朱子(朱熹)の鬼神論(1)

中国では古代以来、自然=事物と鬼神とは表裏一体のものであった。自然や堅物の裏側に、ある霊妙なものの存在が予感されていた。『周礼』大宗伯にみえる雨師・風師は、雨や風の背後にあってそれらを現象せしめる神である。『中庸』第16章の「物に体して遣すべからず」というのも、より原初的には物の背後にある笹神などの鬼神をいっている。

しかし、儒教は鬼神について来世についてはほとんど語らなかった。孔子自身も、厳密にいえば宗教的な話題には言及したことがない。鬼神に仕えることについて聞かれた時、「未だ人に事うること能わず、焉んぞ能く鬼に事えん(人に仕えることもできないのに、どうして鬼神に仕えられよう)」(先進第十一)と答えている。

この儒教が答えない人々の来世の問題に答えたのが仏教であった。仏教伝来は、中国の人々の不安に救済の手を差し伸べたのである。道教も同じように人々の不安に応えていった。

道教は、不老不死や仙人になるための薬を生み出し、奇蹟を約束する特殊な食養生や肉体の鍛錬法を発展させた。儒教が来世については何も語らないので、来世に対する関心によって道教の魅力はいっそう高まった。道教は何世紀にもわたって影響力を持続することになる。

仏教・道教の普及に刺激を受けて、儒教が宋の時代再構築される。宋儒学、理気学とも呼ばれる朱子学である。朱子学を最終的にまとめたのが朱熹朱子)である。朱子学は、日本へも大きな影響を及ぼしたことは周知のことである。

朱子学の中で、中国古来からの霊妙なる存在、「鬼神」はいかにとらえられたのであろうか。朱子朱熹)の著作「朱子語類」の中に第三巻として「鬼神」が論述されている。第一・二巻が理気で、第四・五・六巻が性理であることからして、重要なテーマとして捉えられていたことは確かである。小倉紀蔵氏は、朱子学の世界観をリアルに理解するためには、鬼神ほど重要なものはないと語られている。私も同感である。小倉氏は、『中庸』第十六章の一節をあげられてその重要性を指摘されている。

視之而弗見。聴之而弗聞。体物而不可遺。

<訓(鬼神は)之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺す可からず

<訳(鬼神は)これを見れども見えず、これを聴けども聞こえず、すべての物の体となってあますところがありえない。

 

朱子学的世界とは、鬼神が充満し、その物をその物たらしめている「物に体する(体物)」空間である。鬼神は民衆の世界においては、日本語の「オニガミ」のように、具体的なお化けや幽霊、物の怪などを意味する。違うところは、朱子学では、鬼神は具体的なオニやお化けという実体があるのではなく、「二気(陰陽)の良能」(張横渠)として、気が帯びている陰陽の作用によって分かれる気の霊的エネルギー状態に「神」「鬼」という名をつけている。自然科学のように、陰陽の作用として受け止めているのである。(気が伸びるのが神、気が屈するのが鬼である。)〈小倉紀蔵著「入門 朱子学陽明学」ちくま新書 2012 P24~25〉

 

一言言えば、「鬼神」について、実体がなくただの気のエネルギー状態であるという朱子学の主張には問題があり、朱子学の根幹を揺さぶりかねないことを指摘しておく。ただ鬼神論を読まれれば感じられると思われるが、とても気のエネルギーとしてだけで処理できているとはいえない。

朱子語類」第三巻「鬼神」について、諸橋轍次/安岡正篤 監修「朱子學体系第六巻 朱子語類明徳出版社 1981より記載する。なお、文中の太字・下線は、小生が付けたものであることをお断りしておく。

 

鬼神(『朱子語類』巻三)

 

(1)ある人問う。「鬼神は実在するのですか、しないのですか。」

先生いう。「この問題は、急には説明できない。説明しても君は信じまい。衆理をつぎつぎにはっきり見ていかなければいけない。そうするとこの疑惑は自然に解消する。『論語』に『樊遅(ハンチ)、知を問ふ。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂ふべし』とあるように、理解しなければならぬことをまず理解し、理解できないことは、しばらくよそへおしやっておくことだ。日常生活の問題をすっきりと解決することができたら、鬼神の理は自然にわかるようになる。それでこそ知なのだ。『いまだに人に事ふるあたはず、焉んぞよく鬼神に事へん』というのも、意味は同じだ。」呉必大

 

(2)問う。「生死鬼神の理についてお尋ねします。」

先生いう。「天道が流行して万物を発育する。理があって、後に気がある。理も気も同時にあるのだが、結局、理の方を重要に考えるのだ。人間は理と気を得て生れる。しかし気には清と濁とがあり、気の澄んだものが気で、濁ったものが質だ。清んだものは陽に属しており、濁ったものは陰に属している。知覚運動は陽の気のしわざであり、骨肉皮毛は陰のしわざである。気は魂といい、体は魄(ハク)というが、高誘の『准南子』の注には、『魂は陽の神、魄は陰の神』とある。いわゆる神は、魂魄が形成をつかさどっているからだ。人間が生れるのは、精と気が集まるからだ。人間がいくら多くの気をもっているからといっても、必ずいつかは尽きはてる。尽きはてると魂気は天に帰り、形魄は地に帰って、死ぬことになる。人が死のうとする時、熱気が立ち上るのは、いわゆる『魂、升る』であり、下半身からだんだんと冷たくなるのは、いわゆる『魄、降る』である。これは生があれば、必ず死があり、始めがあれば、必ず終りがあるとされる理由である。聚散するものは気である。理の場合は、気に宿っているだけで、もともと凝結して一物となっているのではない。ただ人間の身分として当然そうでなければならぬことが理であって、聚散では説明できないのだ。ところで人間が死ぬと、最後には散ってしまうことになるが、すぐに散ってしまうわけではない。だから祭祀に感格**の理があるのだ。はるか遠い昔の先祖の場合、その先祖の気の有る無しはわからないが、しかし祭祀を取り行うものが、その人の子孫である以上、結局のところ気が同じなのだから、感通の理はあるのだ。しかしもはや散ってしまった気は、二度と凝まることはないのだ。ところが仏教徒は、人が死ぬと鬼になり、鬼がふたたび人になると考えている。もしそうなら天地の間には、常に大勢の人々が行ったり来たりしているだけであって、決して造化のはたらきによって生々しないのだ。こんな理はないにきまっている。たとえば伯有***の怨霊が祟ったという点になると、程伊川は別種の道理があるといっている。思うにその人の気がまだ尽くべきでないのに変死した時には、祟ることができるのであろう。子産が伯有のために跡目を立てて、落ち着き場所を与えてやったので、祟らなくなった。子産も鬼神の情状を知っていたといってよい。」

*精:『易』繋辞上伝第四章「精気物をなす」。朱子いう「精と気とを合して物をなすなり。精は魂にして気は魄なり」(『朱子語類』巻七四)。ただし精を魂とし気を魄とするのはなにかの間違いで、精を魄とし気を魂とすべきであろう。(『朱子語類』巻三・第六条)

**感格:祖先の魂が感じてやって来る。

***:伯有:『春秋左氏伝』昭公七年。伯有は春秋時代の鄭の穇(サン)公の子孫、良霄のあざな。不行跡がたたって殺されたが、死後魍魎となって人に祟ったといわれている。

 

問う。「程伊川は、『鬼神は造化の迹』といっておりますが、そんなのも造化の迹なのですか。」

先生いう。「みなそうだ。もし正常な理を論ずるならば、樹上に突然花や葉を生ずることなどが、つまり造化の迹なのだ。またたとえば空中に突然雷霆風雨が発生するのもみなそうだ。ただ人が見慣れていることなので怪しまないだけだ。突然、鬼のなき声を聞いたり、鬼火を見たりすると、すぐに怪しいと思って、これらもまた造化の迹であることに気づかない。ただ正常な理ではないので、怪異とするのだ。たとえば『孔子家語』に『山の恠(バケモノ)を夔(キ)・魍魎(モウリョウ)といひ、水の恠(バケモノ)を龍・罔象(モウショウ)といひ、土の恠(バケモノ)を●(羊+賁)羊(フンヨウ)といふ』とあるのなどは、みな気が入り乱れちぐはぐになって生じたものだ。やはり理として実在しないものなのではない。実在しないと独り決めにしてはいけない。たとえば冬寒く夏暑いのは、理として正常なのである。ある時、突然夏が寒く冬が暑かったとしても、この理がないとはいえまい。ただ理として正常でない以上、これを怪と呼ぶのだ。孔子はそれで話さなかったのであり、学ぶ者も理解する必要はないのだ。」李閎祖

 

(3)先生いう。「昔儒者は、『口鼻の呼吸が魂であり、耳目の聡明が魄である』といっているが、まああらましを説いただけで、さらにその基本になるものがある。これがつまり坎離(カンリ)火水である。煖気(ダンキ)が魂であり、冷気が魄であり、魂が気の神であり、魄が精の神である。思量計度することができるものが魂であり、事柄を記憶することのできるものが魄である。」

先生またいう。「目では明、耳では聡となって現れるものは、魄の作用である。老氏**の『営魄に載る』の営は、晶熒(ショウケイ、きらきらと輝く)という意味である。魄は、きらきらと輝く堅く凝結したものである。釈氏の地水火風***だが、その説に、『人が死んだ時、風水の方が先に散れば、祟ることができない』とあるのは、思うに魂の方が先に散って、魄がなお残っている場合は、完全に消滅していないだけで、やがて自然に崩壊するからであろう。『もし地水の方が先に風水がなお散り遅れていると、祟ることができる』というのは、思うに魂気がなお残存しているからであろう。」

先生またいう。「魂がなければ、魄はみずからを存続させることはできない。もし思い煩うことが多いと、魂は完全に魄と遊離してしまう。老氏はそこで、ひたすら両者が結合するように守っていこうとした。いわゆる『虚を致すこと極まえり、静を守ること篤し』とは、全く動いていないようにちゃんと守るのだ。」

先生またいう。「『気に専らにして柔を致す』の方は、守るということではなくて、専らにするということである。つまり気に専一であって、全く放出しないならば、気は細やかだが、もし少しでも放出すると粗くなってしまう。」

*:後漢の鄭玄のこと

**:老子のこと

***:いわゆる四大のことで、仏教ではこの四種の元素で一切の物質が構成されていると考えた。

<続く>