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朱子(朱熹)の鬼神論(2)

(4)問う。『遊魂、変をなす』とありますように、時たま人に祟るものがあります。どうして散らずにおれるのですか。」

先生いう。「『遊』というのは、次第々々に散るということである。人に祟るものの場合は、まともな死に方をしなかったものが多い。その気が散らないので、結ばれて祟るのだ。体がひ弱くて病死した人の場合は、気が完全に消耗してから死ぬので、二度と結ばれて祟るようなことはない。しかしまともな死に方をしなかったものも、しばらくたつうちに散る。たとえばうどん粉をこねて糊を作る場合、なか頃には、小さいかたまりとなって散らないものができるが、しばらくこねているうちに次第に散ってくる。またたとえば『その精を取ること多く、その物を用ふること弘し』といわれている伯有のようなものも、すぐには散らないのである。張横渠は、『物が初めて生ずる時は、気が日々やってきて生長する。物が完全に生長しおわると、気は日々返っていって離散する。やってくるのを神という。気が伸びるからである。返っていくのは鬼という。気が帰るからである』と述べている。天下の万物万事は、古から今に到るまで、陰陽二気の消息屈伸にすぎないのだ。張横渠は、屈伸ということで一貫して説いた。謝上蔡の説は、循環のありさまをうまく説いていないようだ。『宰我曰く、われ鬼神の名を聞けども、その謂ふところを知らずと。子曰く、気なるものは神の盛んなるなり。魄なるものは、鬼の盛んなるなり。鬼と神とを合はすは、教への至りなり』の注に、『口鼻の嘘吸を気となし、耳目の聡明を魄となす』とある。気は陽に属し、魄は陰に属しているのだ。いま『眼光が落ちる』といういい方をするものがいるが、これがつまり『魄が降る』ということである。いま人が死のうとしているのを、また『魄が落ちる』ともいう。気の方は升って散るだけだ。だから『魂気は天に帰り、形魄は地に帰る』というのだ。道家の養生法にもこんな説があり、わが儒教の説とおおむね一致している。」葉賀孫

 

(5)問う。「人が死ぬ時、一体、魂魄(コンハク)はすぐ散るのですか。」

先生いう。「勿論そうだ。」

また問う。「子孫がお祭りをすると、先祖の霊が感じてやってくるのはなぜですか。」

先生いう。「結局、子孫は祖先の気なのだ。祖先の気は散っても、その血すじをひくものがちゃんといて、誠敬を尽くすならば、やはり祖先の気を呼び寄せて集めることができるのだ。たとえば波がただようようなもので、後の水は前の水ではなく、後の波は前の波ではないが、どれもこれも同じ水の波なのだ。子孫の気と、祖先の気との関係も同じことだ。祖先の気はすぐに散ってしまうが、血すじを引くものはちゃんといる。ちゃんといる以上、祖先の気を呼び集めることができるのだ。この事は説明しにくい問題だ。各人が自分で理解しなければいけない。」

問う。「『下武』の詩の、『三后、天に在り』の先生の解釈に、『天に在りとは、三后が没した後、その精神が、上、天に合するという意味だ』とありますが、これはどういうことですか。」

先生いう。「つまりそういう理もあるということだ。」

劉用之いう。「多分、理として上、天に合するまでなのでしょう。」

先生いう。「理がある以上、気もあるのだ。」

ある人いう。「想像ですが、聖人は清明純粋な気を受け取っているので、死ぬと、その気が、上、天に合するのでしょう。」

先生いう。「まあそういうことだ。この件はさらに微妙なところがあって説明しにくい。各人が自分で理解しなければいけない。世の中の道理には、まともでわかりやすいものもあれば、また変化常なくて、推測できないものもある。このように考えてこそ、道理というものをとらわれずに理解することができるのだ。またたとえば『文王陟降(チョクコウ)して、帝の左右に在り』というのは、いまもし文王が、本当に上帝の左右にいるとか、本当に世間で造られている泥人形のような上帝がいるとかいうならば、勿論いけない。しかし聖人がそのように説いているからには、つまりそんな理もあるのだ。たとえば周公の『金縢』の中にある、『すなはち壇嘽(ダンゼン)を立つ』の一節は、あきらかに死者に対するものだ。『もし爾三王、これ丕子(ヒシ)の責を天に有せば、且を以て某の身に代へん』という一条は、先儒はみな間違った解釈をしており、晁以道(チョウイドウ)のだけがよい。晁以道は、『丕子の責』を、史伝中にある、侍子(ヒトジチ)を責(モト)む」の『責』のように解釈している。思うに『上帝が三王の侍子を責める』というのであろう。侍子は武王をさしているのである。上帝が、武王がやってきて左右に服事することを責めたので、周公が武王の身代わりになって死ぬことを乞い、『且を以て某の身に代へん』といったのだ。三王にもし天に対して侍子を差し出す責任があるならば、私を武王の身代わりにした方がよろしい。私は多才多芸で、上帝によくお仕えすることができるが、武王は私のように多才多芸ではないから、鬼神にお仕えすることができません。それよりもしばらくこの世にとどめて、あなた様の子孫と、世界中の人民を治めさせた方がよろしいという意味だ。文意は以上のようであるが、程伊川は、周公が自分から多才多芸であるというはずはないであろう。そうではなくて周公はただ、武王の身代わりとなって死のうとしたまでだと考えた。」

劉用之問う。「先生が廖子晦に答えた手紙に、『もはや散った気は、死んだ以上は存在しない。しかし理にもとづいて日々に生ずるものは、勿論、広大であって窮まることがない。だから謝上蔡が、自分の精神は、つまり祖先の精神であるといったのは、思うにこのことをいったのであろう』とあります。そこでお尋ねしますが、理にもとづいて日々に生ずるものは、広大であって窮まることがないというのは、天地が気によって万物を創造するという場合の気を説いたのですか。」

先生いう。「気はまったく同じだ。『周礼』にいわゆる『天神・地示・人鬼』は、三様があるけれども、本当はまったく同じなのだ。もし子孫のいるものは、祖先の気を招き寄せることができると説いたとしても、子孫のいないものは、祖先の気が全くなくなってしまっているとはいえまい。その血気は流伝しなくても、その気は広大であって日々に生じて窮まることがないのだ。たとえば『礼書』の『諸侯因国の祭』は、自国内に、すでに亡んだ前代の国があって、しかもその君主の子孫がいない場合には、子孫に代って、その国の先祖を祭るのである。たとえば斉の太公が、斉の国に封ぜられた時、なぜ爽鳩氏・季○(草冠に則)・逢伯陵・蒲姑氏などを祭らなければならなかったのか。それは彼らがこの国の前代の君主であり、礼として祭るのが当然だったからであろう。ところで聖人が礼を制定した際に、その国を継承したものは祭るべきであり、その国にいないものは祭るべきではないとしたのは、つまり理としてそうすべきだったからだ。道理としてそうすべきであるならば、気があるのだ。たとえば衛の成公が夢の中で衛の始祖の康叔から、『夏后相が私への饗(マツリ)を奪おうとしている』と告げられたのは、思うに衛は後に帝丘に都したわけだが、夏后相も帝丘に都したのだから、その国に都したら当然夏后相も祭らなければならないのに、祭らなかったので、そのような事態が発生したとしても無理からぬことなのである。またたとえば普候が、黄熊(コウユウ)が寝門にはいる夢をみて、黄熊を鯀(コン)の神であると考えたのも、同じ類のものだ。子孫がいるものであって、はじめて感格の理があるということにはならないのだ。たとえ子孫がいなくても、祖先の気は亡んだことはないのだ。たとえば現在、勾芒を祭っている。それは遠い昔のものだが、祭るのが当然であるとする以上、少しばかりの気があるのだ。要するに天地人を一貫して、この一気だけなのだ。それで『洋々然としてその上に在るがごとく、その左右にあるがごとし』と説くのだ。宇宙空間はどこもかしこも理でないものはないのだ。各人がとらわれずに理解しなければいけない。言葉で教えさとすことは難しいのだ。それで程明道は、人が鬼神について質問した時、『実在しないと説明しようとすると、なぜ聖人は実在すると説いたのであろうか。実在すると説明しようとすると、君はこんどは私に向って根ほり葉ほり尋ねようとするだろう』と答えたのだ。ここまで説明したら、後は各自で理解することだ。孔子は、『いまだ人に事ふること能はず。いずくんぞ能く鬼神に事へん』といった。いまはまず身近で大切な道理を理解するように務めることだ。しばらくして道理がはっきりした時に、自然にわかるのだ。謝上蔡の説で、もはや十分にあきらかなのだ。」沈僴

 

(6)問う。「子孫が祭祀を行う時には、誠意を尽くして祖先の精神(タマシイ)を集めますが、一体、祖先の魂気と体魄を合せるのですか、それとも魂気を感格させるだけですか。」

先生いう。「蕭〔ヨモギ〕と祭脂(イケニエノアブラ)を焫(ヤ)くのは、〔祖先の魂〕気に報いるためであり、鬱鬯(ウツチョウ)の酒を〔地に〕灌ぐのは、〔祖先の体〕魄を招き寄せるためである。つまり祖先の魂気と体魄を合わせるのだ。いわゆる『鬼と神とを合はすは、教への至りなり』だ。」

また問う。「一体、常時このようにするのですか、それとも祭祀の時だけですか。」

先生いう。「子孫の気がありさえすれば、祖先の気はある。しかし祭祀の時でなければ、どうして祖先の気は集まれるだろうか。」

 

(7)先生いう。「世間ではやたらと化け物を崇め尊んでいる。たとえば、私の郷里の新安などは、一日中、お化け屋敷にいるみたいだ。私は一度里帰りをしたことがあるが、世間で五通廟と呼んでいる社がある。とりわけ霊怪で、『霊験あらかたである』といって、みんなが大事にお守りをしている。土地の人たちは、外出する時には、神片をもってお社に行き、おいのりをしてから出かけることにしている。通りすがりのお役人たちは、必ず門生の誰それがしと名前を書いた紙切れを持ってお参りした。私が帰郷した当初、親戚のものたちから、お参りに行けとせっつかれたが、私は行かなかった。その晩、一族の人たちを呼んで宴会をした。役所に行って酒を買ったが、灰が混っていて、飲んだとたんにひどい腹痛がして、夜通し苦しんだ。つぎの日、たまたま蛇が一匹、屋敷の階段のそばに現れた。お参りをしなかった罰だといってみんなが大騒ぎをした。私は『胃の腑が物を消化しなかったのであって、五通廟とは何の関わりもない。むやみに五通のせいにしないことだ』といってやった。なかに一人、学問熱心な人がいたが、この人もやって来て、『これも衆に従うということです』といって、お参りに行くようにすすめた。私は『衆に従ってどうしようというのです。学問熱心なあなたのような人まで、こんなことをいうとは意外です。私は幸いなことに、郷里に帰省する機会に恵まれ、先祖の墓所のすぐ近くにおります。もし本当に祟りで死んだのなら、どうか私を祖先の墓所のそばに葬ってください。はなはだ好都合です』といってやった。」

先生またいう。「地方長官となったら、淫祠を除去しなければいけない。勅額に関係したものの場合は、軽々しく除去してはいけない。」葉賀孫

*:五通廟と称される化け物を祀った社。詳細は不明であるが、通俗篇巻十九、神鬼の部などに記述されている。

 

<出典:諸橋轍次/安岡正篤 監修「朱子學体系第六巻 朱子語類明徳出版社 1981 p34~49佐藤 仁執筆「鬼神」>

 

いかがでしたか。けむに巻かれた気もしますね。