聖徳太子の予言と心の声

 聖徳太子が日本の礎を築いたことに異論のある人はいないと思います。17条の憲法、遣隋使の派遣、冠位十二階の制定、国史天皇史の編纂など大王(天皇)や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図り、仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆に努めたと言われています。

 しかしその人生は謎に包まれたままです。聖徳太子という名称は、薨御129年後天平勝宝3年(751年)に編纂された『懐風藻』が初出と言われ、生前は厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)などといわれていました。最近では聖徳太子と呼ばれるような顕著な業績は残していないという説まで出ています。

 ここで述べる内容は、月海千峰氏が藤原南朝の末裔、宮東老師が秘蔵されていた「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」を解説されたものです。

【出典:月海千峰著「古代ユダヤ人と聖徳太子の秘密」日本文芸社 1994】

 ここで資料としている「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」は、古代史で語られる「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」(旧事本記ともいわれている)ではありません。古代史で言われている「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」は平安時代初期に成立したとされる歴史書で、全10巻物(30巻物もあるらしい)からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述され、著者、編纂時期など不確かで偽書説も根強い疑惑の多い歴史書です。

 ここで資料としている「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」は、「旧事本記」の元になったといわれる74巻の日本歴史書です。筆者の月海千峰氏が言われるには、藤原南朝の末裔、宮東老師秘蔵のもので、その編纂は推古天皇の時代であるというそうです。学会で認められている歴史資料とは言えない代物には違いないのですが、内容に注目すべきです。その第69巻に「未然本記(みぜんほんぎ)」と呼ばれている聖徳太子の予言の巻があるのです。歴史学では、当然その存在さえも否定されています。唯一五島勉氏が「聖徳太子の秘予言」としてかつて紹介されたことのあるという謎の聖徳太子の未来記なのです。『日本書紀』には「兼知未然(兼ねて未然を知ろしめす、兼ねて未だ然らざるを知ろしめす)」とあり、この記述が後世に『未来記(日本国未来記、聖徳太子による予言)』の存在が噂される一因となったものです。

 真偽はさておいて、聖徳太子の「未然本記」の一部を紹介してみましょう。

 

明治維新から第二次世界大戦までのものと思われるもの

  • 私を離れて理に止まり,帝の徳に近づきながら権力の元に戻り、理に欠いて法をよりどころにする。(太子の示した皇道の真理から離れて天皇制の形だけを復元し、天皇を立てながら権力主義に傾き、天皇制の理を離れた法をよりどころにする。)
  • 天に逆らって災いをなし、虚しいことをする。嘆け、皇道に戻らないことを。悲しめ、天に怪奇現象が起こるように、太陽が二つ現れることを。本当の太陽は高く細く、贋の太陽は低く太い。(ほんとうの太陽=天皇、贋の太陽=原爆と国粋主義の指導者)
  • 弱き太陽は万年あり、強き太陽は一日しかない。(原爆が一日だけの太陽であることと同様に、国粋主義者の権威も長く続かない)
  • 上の太陽は支配されて長く、下の太陽は支配されて短い。(天皇は長らく支配される。国粋主義者が短い間、国を支配する)
  • 天はこうしたことを災いとして太陽を二つ示された。支配しているほうの家来は高ぶって王のように振る舞うだろう。(国粋主義者の家来である軍部は、独裁へと走っていく)
  • そして、欺いていながら君主を崇め偽って家来といっている。(軍部の政治実権掌握のための独断的行為)
  • 天は酬いを与えて彼らの後継ぎを断ち、子を死なすだろう。神は災いを与えて顧みられないだろう。(第二次世界大戦では日本は大敗し、軍部関係者は全滅)
  • 神は海中に災いを示して、手足があって首のない死体を大量に出すだろう。(神罰により太平洋に多くの犠牲者が出る。軍部に利用された兵士たちの死体が浮くことになる)

 

第二次世界大戦後の予言と思われるもの

  • 二逆は自らの権威を失わないよう朝廷を軽んじ、天皇を差しおいて卑しい戎王に通じ、国の圜(えん―囲むの意)を支配して卑しい天の田にしてしまう。(戎王=マッカーサーとの取引の結果、日本の政治機関は卑しい天=米国のための、田=米国に忠誠を誓って文化も経済も貢いでしまうようになる)
  • 習わしに逆らう異国の書簡をありがたがって、朝廷の大礼を辱める。(日本は、米国から提示された新日本憲法を受け入れる)
  • 星が月中に入り、時に天皇の位を脅かす。下の者が上となり、位のない人が位を取る。彗星は祭事の元の法が乱れることを咎める。贋の太陽は滅び、ほんとうの太陽は安定し、裏切り者の家来は滅びる。(太陽=天皇と、並ぶ月=中国皇帝は、深く結びつこうとしていたが、共産主義革命によって皇帝は没落。結果、労働者が天下を取った中国が誕生)
  • ほんとうの主は、位を奢って天を侵す(人間たちが自己を過信して天を侵す)ことの不敬を戒めるため、地震、鬼火、水害、怪風、見たこともない疫病、赤い雪、泥の雨で神罰を与える。
  • また、このようなとき神社や寺は鳴動し、仏や神の像は破裂するが、それは神が示していることだと誰も悟らず、怪奇な示しがあっても誰も驚かない。どのような怪奇が生じても、普段と同じである。
  • このようなことのすべては、一つのことに原因がある。祭事に背き法を乱せば、天は上下の安らぎを欲するが、人は主従の滅亡を招いてしまう。このときは政治がないような極であり、世の中も乱害の極となる。(いまの時代は政治が存在しない乱害の極の世である)
  • 見知らぬ法がやって来て、中華(中国)に近づき神道を脅かし仏教を消滅させる。国の官僚もこれを信じ、太守もこれを信じる。
  • 新しい儒教が来て、我が儒教が衰える。牛や鹿の祠がしばしばつくられ、物忌みの祭りはどんどん減っていく。(新しい儒教=新しい法律・道徳が現れることによって、日本人の思想が大きく変わっていく。そして邪教がはびこり、神道も衰退していく)
  • 新しい儒教を支持する人々は、我が国の習わしを卑しめ、異郷の品々を尊び、仏を誹り、神道を嘲笑う。少徳の先生を王のように崇め、我が多徳の先皇を土のように捨てる。(偽善者がはびこり、真の価値ある者は評価されない)
  • こうした人々の風潮が盛んであるので、国の道はまったく衰えてしまう。こうした人々が多くなるなら、我が国は滅ぼされてしまうべきだ。神はこれを防ぐために、彼らに災いを下す。神はこれを嫌われるので、その道も立ちいくことができない。
  • 太陽の精が下がって卑天の田を司り、大気をつくりだして屈服をなくす。(太陽の精=メシアが降臨してくる)
  • 活き活きとして、滞りなく神と消息をともにし、聖者も及ばず百の過ちを正す者である。尊きものが天下を治めて、常に宝を敬うので、日本のみならず海外までも従わせる。これにより西の戒めも、東の我を覆うことを止め、官僚は親睦し、地方を治める者も真に和む。(メシアはあらゆる過ちを正し、常に神と行動を共にする高潔なる者である。このメシアが神宝を崇めるので、日本のみならず世界の指導者となる。この出現によって西の圧力もなくなり、メシアと共に和をなして暮らすのである)
  • 自ら妻を質にしてまでも、都に寄せ我と城に住む。天かはこうして治まり、朝廷はこうして安泰する。教えを受けなくても自然と人々には教えがあり、生まれながら神仏の田を得ている。年を取ることもなくなるので、墓はいらなくなる。我が祭事の国は万年千年続き、平和が続き、宝も安泰する。(人はこぞってメシアと暮らしたがるが、そのメシアの治める国では、万年千年と平和が続き、宝も安泰する)

 

 いかがですか。真偽を論ずるまでもなく現代の終末の姿を語っていると思いませんか。日本人は、神を信じ敬い降臨されるはずのメシアにつながらないと未来がないのです。早く気づきましょう。それが聖徳太子の願いでもあります。

 最期に、聖徳太子の思想、心の思いが示されている部分を綴ります。『先代旧事本記』63巻と66巻に収められた『御語本記(みかたりほんぎ)』です。この中に聖徳太子の心の声が表されています。

 

人間は天性の善人です。

その命は天の定めであり、それ自体が信といえるでしょう。

しかし、人間が学びはじめると次第に偽りが多くなり、騙すことや馬鹿にすることを覚えます。その多くの原因は、名誉欲や権力欲というものです。

美食に溺れ快楽にふけると、病を生じて命を短くするばかりか、あらゆる人間性の美徳が破壊されます。

そして、優れた人物が出てくるのも絶えるでしょう。

短慮の人は、人知を尊んで、人にはわからない神の知恵を嫌います。

熟慮する人は、その逆です。

しかし人の上に立つ人は、常に神を仰ぎ、日と(人?)の知恵を学ぶものです。

政治に関わる者は、本音を言って当事者を補佐しなさい。

そして、津々浦々の声を聞きなさい。

天に一定の形や好みはない。

だから、耳に入ってくる声を天の如くに聞きなさい。

統治者の道とは、天地自然と理のなかで自然に示されたことだけを成し、己れをなくすことです。統治者が学ばなければならないのは、どのようにして、こうした無の状態になるかであり、無であるがゆえに悪政がなくなり、己を捨てることによって重税がなくなるのです。