から解放された色界は四つの禅天からなり、最後の欲界は天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄のいわゆる六道からなる。

この中の天界は欲界六天といわれて、六つの天から構成される。それらは、下位から、①下天(げてん)あるいは四天王天、②とう(小へんに刀)利天(三十三天)、③夜摩天(やまてん)、④と兜率天(都史多天〈としたてん〉)、⑤楽変化天(らくへんげてん)、⑥他化自在天(たけじざいてん)と名付けられている。この中の兜率天弥勒菩薩が住む。

最底辺の地獄から最上位の有頂天にいたる重層的な成層、これが一世界の垂直表象である。

一方水平表象として、この一世界には須弥山(あるいは妙高山)を中心として同心円的に九山八海があり、そのもっとも外周の海が鹹(かん)海と呼ばれる。この海に四大洲がある。すなわち、人間の住む南瞻部(せんぶ)洲あるいは閻浮提(えんぶだい)、ついで東勝身洲、西牛貨(さいごけ)洲、終わりに異種族の住む北矍蘆(ほくくる)洲あるいは鬱単越である。最後に、この世界の極限として鉄囲山(てっちせん)が鹹(かん)海を取り囲む。

この一世界が千箇集まって小千世界、それがさらに千箇集まって中千世界、それがさらに千箇集まって大千世界となる。それらの総体が三千大千世界、いわば全宇宙である。これが仏教的世界の空間像である。一世界の内部は縦と横の序列でもって整然と組み立てられているが、ここには仏教的世界像の本質的多元性が現れている。

一方、人間は最高八万四千歳から百年ごとに一歳ずつ寿命が短くなって、ついには最低の十歳にまで達し、ついでまた百年ごとに一歳ずつ寿命が延びてふたたび八万四千歳にもどるとされる。この八万四千歳から十歳にいたる期間を滅劫といい、逆に八万四千歳に復する期間を増劫という。したがってそれぞれの期間は839万9千年となるはずであるが、八万四千という数字は仏教でしばしば用いられる聖数であり、劫とともにほとんど無限大に近い時間だと考えるべきである。この人寿減増の期間を一組みとして一小劫と呼ぶ。通時的に一小劫が反復されるが、最初の二十小劫を成劫、次を住劫、またその次を壊(え)劫、最後を空劫と呼び、世界は生成から解体の歴史をたどる。この計八十小劫を一大劫と呼ぶが、さらに過去の一大劫を荘厳劫、現在のそれを賢劫、未来のそれを星宿劫(しょうしゅくこう)と名付ける。人間を含めたあらゆる生きものはこの悠久の時の流れの中を輪廻転生しなければならないのに対して、弥勒菩薩はそれから免れてこの賢劫の期間に成仏することになっている。しかもまた、たとえば人間の世界の百年はとう(小へんに刀)利天(三十三天)のわずか一日一夜にすぎないとか、人間(人間世界)の400年は兜率天の一日一夜にすぎないとかいわれ、人界と天界の時間の尺度が異なっている。これが仏教的世界の時間像である。

仏教が作り上げた世界像は、他の宗教にはほとんど例のない精緻を極めたものである。この世界像の形成は、あきらかにバラモン教の世界像を基礎としつつ、仏滅後かなり後になって作られたらしい。

松本文三郎氏(「弥勒浄土論」1911)の研究によれば、兜率天の兜率は、本来歓喜、満足を意味する言葉であり、かつては兜率天が最高無比の地位を占めていたのが、のちになって次第にそのうえに新たな諸天がつぎつぎと築き上げられていったもののようである。というのは兜率天が諸天の最上位にあったからこそ、仏伝において、仏陀兜率天から白象となって摩耶夫人の胎内に宿ったと伝えられたのであり、またこの伝説に基づき、この伝説と二重写しになりながら、仏陀出世の未来における再現として、弥勒菩薩もまた兜率天からこの世に出現するという伝説が生まれ、ここに弥勒信仰が成立する必然性もあったとみることができるからである。

(安永寿延「弥勒信仰と弥勒の世」より 宮田登編「民衆宗教史叢書第8巻ー弥勒信仰」雄山閣出版1984所収)