自分の家庭に幸福を見出さない限り、地上天国は到来しない

「王様であろうと農民であろうと、自分の家庭で平和を見出すものが一番幸福な人間である。(ゲーテ)」

ゲーテのこの言葉には、すべての人間の究極の願いが込められている。どんなに社会的に成功したとしても、どんなにお金を儲けても、足元の家庭が安定して平和で楽しくなければ、人生は切ないものである。反対に、家庭が平和で安らぎに満ちたものであれば、世間の荒波に翻弄されていても辛抱して耐えていくことができる。「人」という字は、二本足で支える形をしている。人間は独りで生きていくようには造られていない。夫婦は「ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マルコ10章;マタイ19章)

古今東西、この世における幸福は家庭の幸福と平和な世界に包まれた社会の中で生きることである。歴史上の賢人の言葉をまず紹介してみよう。

とにもかくにも結婚せよ。
もし君が良い妻を得るならば、
君は非常に幸福になるだろう。
もし君が悪い妻を持つならば哲学者となるだろう。
そしてそれは誰にとってもよいことなのだ。 
 ソクラテス (古代ギリシアの哲学者 / 紀元前469~399)

結婚は個人を孤独から救い、
彼らの家庭と子供を与えて空間の中に安定させる。
生存の決定的な目的遂行である。
 ボーヴォワール (フランスの作家、哲学者 / 1908~1986)

結婚には多くの苦痛があるが、
独身には喜びがない。
 サミュエル・ジョンソン (英国の詩人、批評家、文献学者 / 1709~1784)

結婚をしないで、
なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、
腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。
 グレタ・ガルボ (スウェーデン出身のハリウッド女優 / 1905~1990)

人類は太古の昔から、
帰りが遅いと心配してくれる人を
必要としている。
 マーガレット・ミード (米国の文化人類学者 / 1901~1978)

幸せな結婚の秘訣は、
どれだけ相性が良いかではなく、
相性の悪さをどうやって乗り越えるかにある。
 ジョージ・レビンガー (米国の心理学者)

何と心打たれる言葉の数々であろうか。同じ人生を生きるならば、よき伴侶を持つべきではないだろうか。

賢人の言葉は、そのまま神が人間に願ったことである。この世の始まりが一組の夫婦から始まるのは、旧約聖書だけではない。日本の古事記の国産み神話を読んだ人は少ないと思う。次のように書かれている。

古事記の一節、伊邪那岐命伊邪那美命の国土生成の話

さて、天津神々は、伊邪那岐命伊邪那美命の二神に、「この、まだふわふわとした国土を、造り固めて下さい」と、一本の矛を授けてお任せになった。そこで、二神は天の浮橋に立って、その矛を差しおろして、潮をこをろこをろとかきまわして引き上げ給うと、その矛の先から、ぽとぽとと潮のしずくが滴り積もって島となった。これが自凝島(おのごろしま)である。

二神はその島に天下り遊ばされて、柱を立て、広い御殿をお造り遊ばれた。そうしてから、伊邪那岐命が、

「そなたのからだの形はどのように出来ていますか」と、伊邪那美命にお尋ねになると、

「わたくしのからだは成り整ってはおりますけれど、足りない所が、ひと所だけございます」とお答えになった。

「わたしのからだは、余っている所が、ひと所ある。だから、このわたしの余った所を、そなたの足りない所に刺しふさいだら、国土が出来ると思うが、いかがなものであろう」

「それがよろしうございましょう」

「では、わたしとそなたと、この柱をめぐって、婚(まじわ)りをすることにしよう」

こう約して、「それでは、そなたは右からお廻りなさい。わたしは左から廻ることにするから」
こうして、二神が柱を廻られる際に、伊邪那美命がまず、「あゝ、お美しい、愛しいかた!」とお唱えになり、後に、伊邪那岐命が、「おゝ、美しい、可愛いおとめよ!」と仰せられた。しかしその後に、「女が先に言ったのはよくなかった」と仰せられたけれども、とにかく寝屋におこもりになって、水蛭子(ひるこ)をお生みになった。

聖書のアダムとイヴの神話と似たような物語が展開しているのである。

天理教が受けた啓示
中山みき教祖が天啓を受けた天理王命の教えである「みかぐらうた」は、次のような文言で始まる。

あしきをはらうて たすけたまへ てんりおうのみこと

ちよとはなし かみのいふこと きいてくれ

あしきのことは いはんでな このよの ぢいとてんとを かたどりて ふうふをこしらへ きたるでな これハこのよの はじめだし

あしきをはらうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい

〔神は、天地にかたどって夫婦を造った。これがこの世の始まりであると。凡ての人間の救済を急いでいる。心を清らかにして。天理教の教義では、全世界の人間を救済して、地場に甘露台を建てるとしている。また、結婚は男女それぞれの因縁を寄せる人生の大事であると説かれる。〕

神の計画は、この地上に一組の夫婦を造ることが出発点だったのだ。そして宗教の目的も、幸せな結婚をして平和な家庭を築いて地上に甘露台(地上天国)をもたらすことである。儒教に誰もが聞いたことがある【修身斉家治国平天下】という言葉がある。孟子は、次のように述べている。

人恒の言あり。皆天下国家と曰う。天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り。(離婁章句上)

<世間の人はだれもが「天下国家」と口癖のように言うが、天下の本は国であり、国の本は家であり、家の本はこのわが身であることをとかく忘れがちだ。一身が修まらないで、天下国家を論じたとてなにになろうぞ。>

天下国家が治まり地上に天国を築くには、まず自らの身を治め、幸せな家庭を築くことが始まりとなる。
「宗教の目的は、地上天国の建設にあるが、それを実際に行うのは人間である。人間一人一人の幸福にとって一番重要なのは、家庭であり結婚である。一国の王様といえども、家庭が幸福でなければ、人生の幸福は得られない。ここに重要な出発点がある(出口日出麿)」。ここに宗教の原点がある。

だから結婚はとても重要なことである。「人生にとって、もっとも大切なことは結婚だ。これが失敗したら、その人の一生は失敗である。それでも、まだ魂のほぼ相合うのは結構だが、その差がはなはだしくなるほどやりきれなくなる。ああ若者よ、その他の何物の得なくともよい、真の愛だけは得てくれ!(出口日出麿)」

  • 多くの問題を抱えている現代の家族

ところが、現代の家族は多くの問題を抱えていて、幸せとはいいがたいものである。当然ながらその中で育つ子供達も幸せではない。人は平和と幸せな世界を築きたいと願うものの、結婚と家庭を築くことにしり込みしている。また家庭を築いたとしても、お互いに理解しあえず離婚となることが日常茶飯事である。現在、人生の基地となる家庭の多くは壊されており、人生が幸福であるかといえば疑問符が付く。現在家族が抱えている問題は、複雑でやりきれないものが多い。

天理教の教義では、結婚は男女それぞれの因縁を寄せる人生の大事であると説かれている。結婚は、男女それぞれの因縁を引き寄せるのである。ブログ〔ブログ2014年11月11日家系の法則3-先祖の因果が子に報う〕で語ったような形で、実際の家庭の中に問題が起きてくるのである。多くの家庭で、外には内緒にしているものの複雑な家庭問題を抱えていることが多い。誰にも大っぴらに相談しづらいものなので、一人で悩まれているケースが多い。何が悪かったのかもよくわからず、方策を見つけきれない。家庭には、先祖からの罪科が集中して現れてくるのである。兄弟仲が悪いとか、両親の仲が悪いとか、家庭内暴力が止まらない、子供の閉じこもりとかいう問題は、自分に原因があるというより先祖から持ち越してきた問題なのである。そして、仲良くできないことを当たり前として、「兄弟は他人の始まり」と争いが始まることは当然のことと思われてきた。

では、いつから家庭は壊されたのかといえば、人類の創生時に壊されたようだ。聖書は、そのことをアダムとイヴの話として伝えている。上に述べた古事記は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが、婚(まじわ)りをして、「女が先に言ったのはよくなかった」と仰せられたけれども、とにかく寝屋におこもりになって、水蛭子(ひるこ)をお生みになった。>何かの間違いがあって水蛭子(ひるこ)=不具の子が出た、と語る。どうも、男女の交わりに第一の原因があり、そののち生まれて来た子供が健全ではなかったと伝えている。聖書によれば、アダムとイヴの子供カインとアベルの間では人類最初の殺人が行われたと記述されている。

幸せであるはずの家庭の破壊は、人類創生から始まっているようだ。そして、直視しなければいけないことは、人類始祖に起きた家庭の悲劇は、現代でも日常的に起こされているという現実である。このことが、家庭が不幸になる原因である。

  • 家族が抱えている問題は、子孫が解決しなければならない

男女それぞれが引き寄せた罪科が、家族の抱える問題となっている。先祖の犯した罪科は、子孫が解決しないといけないものである。先祖の業を関係のない人が償うという理屈は成り立たない。

「霊界で罪科に苦しむ霊魂を救うには、神への祈念とともに、その霊魂と因縁のある者が、なんらかの形で、代わって罪のつぐないをせねばならない。その霊魂の負う罪の多寡、また救済する者の祈念力の大小で、“あがない”の規模、期間に差違はあるが、いずれにしても、この形はふまねばならない。このことなくして現界からの霊魂の救済はない。」(出口日出麿)

 

  • 地上天国の理想は家庭から

「この世の改造ということが、そう手っ取り早くできるものではない。表面だけの改造なら今日の日でもできるけれども、それはまたすぐに壊されるものだ。神さまは、“得心さして改心さす”と仰っている。“悪でこの世が続いていくかどうかということをみせてあげる”と仰っている。“渡るだけの橋は渡ってしまわねばミロクの世にならぬ”と仰っている。どうもそうらしい。せめて世界中の半分の人間が、なるほどこれは間違っているということを心の底から気づいてこなくてはダメだ。(出口日出麿)」

地上天国を築くということは、共産革命のように制度改革をすれば済む問題ではない。人間が築くものである以上、人間が得心して心が変わっていなければできるものではない。それは、一人一人の人間が本心に目覚めることであり、人生の基地となる家庭に天国を築くこと、それが最初の一歩である。地上天国の理想は家庭から始められなければならないのである。

聖書のヨハネの黙示録に小羊の婚姻が描かれているが、エデンの園の再興は、幸せな結婚と家庭づくりから始まることを示唆しているのである。