内的摂理と外的摂理、そして現象としての歴史(2020年、人類歴史の大峠が訪れた)

 神の摂理という観点から見た時、2020年という年は歴史的な転換が始まる大峠なのです。神を信じない人は珍説として一笑されるでしょうが、これから深刻な事態が続いていくことになります。啓蒙の時代から外的苦難に遭遇することによって人類が改心しなければならない時代に移行したのです。この時代は、宗教上からは審判の時代と呼ばれています。

 私は2020年を迎えた時、何が起きるのかと身構えていました。昨年も天変地異が続いていましたが、今年からはその次元をはるかに超える事件が起きることがわかっていました。その中で第一弾として起きたのがコロナ・ウィルスの世界への蔓延だったのです。コロナ・ウィルスによって世界はパンデミックに見舞われ、世相は一変して陰鬱なものになってしまいました。各国政府は国民の救済に汲々とし、今年のイベントのメインである東京オリンピックは1年延期になってしまいました。しかし、そのオリンピックも来年確実に開催されるということは保証できません。我々人類は、この危機をどのようにして超えていくべきでしょうか。

 

 (1)歴史の背後に秘められた摂理

 歴史は繰り返すといわれてきました。なぜ繰り返すのかと聞かれれば答えに窮しながらも、世界は循環しながら発展しているから起きるのではないかと人々は推測しています。

 私は、日本近代歴史は40年周期で発展と衰退を繰り返しているという40年周期説を主張しています。概略は下図に示しました。これによると、2020年の東京オリンピックは80年前の1940年の開催される予定だった東京オリンピックの再現にあたります。1940年の時東京オリンピックは中止になり、その後1945年まで日本は戦争に突入して敗北して廃墟になっていきました。

 この歴史の繰り返し現象から見て、今回の東京オリンピックが無事に開催できることには前々から不安を抱いていました。案の定1年延期になってしまいました。これから2025年までの5年、このままいくと崩壊しかねないのです。

 

      日本近代の40年周期歴史 

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(2)摂理(外的摂理)の背後にある内的摂理

 40年周期説で述べている繰り返し現象は必ずしも決定されているものではありません。人間の選択によって、その度合いはかなり軽減できるのです。人間が賢明な選択をすることができればの話ですが。しかしほとんどの場合、人間は個人も企業も国家も保身を理由にした選択します。このことが、歴史の発展と崩壊の周期メカニズムを成立させています。

 西洋史ローマ法王のバビロン捕囚という事件があります。1309年、フランス王フィリップ4世はローマ法王クレメンス5世に圧力をかけ、南フランスのアヴィニヨンに教皇庁を移させました。それ以後、1377年まで約70年間、ローマ教皇はローマを離れ、アヴィニヨンに居ることとなったのです。このことを旧約聖書に出てくるユダヤ人のバビロン捕囚になぞらえて、「教皇のバビロン捕囚」とか、「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼んでいます。(バビロン捕囚:紀元前586年、ユダ王国新バビロニアの王ネブカドネザル2世により征服され、ユダヤ人はバビロンに連行され捕囚となった。前538年にアケメネス朝キュロス2世によって解放された事件です。)

 この事件は、ユダヤキリスト教の歴史の中で非常に類似した事件として名づけられたのですが、これはイエス・キリストの十字架を中心にして摂理歴史を解明した時はじめて同時性として起きた現象であると理解できるのです。イエス・キリストが十字架に架けられて人類の罪を背負われて亡くなられたという内的摂理の失敗が引き起こした外的摂理だったのです。ノストラダムスの予言も出口王仁三郎の予言も、こうした内的摂理の失敗を原点として人類歴史の未来を見通した時、見えた未来の姿だったのです。

 この繰り返し現象、外的摂理を変えることができるかどうか、崩壊を小さくとどめることができるかどうか、それはこれから述べる内的摂理の確立にかかっているのです。幸いなことに、東京オリンピックは中止ではなく延期になりました。1年の猶予期間ができました。オリンピックは、若者の祭典、平和の祭典と言われています。オリンピックを無事に開催するということは、未来を担う若者が平和を希求して世界が一つになったという内的摂理の成就になるのです。とても重要な意味をもっています。

 

(3)大本教の「ひな型の理論」―内的摂理と外的摂理

 大本教には、大本で起きたことは日本で起きるという「ひな型の理論」の理論があります。「ひな型の理論」は、心の基台(内的基台)と現実世界とは連結していることを表しています。心の基台(内的基台)が失われ内的摂理が失敗すれば、現実世界も崩壊していくという結果を招くのです。

 大本教出口王仁三郎の受難と太平洋戦争の因果関係を記します。この場合、出口王仁三郎の受難が日本という国の受難と符合しているのです。

 王仁三郎は、自ら囚われることによって人類の罪を贖う宿命にあると自覚していたのです。

王仁三郎が三度目の入獄されたのが1935(昭和10)年12月8日未明。王仁三郎が保釈出所したのは、1942(昭和17)年8月7日でした。保釈されるやいなや、「わしが出た今日から日本が負け初めじゃ」と性懲りもなく放言しましたが、ちょうどこの日、米海兵一師団がソロモン群島のツラギとガナルカナル島に上陸し、翌8日には第一次ソロモン海戦と、米軍の本格的反撃が開始されるのです。

 王仁三郎が刑務所に入っていたのが1935年12月8日から42年8月7日までの6年8か月、日数にして2435日です。日本が連合軍の占領下にあったのは、連合軍先発隊が厚木飛行場に到着した1945年8月28日から1952(昭和27)年4月27日(日米講和条約発効前日)までの6年8か月、2435日。ともに閏年が2回入って、一日として狂いません。

第二次大本事件は、1935年12月8日に始まり、45年9月8日の大審院の判決で終ります。太平洋戦争は41年の12月8日に始まり、51年9月8日のサンフランシスコ講和条約の締結で終ります。閏年の数で日数こそ一日のずれが出ますが、月で数えると共にぴったり9年9か月。」

〈出典:出口和明「スサノオ考」霊界物語研究会編「予言と神話」八幡書店 1991 p279~280所収〉

 王仁三郎の摂理(受難)は、最初から決まっていた事ではありません。王仁三郎が担っていた摂理に人々がついていかなかったために起きた悲劇だったのです。大本教王仁三郎を国家は受け入れず、逆に迫害して潰したのです。この内的摂理の失敗が、外的摂理として日本が廃墟になるという結果を招いたのです。最終的にこの摂理は終戦後、不敬罪の有罪判決を受けることによってすべて終わりました。戦後、王仁三郎は戦争に協力しなくてよかったと述べました。賠償請求は、国民が苦労するからと言って放棄しました。

 現在も、王仁三郎の時のような内的摂理はなされていますが、これについては生々しいので語ることは控えます。一言だけいえば、王仁三郎の時と同じように、人々の不信が日本と世界を苦境に陥れています。1990年以降の日本の停滞も、この内的摂理の失敗が外的摂理としての日本停滞につながりました。そして、2020年以降の未来も輝かしい姿で迎えることができていないのです。

 

(4)内的摂理の役割―神は厳然として生きて働いている

 内的摂理とは、霊的世界を整え神が働ける条件を付与することです。そうすることによって、神と善なる霊的世界が現実世界に働きかけることができるようになるのです。内的摂理は、神を中心として人間が一つになり神が働ける内的基台を醸成して、神が現実世界に働ける条件の醸成することなのです。内的基台ができた分だけ神は働けるのです。内的基台を作り内的摂理が展開するように人間が動けば、後は神が働き万事うまくいくのです。この分野は今まで宗教が担ってきました。国家守護という言葉は、こうした意味をもっているのです。

 余談ですが、宗教とは神頼みの御利益をえようとする弱い人間のすがるものとか神様とはすべての人間をあまねく救う万能のような存在で、現実社会には関りがないと考えている方がほとんどだと思いますが、神はそんな次元の低い存在ではありません。人類歴史を動かしている存在なのです。但し、人間の内的基台が整わない限り神は働くことはできませんが。内的基台(信仰条件)が整っていない場合、期間限定でサタン(神と反対のエネルギー)が働くのです。栄枯盛衰の循環ドラマが繰り広げられるのです。

 私は、ブログ「日蓮の警告が受け入れられていれば、蒙古襲来という悲劇は避けられていただろう」(2015/7/27)で、日蓮という日本の霊的支柱であった存在と主張を受け入れていれば、元寇という蒙古襲来の国難は防ぐことができたはずだったと述べました。日蓮は、国難を予知して「立正安国論」を書いて、鎌倉幕府に訴えたのですが退けられ迫害を受けて佐渡島流しにされてしまいました。日蓮が受け入れられたのは、蒙古襲来が起きてからでした。最初の蒙古襲来は防ぐことができなかったのです。

 現在、宗教はあまりにも軽んじられていますが、神を無視すると内的摂理が失敗した形で外的摂理が展開することになります。宗教は国家の霊的基台(内的基台)を醸成しているので、もしその宗教を迫害すれば国家の命運は尽きてしまうのです。内的摂理として内的基台が成立しなかった場合、外的摂理はサタンの手に奪われ対立抗争の形で展開することになります。(人類歴史はほぼこのパターンである。)

 神の存在を否定した共産主義は、内的摂理が失敗した上に外的摂理が展開されるので、70年が存続期限になり霊脈は終焉します。サタンの手中の中での繁栄は、期間限定で崩壊してしまうのです。ソ連の解体はこうした摂理的事情で起きたのです。中国も北朝鮮も同様の終焉の時期を迎えています。期間が終了すると自動的に崩壊するのであれば放置しておけばいいように考えますが、新しいものがない場合ソ連解体後のロシアのように違う形で混乱が続くので、新しい時代の価値観を準備する必要があります。なければ、権力交代だけが起きて同じような統治が続くことになります。

 

(4)価値観を変えること

 コロナ・ウィルスによる人類への攻撃は、人類に価値観を悔い改めよ、神が存在し神に対して愛と畏敬の念を取り戻すために起きていると理解することが重要です。

 現代の危機は、地球が滅びるか否かの瀬戸際の危機です。歴史上、ノアの箱舟以来2度目の危機なのです。人類と地球の未来を憂い、持続可能な地球創成に真剣になるのも当然なのです。しかし、何が問題の本質かがわかっていません。人間の心が問題なのです。自分を先に考え、他人を後回しにする価値観、これが自己と他己、国と国の対立と抗争を生み世界を危機に陥れている問題の根本なのです。

 人類歴史上2度目の世直しの時が来たと説いていた大本教は、今から100年前既に御魂を水晶のようにしなければ弥勒の世に入れないと説いていました。今度の世直しは、天地がひっくり返るような立て替えなので激動が避けられない、世界大戦もこの一環として起きるものである、また、人類の20%から80%減少するかもしれないと予言しています。とんでもない大災厄が襲ってくるとされているのです。

大本教に降りた啓示>

  • 従前の世界は肉欲的強者優勝の時代で在りて、如何罪穢のある金銭でも、栄輝に致せば人が崇めて、他人は難渋いたしても自己さえ足けりゃ良いと思ふて、後運の判らぬ世で在りたから、我が子孫に毒を皆が呑まして居るが、親の運は子に在り、子が苦しむと親が苦しむが、人を苦しめたら我れに出て来るぞよ。(「大本神諭」明治三十六年旧六月七日)
  • 是丈け悪に化りきりた身魂を、善一とつのみろくの世にして仕舞ふのであるから、今度の世の立替を致したら、是迄の世の持ち方を薩張り替へて仕舞ふて、水晶の世に致して仕舞ふのであるから、此の転換期が辛いぞよ。(「大本神諭」明治三十六年旧十二月二十五日)
  • 今度の二度目の世の立替は、此世始まりてからの大望な世の立替であるから、天地がひつくりかへるのであるから、今度の世の立替を致したら、水晶の世に致して、曇りありたら、其の身魂は、水晶の魂に曇りのかからん如うに、此の先きは致すのである。(「大本神諭」明治三十六年旧十二月二十五日)
  • 世界の今度の大戦争は世界中の人民の改心の為であるぞよ。万古末代戦争はつまらん物であるといふ事を、世界中の人民に覚らせる為の戦であるぞよ。まだまだ是では改心が出来ずに、日本の国を取る考へを外国の悪神が致して居るぞよ。(「大本神諭」大正六年旧二月九日)
  • 日本の国には神から大望な仕組が為て在る、向ふの国も大きな仕組を致して居るが、戦争と天災とが初りたら、人民が三分に減ると、初発の筆先に書いてあるなれど、茲に成ると世界に残る人民が、二分位より無いぞよ。日本の国には誠の者が二分残る仕組で在れど・・・。(「大本神諭」大正六年旧九月五日)

 

(5)神の働ける内的摂理の成就が日本存続の要

 世の立て替えは、肉欲的強者優勝の時代から善と愛の世界への転換なのです。今まで熱望してきた弥勒の世の到来であり、キリスト教でいう千年王国時代の到来なのです。これだけの大転換なのですから、ちょっとやそっとの大災厄ではすみません。

 80年前、王仁三郎の忠告(神の警告)を聞かず迫害した結果、日本は無残に焦土と化しました。現在もこのシナリオ通りに再現されてきています。これから5年果たして無事に日本は生き残れるでしょうか。

 まず、第一に成さなければならないことは、神が働けるすなわち滅びから逃れうる内的摂理(善と愛による絆の確立)を築くことです。そのためには、神が働いている一点を見出し、そこを中心にして内的基台を作ることです。そこが見いだせないと、霊界をまとめて神の働ける状況を作ることができません。その上に当面の外的摂理、「2020東京オリンピック」の開催に力を注ぐのです。オリンピックは、若者の祭典、平和の祭典といわれるように、若者が団結して取り組むことによって日本の未来を拓くことができるでしょう。そして東京オリンピックの開催は、神が守れる日本の内的摂理として日本の未来を崩壊から守ることにつながるでしょう。

 このためには、現代人はまず現在の価値観を間違いであると気づいて改心することから始めなければなりません。しかし罪深き人間は、その言葉の啓蒙よりも現実の肉欲・財・名誉にとらわれて価値観を改めることができていないのです。そこでやむなく大災厄が起こされてくるのです。早く改心しないととんでもないことになるでしょう。

 大本教に下りた神の警告を二つ引用してまとめとします。

「世の立て替え、立て直しは、神界、霊界より現実世界に及び、守護神・人民の改心ができぬと、大三災すなわち風・水・火、小三災すなわち饑・病・戦によって大掃除・大洗濯が行われる。また大地の隆起するところもあれば、海中に陥没するところもある。」

「日本と世界と大戦いが起こり、連合した世界の戦艦、兵力がドッと日本に攻め寄せてくる。」