霊界で四大聖人・聖賢の方々がセミナーを開いているそうだ。霊界からのメッセージ(5)【ソクラテス、トマス・ジェファーソン、ヒンドゥー教のヤージュニャヴァルキヤ、マイトリ】

霊界で四大聖人(イエス、釈迦、孔子、ムハマンド)と聖賢(アウグスティヌス、ルター、ソクラテスなど)の方々がセミナーを開いているそうである。セミナーの主題は「神様は人類の父母」であり、地上に降臨された文鮮明先生が解明された『原理講論』を分析、討論しているのだという。セミナーに参加した聖賢たちが霊界から地上にメッセージを送ってきている。5回に分けて四大聖人・聖賢の方々の霊界からのメッセージを伝えてみたい。

メッセージの出典は、統一教会の教材【「平和神経 平和メッセージ1~17」光言社2015版 の中の付録霊界報告書「神様は人類の父母」】である。統一教会の教材であるから当然文鮮明氏を讃えているものであるが、このメッセージが本物かどうかは皆様自身に検討していただきたい。

なお、上記教材の中には4人の他に、歴代アメリカ大統領3人、ヒンドゥー教の聖賢10人のメッセージが収録されている。

 

ソクラテス様のメッセージ]

 私、ソクラテスは、アテネ元老たちから審判を受けることになりました。私が主張したすべての理論が当時の市民の精神を混乱させたとしても、彼らが一人の人間の生命をもう少し大切に、高貴に感じていたら、という考えに浸ることが多くありました。人間の一生命は、肉眼で見えるもので判断すべきでないからです。一握りの微々たる万物であれ、神様の創造のみ手によらない創造物がどこにあるでしょうか。そして人間は、神様の作品のうち、最も大切で崇高な存在として、あらゆる知性と誠意を尽くして造られた神様の子女ではないでしょうか。
 神様の子女として造られた人間は、それを知らずに生きてきました。地上での父母と子女の関係を考えてごらんなさい。父母と子女は常に慕わしさの中で、お互いの出会いと離別に、どれほど胸を痛めるでしょうか! 父母と子女は、一つ屋根の下で愛情を交えて対話し、幸福に生きるべきではないでしょうか。神様も、そのように生きることを願われるでしょう。人間の創造主であられる神様は、愛の本体であり、情の塊自体ですが、人間の創造以後、誤った歴史が流れる中で、神様と人間の関係が断絶されたのです。このような状態にある神様の心情は、いかばかりでしょうか。
 知性人の皆さん! 私、ソクラテスは、アテネ陪審員たちから不信され、裏切られた男でした。当時の悔しさと悲しみは、語り尽くせませんが、この神様の傍らに来てみると、さらにもう一つ悲しくて悔しいことがあるのを知りました。それは、神様と人間の関係を知らなかったということです。これより悲しく悔しい事情が、どこにあるでしょうか! 自らの父母を知らず、人間をこの上なく愛してこられた神様の愛を知らず、悠久なる歳月をかけて子女を待たれる神様の痛みを、私たち人類は知らなかったのです。今や、こうした事実を知ったソクラテスの痛みは、表現するすべがありません。
 知性人の皆さん! 父母と子女の間で、知識と学問を自慢して生きてきましたか。人間の生活において最も大切なのは、父子の関係を回復し、維持していくことです。これは、いかなる学問の発見よりも偉大なことです。しかし、肉身を支えるために、地上であらゆる知性社会の中心的立場がとても大切であることを、私が知らないはずがあるでしょうか。しかし、自らの父母を大切にし、敬うことは、いかなるものとも比べようのない、高貴なことです。それを肝に銘じなさい。この神様の傍らで、ほかに何が必要だというのでしょうか。「神様は私の父母であり、私は神様の子女だ」ということは、血統の立場が最高位にあることを意味します。
 知性人の皆さん! 肉身は、地上で生活するときだけ必要であり、皆さんのもつ知識と学問もまた、大体そのようなものです。それゆえ、ここに入籍する来世の準備のためにも、内的な知識を備えなければなりません。あまりに無知で何も知らないまま、自身の学問だけに執着し、ある日、突然に肉身と霊魂が分離すれば、その霊魂は、どこに行くのでしょうか。これは深く考えてみるべき問題です。来世は間違いなく存在し、私たちの霊魂は、ここで永存するという事実を、肝に銘じなさい。
 したがって、備えなき霊魂は、ここではとどまる所がありません。地上で、道端の乞食を見たことがありますか。乞食は、自分の居場所がないため、道端が自分の居場所です。皆さんの霊魂は、とどまる居場所を地上で備えなければなりません。
 私、ソクラテスは、地上生活において、人間の外的な学問と知識も貴重でしたが、それよりも人間の内的な良識と真理、いわゆる哲学を常に追求しました。これを解明するために、どれほど多くの時間を投入したか分かりません。地上で、刹那的な生活を送るためではなく、人間の内的真理を追究しているうち、知性人の立場にゴールインしたのです。永遠なる居場所に来るのに、どうして苦労と努力の代価が不要でしょうか。その苦労と努力と投資の結実として、ここで永遠なる幸福の立場にとどまるようになったのです。
 私が知性人にこのようにお願いするまで、幾度かの苦い峠を通過しました。それはどうしてでしょうか。ここも、地上のように様々な姿で生きているのです。そして、地上のように多様な宗教と宗派があるのです。ところが、ここの知性人たちの集いで、「人生の行くべき道」をテーマに、「統一原理」の講義を聞くことになりました。ここで私は新しい真理に触れたのですが、それは人間の根本なる生き方を悟らせる真理でした。この真理によって実に驚くほど変わっていく自らの姿に、自尊心がとても傷つくこともありました。幾度も首を横に振って、この真理を否定したく思いました。それが真理でないことを願いました。この途方もない原理が、どこから出てきたのかを知って、幾度か心の葛藤が起きました。知性人としての威信と体面が根こそぎ吹っ飛んでしまう私自身が、とても恥ずかしくもありました。しかし、これは間違いなく真理なので、どうしようもありません! それで、私、ソクラテスは、自分のすべてを捨てたのです。知性も自尊心も、みな捨てました。そして、この真理の前にすべてを投入するつもりで、地上の皆さんにメッセージを伝えるのです。
 知性人の皆さん! 皆さんの知性を総動員するとしても、神様の知性と比較することができるでしょうか。天地万物を創造されるとき、何らの考えや計画もなく万物がぽんぽんと生じたのでしょうか。皆さんの知性と能力をすべて売っても、神様の能力と知性を買うことはできません。科学の力がいくら発達したとしても、自然のことわりを変えることができるでしょうか。科学の主人公は、正に神様です。ソクラテスが発見した神様の能力と神性を、すべて表現しきることはできません。それだけではありません。今、このレポートをしている女性は地上人であり、ソクラテスは霊人です。この事実についても知性人は、理解できるでしょうか。この事実もまた神様の能力です。時が来たので、天の秘密を地上人に告げ、神様の子女たちを正しく導くためです。
 知性人の皆さん! 神様は、子女を正しく立てるために、様々な方法を動員して苦労していらっしゃいます。皆さんは、神様を見ましたか。神様は無形で、体のないお方です。しかし、子女を探そうとする神様の一念、数千年が過ぎても変わることはありませんでした。そうして、神様は、そのみ旨を果たすために文鮮明先生を地上に遣わし、人間が歩むべき方向を定めるために、私たち人類に「統一原理」を明らかにしてくださいました。その「原理」とは、人間の知性で書かれたものではなく、文鮮明先生が神様と議論し、サタンと血闘を繰り広げて探し出した、人類救世の書なのです。それを精読してごらんなさい。そこには、人生のすべてが含まれています。それを精読してごらんなさい。そうすれば、皆さんの知性が皆さんの霊魂を、どの程度呼び覚ましたかが分析でき、皆さんがどのように生活すべきで、生活の方向をどこに定めるべきかを悟れることでしょう。
 知性人の皆さん! 皆さんが考えた偉大な人物、偉大な尊敬の対象とは誰でしょうか。自問自答してごらんなさい。彼らの大部分は、地上生活に必要な内容を残した偉人たちであることでしょう。しかし、皆さんの来世の生活にまで責任を負おうとする偉大なる師を、皆さんは、いまだに探せずにいるのです。文鮮明先生は、私たちに来世の永存を悟らせてくださり、私たちの霊魂にまで責任をもとうとされる、神様に代わる使命をもって、人類を永遠なる平和の道に導いていらっしゃるのです。
 そのお方を研究してごらんなさい。そして、そのお方よりも偉大な師がいるか、比較して探してごらんなさい。もし、地上に来られた偉大なる師として、このお方より偉大な師がいないと思うなら、皆さんはどうしますか。深刻な立場であり、深刻な時間であり、皆さんの人生に重大な決断を要する時間になるのです。人生は長くはありません。来世は明らかに存在します。それならば、真の師に会って来世を研究し、備えるのが賢明だと考えるべきではないでしょうか。
 皆さんの学問も知性も、神様に誇るものとはなりません。謙虚な者のみが、神様と共にとどまることができるのです。そのお方の偉大な真理を学び、皆さんのものとして消化して、永遠なるこの場に来るとき、無知な乞食の姿になることは避けなければなりません。最高の知性人とは、神様を自らの父母様として迎え入れる人でしょう。そのような人のみが、最高の知性人だと結論づけたいと思います。
 (二〇〇一年四月十日)

 

トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson、在位期間1801~1809。アメリカ第三代大統領、独立宣言書起草)のメッセージ

建国精神に帰りなさい

 

静かな国、韓国で素晴らしい聖人、メシヤがお生まれになられたので、東洋の明るい光が全世界に照らされていくことを懇切に願う心で、ジェファーソンの心情を伝えようと思います。私たちアメリカの偉大な建国精神は、どの国にも劣りません。私は、それに誇りをもっています。

しかし、ここ死後の世界で、私は、静かで小さな韓国人をとてもうらやましく思っています。思想的葛藤、人種的葛藤、そして多くのテロに苦しんでいるアメリカ国民の、どこに平和と幸福があるでしょうか。人類のメシヤ、人類の真の父母は、世界平和の思想をもっています。アメリカの指導者たちは、その思想を受け入れてみなさい!アメリカは、外的最強国の自尊心だけを求めずに、人類の平和のために何をしているのかを冷静に判断してみなさい!

アメリカ国民よ、再び立ち上がりなさい!そして、建国精神に帰りなさい!韓国に顕現された人類のメシヤ、文鮮明先生の教えに従いなさい!私たちの建国精神と、その方の教えは違いありません。ここで、歴史的に有名な大統領と王たちが、その方の平和思想の偉大性に感激しています。

アメリカよ、再び立ち上がりなさい!そして、神様の新しい真理、新しい希望の地となりなさい!それが、この時代のアメリカの召命です。

トマス・ジェファーソン(二〇〇二年六月十日)

 

ヒンドゥー教の聖賢ヤージュニャヴァルキヤ(Yajnavalkya、『白ヤジュル・ヴェーダ』を執筆した古代賢人)のメッセージ

四大聖人たちの指導を受けながら、「統一原理」の教えに従います

 

四大聖人たちと聖賢たちが、ヒンドゥー教のために、このように激励してくだって感謝します。特に、ムハンマド様は何度もここに来られて、「愛しています。私たちは互いに愛し合いましょう。私たちが互いに愛し合えば、地上でも互いに愛し合い、一つになります」とお話ししてくださって、とても感謝し、感激しました。また、四大聖人たちが互いに尊敬し合い、互いに一つになっている姿は、とても美しいものでした。彼らはみな、彼らが一つになったのは「統一原理」があるからだと、ずっとお話しされ、私、ヤージュニャヴァルキヤは、最初から「統一原理」に対する好奇心を強くもちました。

私が神様と呼べば、神様は訪ねてこられますか。このような教えは一度も聞いたことがなく、とても不慣れです。ヒンドゥー教徒はみな、遠い国から初めてここに訪ねてきたかのようです。私たち、ヒンドゥー教において、「統一原理」はとても難しいものです。そして、神様が恐ろしいです。罪人でない罪人のような気分です。しかし、四大聖人たちが一つになるまでの苦衷を話してくださり、私にはとても大きな慰めになりました。私たちは、四大聖人たちの姿に似て、その指導を受けながら、「統一原理」の教えに従おうと思います。そして今は、「統一原理」がとても不慣れですが、私たちはそれを熱心に勉強したいと思います。また、私たちは、指導されているという地上の文鮮明先生を、詳しく見極めたいと思います。ありがとうございました。

、ヤージュニャヴァルキヤ(二〇〇二年四月十四日)

 

ヒンドゥー教の聖賢マイトリ(Maitri、紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャッド』に記録された聖人)のメッセージ

私たちの行動の方向を、はっきり定めるつもりです

 

ヒンドゥー教徒たちに、このようにあふれんばかりの愛を施してくださり、心から感謝いたします。温かい愛と配慮で私たちの手をつかんでくださり、激励してくださる四大聖人の姿を体験すれば、私たちは「統一原理」を聞かなくても、それが意味するところを十分に理解することができるでしょう。私、マイトリは、ヒンドゥー教徒たちからも受けられなかった温かい愛と理解を、四大聖人たちから受けました。四大聖人たちは等しく、「統一原理」を理解するようになれば、神様と人間、人生、そして歴史に対する質問がなくなるとおっしゃりながら、真正の愛で私たちを見守ってくださいました。私は生まれて初めて、満ち足りた感情を体験しました。私たちは、統一原理を聞く前から、そのような気分で「統一原理」の講義に臨むようになりました。

果たして、「統一原理」は文字どおり、「統一原理」であることを自覚しました。今回の教育の場は、人間が歩むべき公式的な道を案内する修練場です。「統一原理」はヒンドゥー教だけでなく、あらゆる宗教者たちが必ず理解すべき生活の指針書です。それから、人間を創造された神様がただお一人だけなのに、人間個々人、あるいは、ある共同体が神様のみ旨と異なる道を歩むとすれば、それは間違った道であることでしょう。私は、誰にでも「統一原理」を勧めたいと思います。「統一原理」は本当に不思議で、驚くべき内容をお教えています。そして、宇宙と人生に対するはっきりとした教えがあるにもかかわらず、私たちはそれを全く知らずに生きてきました。

このようにとてつもない教えを明らかにされたお方は、文鮮明先生だと、講師たちは紹介しました。神でない人間が、これを明らかにしたというから、本当に驚くべき事実であらざるを得ません。講師たちによれば、神様がそのお方に、「真の父母」という称号をお与えになったということです。私たちに、今、指導を受けるべき真の師と真の指導者がいらっしゃるので、とても有り難いです。今は多少、落ち着かず、慣れませんが、私たちは根本的な核心を知ったので、私たちの行動の方向をはっきりと定めるつもりです。

マイトリ(二〇〇二年四月十日)