悪霊現象と救い(2)蕩減復帰原則(メシアが解明した神の武具)

 悪霊現象と救い(1)において、悪霊現象とそれがもたらす姿について説明してきました。それでは次に、この地上で人間がサタンと悪霊の術中から神様のもとに戻る道について説明していきましょう。
 救いの道は自動的には訪れません。親鸞聖人の説かれたように、「信ずればたすかる」というだけでも、お釈迦様が説かれたように八正道(正しい思いや正しい行いを行う)を実践するだけでも実現できません。道徳教育は重要ですが、それだけでは問題の全面解決にはならないのです。
 キリスト教は、人類始祖において「堕落」と呼ぶ人間の神様からの離反があったと伝えています。ほとんどの人は、遠い昔の作り話としか思っておられないでしょう。しかし、仏教が教えてきたように、先祖の因果が子孫に報うという因果応報の考えは、ほとんどの人に受け入れられています。先祖の失敗が何らかの仕組みで子孫に引き継がれているということは体験的に感じています。過去の失敗が再現されるということが、人類歴史だけでなく、私たちの家庭や個人においても再現されているのです。
 こうした歴史の失敗が起きた原因は、人間が本来の生き方(神の願い)から外れて罪を犯したということと、それをそそのかしたサタンと悪霊の存在があるためです。人類始祖は、サタンの誘惑によって罪を犯しました。その後の歴史においては、堕落した人間がサタン配下の悪霊となって人間をそそのかしてきました。そこから本来の神様の世界に復帰しようとしてきたのが人類の歴史であり私たちの歩みでした。表面的には人類歴史は人間の対立抗争の歴史であり避けられないものと考えられてきましたが、対立抗争の背後で神様による復帰の計画が進められてきたのです。それを蕩減復帰といいます。人類歴史は長い時間をかけて神様の計画が進んだ分だけ、人倫に配慮した人間社会に進歩することができているのです。(図は、「原理講論」の記述によるものです。)

 

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(1)蕩減復帰原則(メシアが解明した神の武具)とは何か
 『主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。』(エペソ人への手紙6-10~11)

 神様がサタンと配下の悪霊の攻撃に対抗するために、ひそかに計画された救いの計画が蕩減復帰なのです。人類始祖は、サタンの誘惑によって堕落しました。(具体的な罪は姦淫です。)
 この結果、人間は目が開けて自分という観念をもつようになりました。それは、自分と他人という自他の区別の情です。その情は自己に執着する、自分本位に考えやすいという性稟をもたらしたのです。サタンはこう主張するのです。「人間は所詮自分中心である。神様の言うように、人間は神様のようにすべての人を愛すことはできない」と神様に訴えるのです。サタンの主張はもっともです。お釈迦様でさえ、人間は自己愛があるが故に執着して苦しむと語っているのをみても、問題がいかに根深いかがわかります。我々人間は、とてもサタンの主張を退けるだけのものをもっていない悲しい存在だといえるでしょう。このまま人間が変わることができないならば、自己愛に執着する人間が作り出す世界は今まで同様対立抗争の世界として続くことは避けられません。
 神様はこうした状況の中で、神様を求める義人・聖人・善人を探し出して蕩減復帰という摂理をひそかに計画されたのです。堕落して神様にもサタン(悪霊)にも通じる立場に陥った人間を善悪二つに分けてサタンと対決しようとしてこられたのです。聖人・義人・善人を善なる人間の代表として立ててその人々が神様の願いに応える歩みをなしてくれることを願いました。その歩みは実に難しいものでした。聖人・義人たちは神様の願いに応えて懸命にサタンの悪なる攻撃に耐え忍びながら神様を賛美して善なる行為を繁殖することを通してサタンからこの世の支配権を少しずつ取り戻そうとしてきたのです。これが蕩減復帰であり、蕩減復帰摂理なのです。現在私たちが文明の進歩した世界で生活できるのは、神様の願いに応えて苦難の道を歩んだ聖人・義人の歩みの恩恵によっているところが大きいのです。

 

(2) 蕩減復帰における神とサタンの対決
 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。』(使徒行伝2-17)

 蕩減とは、人間の立場から見れば神様に私たち人間が犯した罪を棒引きにしてもらうために立てる条件のことを言います。人間が本来の姿から自分の意志で罪を犯したので自分で条件を立て精誠を尽くして復帰することが必要になったために立てなければいけなくなったものです。一方、神様から見れば、善なる人間が立てた条件をもとにして、サタンとその配下の悪霊から人間とこの世の支配権を奪い返すことを企図しています。
 人類歴史は、蕩減復帰というプログラムを通して神様が堕落した人間をサタンと悪霊側から取り戻す戦いをしてきた歴史なのです。ただ残念なのは、今まで人類の蕩減復帰の歴史は、ほとんどサタンと悪霊の勝利に終わっていました。神様が召命した聖人・義人でさえほとんどサタンと悪霊に打たれてしまい、復帰摂理はほぼ水泡に帰してしまいました。文明が現在のレベルに達するには長い長い年月がかかりました。勝利したのは、サタンと悪霊が支配する勢力でした。イエス様も十字架に架けられて亡くならざるを得ませんでした。サタンが主張する堕落人間の本性(自己中心、プライド、物欲)が癌になりました。歴史はサタンが主導してきました。この世は対立抗争の世界のまま続いてきたのです。
 この世を天国にするためには、この世のサタンの支配権を取り除く必要があるのです。この世は、個人、家庭、民族、国家から世界に至るまでサタンと悪霊が中枢を支配しています。どんなに地球環境問題、人類の飢餓問題を論じても遅々として進まないのは、この世の支配権が自分を優先する価値観の人間とサタンのもとにあるからです。善なる人間が堕落した圏内(罪を犯した圏内)から蕩減条件を立ててサタンを追放する条件を立てなければ神様の領域は拡大できないのです。
 身の回りの家庭問題も例外ではありません。今、日本では多くの家庭で家庭問題が起きています。とても多くの人が苦しんでいます。それも理由がわからないので困惑している方が大半ではないでしょうか。
 現在起きている家庭問題は、善なる人が打たれることによって家族を一つにしようとしている蕩減復帰の一コマであることを理解することが必要です。善なる人は、その家庭の歴史的な先祖の失敗の償いとしてサタンと悪霊に攻撃されています。誰かが家庭を代表して苦労を引き受けてくれなければ、過去の失敗を清算することができないのです。残念なことは、苦労を引き受けた善なる人が神様をわかっていないためにサタンと悪霊に対抗できず、サタンと悪霊に翻弄されていることです。対抗する武器をもっていないのです。これでは、サタンと悪霊にしてやられるのは致し方ありません。最終的には完全に飲み込まれていくことになります。
 それに加えて、現在の家庭問題が多岐にわたり広範囲に起きている理由は、「終わりの時にわたしのすべての霊を注ごう」と聖書に書かれている現象が起きているからです。わたしの霊とは、神の救いという意味ではありません。霊界に蓄積されている善悪すべてのエネルギーが地上に降ろされるという意味です。善霊も悪霊も地上のゆかりのある人に協助するために降りてきているのです。善悪が交錯する混乱の時代が訪れているのです。終わりの時には、私の家系の問題も3代前も100代前の問題も一挙に蕩減として降りかかるのです。とても理解できるものではありません。今必要なことは、こうした神様の蕩減復帰摂理を理解して、蕩減条件を立ててサタンと悪霊に立ち向かうことが不可欠なのです。
 また目を社会に向けてみると、現在日本では、第二次世界大戦時に近隣諸国との間で起こした軋轢-慰安婦問題、徴用工問題が蒸し返されています。これも、日本の国としての蕩減復帰として80年前の現象が再現していることであると理解することが重要です。「終わりの時にわたしのすべての霊を注ごう」という聖句は、民族としても国家としても過去の歴史的な軋轢が再現されてきているのです。こうした背景の中で起きている現象ですから、その再現の中で過去の軋轢に反発せず忍耐して甘受することによって、乗り越えることが重要なのです。反発すれば、しこりは子孫に受け継がれることになるのです。いかに犠牲を少なくして乗り越えるかが重要なのです。

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(3) 蕩減復帰原則
 次に、蕩減復帰の原則について説明します。蕩減復帰は、①人間の善悪分立 ②罪の逆の経路を通しての復帰 ③神のもとに条件を立てる の三つの要件があります。


① 人間の善悪分立
 私たち堕落した立場の人間は、誰でも神とも通じる一方、サタン(悪霊)とも通じる立場にあるという中間位置にあります。どちらとも通じ合うことはできるのですが、ほとんどの場合、自分本位の考え方をするのでサタンと悪霊に通じていると考えて間違いありません。現代のように、社会に情報が氾濫していて悪なる誘惑が渦巻いている場合はサタンと悪霊にひかれていく条件がそろっています。神様は、神様を慕う人を探すことから始められました。そういう人がいないと神様が協助できないからなのです。
 神様の蕩減復帰摂理は、人間を善なる存在と悪なる存在に分立することから始まります。人間の一人は神様の側に一人はサタンの側に置く形を取ります。どちらが良いか悪いかということではなく、人間同士の間で罪を犯したので、当人同士で罪を清算するために罪を犯した方と犠牲になった方に分立されるのです。この存在を、人類始祖の物語にちなんで、アベル型人間(犠牲になった人間)とカイン型人間(罪を犯した人間)と言います。アベル型人間は、どちらかといえば従順な人で、カイン型人間は積極的な人です。善なる存在と悪なる存在に分立するのは、このように分立することにより善悪どちらの人間が勝利するかによりその結果を神様がとるかサタンがとるかを決めるのです。神様がとれば、愛と平和がもたらされ、サタンがとれば対立抗争をもたらされるのです。人類歴史は、人類始祖の物語と同じくほとんどの場面でカイン型人間がアベル型人間を力で押さえつけるという結末を迎えるサタン側の勝利となり、対立抗争をもたらしてきました。
 このことは、一人の人間の内部においても行われています。私の心の中は「心ころころ」と言われるように、いつも正しく定まっているわけではありません。善ある決意をすれば神様の方向を向き、悪なる誘惑に心が動けばサタンの方向に向いていきます。だから自分自身が本当に善なる方向に変わっていくためには、善なる条件を立てて自分の心を善の方向に定めなければならないのです。ここに後述する蕩減条件が必要な理由があります。

② 罪の逆の経路を通しての復帰
 仲の良かった二人が何らかのはずみで憎み合うようになった場合、もとの状態に復帰するためにはお互いに謝罪することが普通必要になります。罪を犯した場合、逆の経路で元の状態に復帰するということが鉄則です。二人の間の問題なので二人で解決する必要があるのです。例外はありません。
 蕩減復帰の罪の逆の経路を通しての復帰は、神様の創造の中においてもともと存在した天地創造の授受作用の原理を負荷をかけた形で再創造しようとしているものです。
AとBが月と地球の関係のように互いに支え合う関係であるのが本来の関係であったとしましょう。ところが、何かの原因でけんかをしてAがBに危害を与えたとします。AとBは支え合う関係ながらも、憎しみをもつ関係に変化します。まだかまり、不信感を持ちながら、関係を続けることになります。切ることはできませんので、不信感を低減させるか増大させるかのどちらかになります。もし、AB二人とも我が強ければ、不信感は増大して対立の根は深くなります。しかし、一方が従順ならば、対立は和らぎます。従順な人は、おそらくじっと我慢するでしょう。そうして時が経つ時、危害を加えたAが「お前はいいやつだ」と言って、「これからはお前についていくよ」と言ったとしましょう。そうすれば、AB二人の間の軋轢対立は解消されます。
 神様は、人間をこうしたAB二つの立場において対立を解消しようとしてきたのです。このことが実現できるには、従順な人間が不可欠になることがわかるでしょう。神様は、従順な人間が片方の攻撃を甘んじて受けてくれるだけで対立を終わらせようとするのです。危害を加えた人間は、被害にあった人間に従順に屈服することが必要なのです。残念ながら、危害を加えた側を演じている人は、人類始祖のカインと同様、神様に愛されないことに納得できず、危害を受けた側アベル型人間をないがしろにして押さえつけてきたのが人類歴史でした。
 仏教では、人間の三大因縁として殺傷因縁、色情因縁、財の因縁の三つをあげています。殺傷因縁は、自分のプライドが原因で他人と対立状況に至り、殺りくにまで及ぶ因縁です。家庭内、友人の間で多く見られるものです。人が一つになれない主要な因縁です。色情因縁は、文字通り男女間の問題です。もっとも深い因縁とされており、解決不可能な問題と言われています。そして、財の因縁は財の奪い合いという人類歴史の対立抗争の原因となったものです。どれも代表的な罪です。
 因果応報は、蕩減復帰のことを述べています。少し違いがあると言えば、蕩減条件を立てることにより因果応報を軽減、解消することができるということでしょう。過去の罪を一番いい形で清算するには、誰にも文句を言えない形で罪を背負うことです。病気、破産といった形は憎しみを残すことがなくあきらめに近いので、罪の清算、蕩減復帰としてたびたび登場するのです。

 

③ 神のもとに条件を立てる
 罪を犯した人間が再び本来の位置と状態に復帰するためには、罪を埋めるに足る条件を立てなければなりません。堕落人間がこのような条件を立てて、本然の位置と状態に戻っていくことを「蕩減復帰」といい、立てる条件のことを蕩減条件といいます。
 一人の人間の心の中も、「心ころころ」と言われるように、善悪いつも正しく定まっているわけではありません。善ある決意をすれば神様の方向を向き、悪なる誘惑に心が動けばサタンの方向に向いていきます。だから自分自身が本当に善なる方向に変わっていくためには、善なる条件を立てて自分の心を善の方向に定めなければならないのです。しかし、自分一人で強大な悪なる勢力に立ち向かうことはほとんど不可能です。立ちどころにやられてしまいます。今まで私たちは、悪なる勢力に部分的に勝利した成人・義人の勝利圏を宗教という形で受け継ぎ、その恩恵圏で信仰を神の武具として闘ってきました。そしてメシア降臨の時を迎えて、新たな神の武具をもって闘える時を迎えているのです。メシアは、「君たちがこの世の君サタンに立ち向かえば必ず死ぬ」とまで言われています。この世の平安と幸福を獲得するためにサタンと悪の勢力に対抗するためには、メシアの権能という神の武具をもつことが必要なのです。蕩減条件を神様の前に立てるということは、メシアの権能を振りかざしてサタンと悪なる勢力と闘うということなのです。
 蕩減条件には、縦的蕩減条件と横的蕩減条件があります。
 縦的蕩減条件とは、神様に対する信仰条件です。神の武具で身を固めなさいという言葉は、このことを言っています。神様からくる力だけが対立を解消することができるのです。私たち堕落した人間は、自分中心というサタンの支配する情を抱えてしまっているので、このままでは神様の力を受けることができません。神様の力を受けるための条件が必要なのです。
 「縦的な蕩減条件は、何によって立てなければなりませんか。責任分担完成と神様に対する絶対的な愛の完成、この二つの条件です。このような基準があるのでイエス様も、『わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこやむすめを愛する者は、わたしにふさわしくない』(マタイ10-37)と言われました。この原則から、このような言葉が出てきたのです。」(天聖教P1188)
私たちは神様と世界のために生きることが必要なのです。そして、そのような条件を立てることがまず第一なのです。
 次に、横的蕩減条件とは何でしょうか。横的蕩減条件とは、どんなサタンの迫害にあっても耐え忍ぶということです。イエス様の歩みのように、縦的蕩減条件を立てると、サタンと悪霊が攻撃をかけてきます。神様の懐に行くのですからサタンが迫害してきます。サタンは環境を支配しているので、中傷謀略をしてでもいかなる手段を使ってでも切ってしまおうとするのです。それに対抗することが不可欠です。サタンの支配する世界から逃れるのですから、サタンは逃さまいと攻撃をかけてきます。イエス様でさえ十字架にかかってしまったので、我々が独力で立ち向かうことは不可能です。ですから、メシアの勝利圏と連結して闘うのです。
 「蕩減条件は、責任分担を完遂して神様を愛するものです。サタンがどんなに迫害し、攻撃しても、それを退け、そこに動揺しないとき、サタンが打って打ちまくってそれでも退かないときは、自分が退かなければならないのです。このようにしてサタンを分別するのです。これが決定できなければ蕩減する道はありません。」(天聖教P1187)
わたしの体験からいうと、可能だということができます。そして、この闘いにおいて重要なことは、蕩減復帰原則という仕組みをよく理解すること、もう一つはサタンと悪霊の動きを察知する霊的眼力をもつことです。サタンと悪霊は霊的に襲ってくるので、その攻撃がわからなくては闘うことができません。(悪霊にやられている人は、ある程度その感性を有しているので、サタンと悪霊と闘う能力を持っているのではないでしょうか。)
 次に、蕩減条件を立てて、現在起きている家庭問題(家庭内暴力)にいかに対処するかを少し述べてみましょう。
 今起きている家庭問題の大半は、先祖からの因果応報として再現していると観ていいでしょう。先祖の問題がまとめて起きているので、どの問題かはよくわからない場合が多いのですが、家族全員が関係して立ち向かわないと解決しないことだけは確かです。家庭問題が起きてしまうと、親はおろおろするばかりです。原因も対策も何もないからです。悪霊に翻弄されている場合、対抗する力を注入しないと抜け出すことができませんが、それが何かがわかりません。
 まずしなければいけないことは、神の武具を身につけて(縦的蕩減条件)神様の権能と力を受けることです。神様との関係を築くことです。それには、仕組を知ること、神様との関係を築く条件を立てることの二つです。そしてそれを実践して条件が満ちた時、神の力が入ってくるのです。(それは、どれくらい必要かは神様とサタンの交渉なのでわれわれにはわかりません。)
 そしてもう一つしなければいけないことがあります。暴力をふるう子に対して我慢し耐え忍ぶのです。横的蕩減条件と言われるものです。そうする中で、私の中にあるわだかまりの心情を穏やかにしていくのです。悪霊は、子供を攻撃しながら親の対応を攻撃してきているということを知らないといけません。両方を攻撃してきているのです。ですから、それに対抗するには、反撃するのではなく耐え忍ぶことによって悪霊の攻撃を消していくのです。親子共同作戦が必要なのです。お払いによって一時的に悪霊が出て行っても、親子の対立の情が残っているとすぐに入り込んできます。あまり役に立ちません。
 よくこの子はいい子なのにどうしてと言われますが、いい子というのは先祖の善霊が協助していると考えられます。いい子でないと、過去の罪の清算はできないので先祖は期待しているのです。甘んじて罪の清算という苦労を引き受けるのですから、普通の人にはできません。普通の人ならば、すぐに失敗に終わることでしょう。しかし、その子も耐える限界を越えてしまうと、悪霊に乗り移られてどうしようもなくなり、先祖の罪の再現をするだけになってしまいます。神の武具が不足しているのです。悪霊に抗しきれなくなるのです。こうして家庭は、サタンと悪霊に荒らしまわられて追い詰められていくのです。神の武具を身につけないと対抗できません。次回は蕩減条件の立て方について説明します。

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