仏教のミニ知識2-釈尊入滅後の歴史(インド)1

1、小乗仏教(部派宗教)の成立

釈尊滅後、仏教教団(サンガ―僧伽)は出家者の弟子たちの合議制によって運営されてきた。ところが、釈尊滅後200年(釈尊入滅年に対しては、100年以上も差がある二説が出されている)アショーカ王の時代、保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂し、大衆部の方は同時に三つの部派(一説部、説出世間部、鶏胤部)が分出した。分裂は続いて、最終的には上座部系の部派ー11部、大衆部系の部派ー9部の20の部派が成立したという。
大乗仏教が登場してからも小乗仏教は存続しており、インドでは小乗仏教の方が主流であった。
阿羅漢(煩悩を滅却して悟りを開き、もはや輪廻転生を繰り返すことなく、涅槃の世界に入ることが約束された人)は、釈尊入滅時にも500人いたと報告されている。釈尊だけでなく、舎利弗(シャーリプトラ)、目連(マウドガルヤーヤナ)など数多くの弟子が阿羅漢になっている。

経典:小乗経典は、釈尊入滅時に結集が行われ編集されたが、文字には書かれなかった。教団は分裂を繰り返し、それぞれの部派が経典を有したようだ。現存しているものは、わずか3、4の部派のものである。
パーリ語聖典(南伝大蔵経)-小乗仏教の分別上座部の伝持した経典。経・律・論の三蔵を完全に保存している唯一の経典である。経蔵(釈尊やその弟子たちの言行録の集成、「阿含経」という。)、律蔵(教団の戒律規定の集成)、論蔵(哲学的文献の集成)。紀元前1世紀に文字化された。

2、大乗仏教の成立

アショーカ王の時代から約200年、紀元前後のころ大乗仏教が登場する。大乗仏教は、釈尊の遺骨を納めたストゥーパ(仏塔)を核にして形成されていく。アショーカ王は、8万4千のストゥーパを建立、ストゥーパは在家信者によって運営されていた。もちろん民衆は、各地のストゥーパに参詣していく。参詣に来る民衆に対して、釈尊の教えを語ることが重要になった。そして、ここから伝説化された超人お釈迦様が始まるのであった。
ストゥーパへの浮彫、「ジャータカ(本生譚)-お釈迦様の前生物語」、寓話の制作。これによって、お釈迦様は特別の存在になった。文字通り「仏陀」になった。長い過去生、ジャータカにおいて、仏陀になる前の尊称として「菩薩」ということばができた。「菩薩」の誕生によって、在家信者たちも「お釈迦様の道」を歩もうとしはじめた。在家信者は、「私たちもまた菩薩である」という自覚を持つにいたった。阿羅漢ではなく、はるかに高い仏陀の境地を目指して歩み続ける「菩薩」であり続けようとしたのである。

釈尊生存中も、釈尊入滅後も、弟子たちはテレパシーによって会話ができたのであろう。瞑想中の釈尊との会話、釈尊がどこにおられても法談ができたと経典は語っている。釈尊入滅後、教団は分裂を重ねていった。BC2世紀からBC1世紀、教団についていけない修行者たちのあいだにある革命的な事件が起きた。修行者たちの真剣な祈りの中に「釈迦牟尼仏」の出現したのである。「釈迦牟尼仏」は釈尊と同じ存在であるが、歴史的存在とはかけ離れた伝説的存在、超時間的・超空間的存在、絶対的存在として出現した(如来と同義語)。修行者たちは、瞑想体験中にこの釈迦牟尼仏の説法を聴聞したのである。大乗仏教の誕生である。

そこから過去仏という考えが生まれ、釈尊(釈迦牟尼仏)は7番目の仏陀として出現されたと考えられた。逆の未来仏については、弥勒仏しかわかっていない。釈尊(釈迦牟尼仏)が次の仏陀として弥勒仏をノミネートされたので、弥勒仏の名前だけが分かっているのである。時空を越えた「空なる釈尊」「空なる仏陀」が大乗仏教を誕生させた。

56億7千万年後に降臨される弥勒仏は、現在天上の兜率天で修行中であるから弥勒菩薩である。(兜率天の修行の期間は5億6700万年なので、56億7千万年は間違いらしい。)そして、われわれ凡夫も仏になるための修行をしているのだから菩薩である、と考えられるようになった。菩薩の仏教こそ大乗仏教であり、出家にこだわらない仏教となった。そして、さまざまな理想の菩薩が考えられてきた。a,観世音菩薩、b,文殊菩薩、c,普賢菩薩、d,虚空蔵菩薩、e,地蔵菩薩etc

そして、2世紀中頃、クシャーナ王朝カニシカ王の時代、ガンダーラ地方で美術の花が開いた。特質すべきは、仏像が制作されたことである。(最初の仏像制作については、インドのマトゥラー説と二つの学説が対立している。)

浄土教経典になると、「阿弥陀仏」の救済の力を信じて、それによって救われようとする考え方が出てきた。「他力」である。阿弥陀仏の極楽浄土は、いわば仏の子宮である。わたしたちは、仏に宿されて仏の子になるのである。(阿弥陀仏の存在は、釈迦牟尼仏が阿弥陀仏が西方世界にましますと語っておられるので信じることができるのである。)

経典:最初に空なる仏陀(釈迦牟尼仏)から聴聞して作成された経典が「般若経」である。紀元前後の時期だった。その後、多くの大乗経典がつくられていく。
初期経典:仏教学者龍樹(紀元150~250年ごろ)以前の経典を呼ぶ。
般若経」―大品般若経、小品般若経、大般若経、般若心経、金剛経。【智慧による到彼岸】を教えた。悟りの彼岸と煩悩の此岸もない。すべては空である。「空」の哲学を展開した。「渡らぬ渡り方」である。
維摩経」―【空】を説く(こだわりをもたぬこと)。
華厳経」-悟りを開いた釈尊は、盧舎那仏(るしゃなぶつ)と一体となっている。宇宙仏そのもの。仏陀の大宇宙の神秘を著した経典である。
浄土教経典」―無量寿経、阿弥陀経観無量寿経。凡夫の仏の世界への憧憬を募らせている。
法華経」―永遠にあり続ける仏陀を述べた経典である。【釈迦牟尼仏の授記-釈迦牟尼仏がわたしたち衆生に、あなたがたは将来必ず仏になれると予言された。】

龍樹:「八宗の祖師」と崇められている。南都(奈良)六宗-華厳宗律宗法相宗・三論宗・成実宗倶舎宗、北京(平安)二宗-天台宗真言宗。「空」の哲学の完成者。
一切のものは縁起的存在である。ということは、換言すれば「無自性」である。つまり、「自性」(そのものとしての本質)を持たない。だからそれを「空」と呼んだ。

 3、在家の修行(六波羅密の実践)

在家のままで修行することは難しい。この立場で永遠に到達しない到達、完成しない完成を歩み続けることが、六波羅蜜である。結果に執着してはいけない。六波羅蜜を実践していけば、「般若(智慧)」が得られる。涅槃には到達しないが、最上界の天界にまでは到達することができるとされた。在家の信者にとっては、天界の兜率天に行って弥勒菩薩に見えることが一つの目標になった。
①布施 ②持戒 ③忍辱(にんにく) ④精進 ⑤禅定 ⑥智慧