出口王仁三郎と理想世界、世界平和ー1

太平洋戦争敗北の時、満州に開拓に行っていた日本人は、命からがら本土に帰国した人がほとんどであった。大変苛酷な経験をされた。また、満州に日本人が入植して以来、中国人との関係は良くなかったとも聞いている。そんな中で、日本敗戦の時多くの中国人が日本人を助けてくれたという。帰国に連れて帰れない小さな子供たちは預かって育ててくれた。(その人々は大きくなって残留孤児と呼ばれてきた。)

私は、不穏な空気が漂っていた当時の満州で、日本のことをよく思っていない中国の人がよく日本人の子供を預かって育ててくれたものだと感心しながら、一方では不思議に思っていた。この疑問にいくばくか答えてくれたのが、次の記事である。やはり背後にそれなりの活動があったようだ。

週刊朝日』昭和40年7月23日号の「読者のイス」欄に、終戦時、険悪な空気の大陸で、40万(奉天だけでも)の日本人が生命を紅卍会や道院に助けられらたという記事である。大本とのつながりがあったのである。(出口京太郎著「巨人出口王仁三郎」講談社昭和42年*1)王仁三郎の大陸の人々に対する影響力は絶大であったという。いったいどのような活動があったのだろうか。

1、出口王仁三郎に対する世間の誤解

戦前、出口王仁三郎は日本歴史の悪玉四天王と呼ばれていた。弓削道鏡足利尊氏明智光秀と並び称された明治大正昭和の日本を大騒ぎさせた張本人である。怪物と呼ばれ、その評価は今なお定まっていない。常人の常識を超えた数々の行動(予言、鎮魂帰神法、霊界物語、満州・蒙古への冒険、けったいな服装、派手な宣伝)、そしてそこに集まってきた軍人、右翼、大陸浪人、文化人、政治家、経済人などの多くの著名人の輪は、時の支配者層を警戒させただけでなく、ほとんどの日本人に話題を提供し続けた。しかしその意図を理解することはほとんどむずかしかった。世間の人は、ただ唖然としてその行動を見つめ、ある時は喝采し、予言があたるとすごいと驚嘆し、弾圧を受けると皆で冷やかしていた。

いったい出口王仁三郎は何をしようとしていたのか。奇想天外な行動と一貫していない言動が多くの人を惑わすのだった。艮(うしとら)の金神に国常立命という名を与え、天皇制国家神道を仰ぐと言ってみたり、「皇道大本」と名づけてみたり・・・。第一次大本事件で逮捕されて警察での「聴取書」で「皇道大本とは如何?」と問われると、「皇道とは天皇陛下が世界(五大洲)を統御し給うという皇典の古事記の御精神を明かすにするの意味であります。・・・天皇は現人神にして、天照皇太神の直系の御子孫にして・・・」と答える。天皇制を賛美しているかのような言動をするかと思えば、一方では、「公認教にはならぬ。公認教になったら国家の法律に縛り付けられる」と、当局の神経にさわることをする。また、立替が始まるという大正維新(大正10年立替え説)、昭和維新の大キャンペーンを繰り広げたり、満州に宗教基盤を築いたりと国家の秩序を乱しかねない動きをする。時の権力者の枠を超えた行動は不気味であった。時の権力者は、度を越え危険な兆候を感じた時、弾圧を加えて抹殺してしまったのだった。

2、神示と予言(出口王仁三郎がなそうとしていた目的)

出口王仁三郎は、大本教開祖出口なおの娘すみの娘婿として出口家に入り、大本教二代教主出口すみとともに聖師(教祖)として大本教を引っ張っていく。もちろんその行動・指導の原点は、開祖なおのお筆書きである。なおのお筆書きは、簡単にいうと、こうである。
「神が表に現われて、三千世界の立替え立直しを致すぞよ。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ」

お筆書きには、この地上に神国の世(みろくの世-理想世界)を建設するため、精神界・物質界のいっさいを立替え立直しするという神の誓約が記されてあった。今の世は、“われよし”“強いものがち”の悪魔の心になっており、世を乱してきた悪霊を改心させ、善一筋の神の世、平和の世にすると宣言しているのである。そしてもし人類が改心しなければ世界に大難が来て、人類が3%に減じると予告されていたのである。

王仁三郎も、明治37年(1904年)の「道の栞」の中で、次のように述べている。(松本健一著『民間日本学者3 出口王仁三郎』リブロポート1986年より*2
世界の各国はいずれも皆、おのが国の利益を中心として働きおれり。わが国は真理のため、文明のため、平和のために日本魂を中心として働くべきなり(第3巻上60)
国と国との戦いが起こるのも、人と人との争いが起こるのも、みな欲からである。神心にならずして、世界のためを思わずして、わが国さえ善ければ他の国はどうでもよい、わが身さえ善ければ他の人はどうなってもよいという自己愛から、戦いや争いが起こるのである。これらはみな悪の行為である。(第1巻下58)
神に習うことを忘れて、我を出してむさぼらんとするから得られぬのである。人を殺してまでも他の国をうばい、人を倒してでも他の物を奪い取ろうとするから、かえってすこたんを食うのである。(第1巻下59)

王仁三郎は、「三千世界の立替え立直し」とは、人間の欲、エゴ、それこそが世を乱してきた悪霊の仕業であるといっているのである。

ある時、幹部の浅野和三郎海軍機関学校英語教師を退官し、大本教に入信、有力信者となり論客として活躍する。氏の勧誘により多くの海軍関係者が大本教に入る。第一次大本事件ののちは、大本教を離れ「心霊科学研究会」を設立は、王仁三郎の「大正維新について」の原稿と出口なおのお筆先を見比べ、王仁三郎に質問している。
「先生の大正維新論、これの実現こそ大本の大目的であることは異議がないんですよ。けれど(中略)ここの文章『日本天皇は、先天的に世界の大元首にましまして、世界の国土及び財産の所有権を有し給い、国土財産の行使権及び人類の統治権を絶対に享有し給うが故に、大日本国に天壌無窮の皇統を垂れ給う。神聖なる皇祖ご遺詔の皇謨(ぼ)に循(したが)ひ、皇国において統治の洪範を世界に宣揚し、もって範を天下に垂れ、世界を総攬統治し給う御事の由来は、皇典古事記に垂示し給へる天下の大憲章である』・・・・日本国に限ってなら納得もしましょうが、世界の人たちが承服するでしょうか。
それに、お筆先のお示しと、ずいぶん矛盾してはいませんか。筆先によると、国祖であられる艮(うしとら)の金神を押込めて、そのあとを奪ったのは、歴史を今の世にまで押し進めてきた上に立つ神・・・・日本の天皇はそのお血筋であられましょう。・・・天皇が日本ばかりか世界の大元首であることを容認するのでは、筆先の主張とまるきり逆、・・・みろくの世などにたいした期待はできません」
王仁三郎は、「浅野さん、わしらは日本人や、日本の国に住んでいる。日本人やという意味は、天皇を神格化し、神道を国教化し、富国強兵を国策とする大日本帝国に住まわしていただいていると言うことや。日本の恐い恐い法律でがんじがらめに縛られていると言うことや。天皇さまのみ名にかこつけて主張する以外、どんな表現の自由があるのや」。出口和明著「実録出口王仁三郎伝 大地の母第11巻」あいぜん出版1994年*3より

ここに、王仁三郎が人々を混乱させ、世人が理解できなくなる根源があったのである。

つづいて王仁三郎は、幹部の浅野和三郎にこう語っている。
人類はすべて神の子、神の宮であり、したがって人類はすべて兄弟であり、世界は一つの大家族であるという真理を、世界の人類に自覚させることが肝要や。世界の人類が兄弟であれば、貧富の差があってはならず、そのためには私有財産の観念を否定し、すべてが神のものであるという認識に立たねばならん。(中略)
わしはその時、日本と外国をへだてるもろもろの八重垣に気がついた。関税・言語・民族意識・国境・思想・宗教・・・・・それぞれの国が八重垣を作ってたてこもる。国々ばかりか、小さくは団体が、会社が、家族が・・・・・それぞれの利益を主張して争い合う。
この八重垣を取り払わぬ限り、みろくの世はこん。わしはそれを言いたいのじゃ。」

さらに続けて、「浅野さん、天皇制は、権力者によって悪用されぬ限り、他の国に類を見ない美風や。わしの日本人の血は、皇室を敬慕して止まぬ。それに、上に立つ神も世に落ちている神も共に手をたずさえてみろくの世に立替え立直すことが、艮(うしとら)の金神の願いなのや。わしは、権力者に悪用されぬ立派な御皇室が、天壌無窮に繁栄されることを心から望んでおる。(前掲書*3

王仁三郎は、偽装しながら国家神道、天皇制という権力をかわしながら、立替え立直しという神の経綸を行おうとしたのである。それは、予言で示されている悪夢をできるだけ軽減しようとする試みでもあった。