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「ヨハネの黙示録」と千年王国

(1) ピューリタン千年王国運動

千年王国論とは、キリスト教の宗教的解釈の一説で、『聖書』の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」をもとに、将来キリストが再臨し、地上でキリストの王国が実現されると考える教義です。しかし、この教義はアウグスティヌスが『神の国』において非難して以降、カトリック教会の支配的教義からは「迷信」として排斥され、中世においては民衆や異端的な預言者に受容され、近代において登場しても、前近代的な「狂信派」の思想として捉えられがちでした。
これが近代イギリスの扉を開いた革命に大きな影響を与えていました。千年王国論は単に前近代、狂信的という言葉では片付けられない歴史的役割を担っていたことになります。なぜなら、革命以前、多くのピューリタンが迫害から逃れてアメリカ大陸のニューイングランドへと渡り、本国から遠く離れたこの地で、祖国の腐敗を嘆き、新しい地における理想の国の実現を目指す千年王国論が確立されていきました。最近の研究では、清教徒たちの「大移住」には、「千年王国論」が大きく影響していると見られています。
ピューリタンの思想は、広くはカルビニズムの流れに属しますが、「契約神学」と呼ばれる独自なもので、神人関係も社会関係(家庭や国家)も契約で考え、聖書にのっとって地上に理想社会 (神の国) を実現し、神に対し責任をもつ生活をすることを目標としました。
千年王国論はピューリタン革命から110年後のアメリカ独立において再度姿を現し、アメリカにおいて、モルモン教や、エホバの証人などのプロテスタント教会に強い影響を及ぼし、彼らを理想郷造りに駆り立てました。
清教徒」と訳される「ピューリタン」という名称は、最初イングランドの女王エリザベス1世のアングリカニズム(英国国教会中心主義)による宗教政策を不徹底な宗教改革とみなし、国教会をジュネーブ宗教改革者カルバンの教会改革のモデルに従って徹底的に改革しようとしたプロテスタントにつけられたあだ名でした。
以上≪ユートピア研究 ピューリタンの理想社会の実現≫よりhttp://www.geocities.ws/genitolat/Utopia/000.html

 

プロテスタントピューリタンにとって、将来キリスト教の教理であるイエス・キリストの再臨、人間の体の復活、最後の審判、天国あるいは地獄への裁き、新天新地の到来があると信じられてきました。この信仰のもとに、キリスト再臨後に訪れるとされる千年王国を待ち望み、神に選ばれた選民として聖書にのっとった禁欲生活を守り、キリスト再臨まで神に対し責任をもつ生活をすることを目標としました。そしてキリスト再臨以降は、小羊の婚姻に招かれる栄誉に浴し、さらにこの地上にキリストとともに神の千年王国を実現しようという理想を抱いていたと考えられるのです。

 

 (2) 黙示録と終末、千年王国

 では、「千年王国論」のもととなった「ヨハネの黙示録」には、どのように書かれているのでしょうか。ヨハネの黙示録は、聖書の最後に登場する預言書で、紀元96年頃、パトモス島のヨハネによって書かれたとされています。)

ヨハネの黙示録』は、古代キリスト教の小アジアにおける七つの主要な教会にあてられる書簡という形をとっています。黙示録によると、(キリストの再臨が近づいた時)小羊によって封印(*1)が解かれ、天において神とサタンの壮絶な戦いが繰り広げられるとされています。地は暴虐に満ち、天変地異が続き、多くの人びとが苦しむとされています。神の怒りが極みに達した時、キリストが雲に乗って再臨し、大淫婦の裁き(*2)とバビロンの滅亡(旧き罪の世界の解体)が起きるというのです。

(*1)小羊について黙示録は次のように記している。「巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当たらないので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老のひとりがわたしに言った『泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる』。」(黙示録5-4~5)

(*2)地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒によいしれている。(黙示録17-2)

この裁きの後、汚れのない聖徒たちの婚姻=子羊の婚姻=が行われると書かれています。キリストの千年の統治が始まり、サタンは底知れぬ所に封印されるのです。殉教者と、獣の像を拝まず、獣の刻印を受けなかった者が復活して、千年間統治するというのです。千年王国の後、サタンが一時的に解放されて神の民と戦うものの、滅ぼされると書かれています。最後の裁きがなされた後、神が人と共に住み、涙をぬぐわれる、死もなく、悲しみもない新天新地が到来するというのです。そこにはいのちの書に名が書かれている者だけが入ることが出来るとされているのです。

ヨハネの黙示録  http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Yohane.html

第18章 (1~6)
この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
わたしはまた、もうひとつの声が天からでるのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜいれた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。

第19章(1~9)
この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、「ハレルヤ、救と栄光と力とは、われわれの神のものであり、そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を彼女になさったのである」。

再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。
すると、二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝して言った、「アァメン、ハレルヤ」。
その時、御座から声が出て言った、「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。小さき者も大いなる者も、ともに、われらの神をさんびせよ」。
わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれたものは、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。

第20章 (1~3)

またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手にもって、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕らえて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。

 

(3)千年王国の理想と終末において処する態度

千年王国の理想は、キリスト教世界だけにとどまりません。原始共産制をめざすマルクス主義キリスト教の影響を受けたものであることは、多くの識者によって指摘されています。また、東洋世界にも仏教の弥勒思想による弥勒浄土思想(千年王国思想)が広く伝わっています。キリストの再臨を願うように、東洋では弥勒の下生はずっと待望されてきました。日本でも弥勒下生は、仏教だけにとどまらず神道の教派においてもずっと待ち望み続けられてきました。千年王国あるいは弥勒浄土は、地上での生に苦しむ人間にとって唯一救いと希望を託せる未来預言だったのです。

東洋、西洋で伝えられてきた千年王国思想には、次のような共通点があります。

千年王国思想は
1. 信徒が享受するもので、
2. 現世に降臨し、
3. 近々現れ、
4. 完璧な世界であり、
5. 建設は超自然の者による

という共通した世界観を持ち、
a. この世は悪に染まっており、
b. 全面的に改変する必要があり、
c. それは人間の力では不可能で、神のような者によらねばならず、
d. 終末は確実に、そろそろやってきて、
e. 来るべきミレニアムでは、信徒以外は全員居場所を失う、
f. そのため、信徒を増やすべく宣伝しなければならない。(Wikipedia

千年王国を信奉している宗派では、天変地異や地上の混乱が続く時代が訪れた時、終末が来たと警告します。そして、キリストあるいは弥勒の降臨が近づいており、キリストが直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になった、希望の時が来たと説きます。そして、キリストの再臨、弥勒の下生が近づいたので、千年王国に入るために人びとは「悔い改め」をして信仰姿勢を正すことが重要であると諭すのです。しかし、この説明は幾度も不発であったため、今やほとんど信用されなくなってしまいました。しかし、黙示録の予言は絵空事ではありません。比喩で書かれているため如何ようにも解釈できる想像しきれない内容ですが、恐ろしいことが書いてあることだけは確かです。大本教出口なお教祖の御筆書きには、終末の混乱によって最悪の場合3%の人間しか残らないという予言もあります。地球破滅に近い事態ですね。

黙示録の言葉は、天で起きていることが感得できなければただの戯れにしか聞こえないでしょう。現代も先の未来が見えない「終末」と呼んでもいい時代です。何が起きているのか、何が起きようとしているのか、聖書あるいは弥勒預言に耳を傾けてみてはいかがですか。

出口王仁三郎は、次のような言葉を残しています。「弥勒の世は、弥勒(信者のこと)が法を説くようにならないと到来しないのじゃ」と。また弘法大師の言葉には、弥勒下生の際には自分も地上に下生して弥勒の業に協力すると書かれてあるそうです。悟りを開いてきた聖人は、キリストの再臨あるいは弥勒の降臨を信じて疑っていないのです。私たち一人一人も、終末に際して処すべき姿勢・信仰を見つめ直すことが重要ではないでしょうか。