正月行事と盆行事(仏教と神道の分担)

正月とは、年神あるいは歳徳神と呼ばれる神を各自の家に迎え入れてこれを祀る行事である。年神・歳徳神は各自の家のご先祖様の集合霊で、ご先祖様が各自の家に戻って来られ、家族がみんなそろって年神と一緒に食事をするー神人共食ーのが正月行事である。正月には各自の家が祭場となる。正月は、大晦日12月31日(昔の日本人は1日の始まりを夕方に置いていた)に始まる。ご先祖様は、大晦日の夕方に帰ってこられる。門松は、神の依り代で我が家の目印である。本当は、ユニークな門松でなければならない。大晦日の夕方に年神に神饌を供えて、翌朝その神饌をおろしてみんなで食べる。そのごった煮が雑煮である。(正月の箸が両端が丸くなっているのは、一方は年神が使われるからである。)正月の行事は、神道の祭りと思われている。

その一方、一年の中でご先祖様がもう一度帰ってこられるのがお盆である。

昔の人は、亡くなると精霊(ショウリョウ)になると信じていた。精霊流しという風習もここからきている。精霊とは、死んだばかりの霊魂で自分の死を受容できない荒れたいわゆる荒御魂(あらみたま)で怨念を持っている。これを仏教のお坊さんが葬儀と法要を行ってなだめる。精霊は、49日間で相当おとなしくなる。1周忌を迎える頃にはさらに静まるが、完全にはおとなしくはならない。この段階の霊魂を「仏」と呼ぶ。まだまだ荒れた霊魂なので、仏の供養を続ける。1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌と供養を続けるうちに、仏は荒御魂から和御魂(にぎみたま)に変わっていく。完全に和御魂になった状態が神(カミ)である。33回忌(弔上げ)で仏教僧の仕事は終わり、以後は神道が神(カミ)として死者を祀るのである。(一部では、50回忌をもって弔上げとしている。)

この仕組みが出来上がったのが江戸時代である。仏教と神道が分担して協同して先祖を祀るという「日本的先祖崇拝」が出来上がったのである。

したがって、盆と正月は同じ行事である。昔は、盆の挨拶に「結構なお盆で、おめでとうございます」と言っていたという。また、死者を出した家の人には、「新盆でお淋しゅうございます」という。