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ヨブ記と随神(かんながら)の道

旧約聖書の『ヨブ記』は、古より人間社会の中に存在している神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられた「義人の物語」です。『ヨブ記』の主人公ヨブは非の打ち所のない人物でした。この全く正しい人で何も悪いことをしていないヨブに、ある日突然次から次へと不幸が襲いかかってくるのです。神様がいるなら、正しい人がなぜ苦しむのか? ヨブは苦しみの意味を問い、神様と争うという物語です。

 

苦労の多い人生を歩んでいる人にとっては、大変参考になる物語です。ヨブ記を読むと、苦労は必ずしも因果応報ではないことがわかります。苦しい人生を歩まねばならない原因は、自分と自分の背後にある問題だけにあるのではなく、あなたが皆の罪を背負い苦労を引き受けるにふさわしい義人だと神様から見込まれたからだということもあるのです。多くの宗教の創始者は、皆苦労の人生を歩んでいます。理不尽な苦労をも甘んじて受け入れ、忍耐づよく神とともに一心に歩む信仰があるのです。神が見つめる中でサタンに試練され、それを乗り越えていっているのです。

 

 (1)ヨブ記が伝える信仰の姿

 ヨブ記の内容を先ず見てみましょう。(Wikipediaを中心にして)

ヨブはウツの地の住民の中でも特に高潔でした。彼は七人の息子と三人の娘、そして多くの財産をもち、神様に祝福されていました。ヨブが幸福の絶頂にあった頃のある日、天では主の御前にサタンほか「神の使いたち」(新共同訳)が集まっていました。主はサタンの前にヨブの義を示します。サタンとてヨブの義を否定することはできません。しかしサタンは、ヨブの信仰心の動機を怪しみ、ヨブの信仰は利益を期待してのものであって、財産を失えば神に面と向かって呪うだろうと指摘するのです。

「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか」(9節)

サタンの試みは、ヨブの無償の信仰及び無償の愛の世界観を否定することにありました。人は利益もないのに神を敬うでしょうか」というのがサタンの提起した問題でした。

神はヨブを信頼しており、サタンの指摘を受け入れて財産を奪うことを認め、ただし、命に手を出すことを禁じます。サタンによってヨブは最愛の者や財産を失いますが、ヨブは無垢であり罪を犯しませんでした。サタンは敗北します。しかしサタンは、試みが徹底していなかったためだと感じ、今度はヨブの肉体自身に苦しみを与えようと、再度神に挑戦をするのです。サタンは神を挑発して、さらにヨブ自身に危害を加える権利を得ます。サタンによってヨブはひどい皮膚病に冒されてしまいます。

当時の社会情勢下では、皮膚病は社会的に死を宣告されたことを意味し、ヨブは灰の中に座っていました。ヨブの妻まで神を呪って死ぬ方がましだと主張するようになるのですが、ヨブは次のように答えて退けます。

「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。

— (2:10) 、『新共同訳聖書』より引用。(以下、引用はすべて新共同訳)

神はヨブの尊い信仰によってサタンに勝利するのです。

 

その後、ヨブのもとに駆け付けて来た三人の友人は7日7晩、ヨブとともに座っていましたが、激しい苦痛を見ると話しかけることもできませんでした。やがて友人たちは、ヨブにこんなに悪い目にあうのは実は何か悪いことをした報いではないか、洗いざらい罪を認めたらどうかと意見し、議論が繰り広げられます。身に覚えのないヨブは反発します。

三人の友人の主張は、神は正しい者に祝福を与えて罪を犯した人に災いを与えるという因果応報の原理(因果応報は、倫理観を引き出す強い力になるが、社会的弱者や病人には過酷である。)を盾に、元の境遇に戻るために、ヨブが罪を認めて神の信仰に戻ることを求めるというものでした。しかし、ヨブには思い当たるふしがなく、決して悔い改めようとはしませんでした。友人たちが何度その必要を説いても、「自分は間違ったことはしていない」の一点張りで通すのです。

ヨブは神様にまで噛みつきました。自分の運命を呪い、このような目に遭わせた神様に激しく抗議したのです。それが、神様の声を聞くやたちまち豹変し、「わたしが間違っていました」と告白をします

「お前はわたしが定めたことを否定し
  自分を無罪とするために
  わたしを有罪とさえするのか。」(40:8)
神様は、ヨブの苦難を「わたしが定めたこと」と言っています。ヨブの苦難は、神様とサタンの取引の材料だったのです。確かに、ヨブを試みることをサタンに許したのは神ご自身でした。神の自由な裁量によって、それが行われたのです。そのため、神様の「わたしを有罪とさえするのか」という言葉になったのです。

ヨブは、自分の運命に対する神の責任を追及してきたのだと言えます。どうして、神様は私をこんな目に遭わせるのか。どんな正当な理由があってのことなのか。どうか、そのことを説明し、納得させて欲しいと、詰め寄るのです。これは、苦難を背負わされた人間が必ず神様に問いたいと思うことです。だからこそ、ヨブの言葉が、私たちの胸に響くのです。

(参考ウエブサイト:ヨブ物語 http://www2.plala.or.jp/Arakawa/job_index.htm

 

(2)随神の道(本居宣長の言説を通して)

実はヨブの信仰姿勢は、日本の随神の道によく似ているのです。

本居宣長は、『随神の道』とは、万事みな善悪の神の所為であるから、よくなるもあしくなるもすべて神の計らいであるから、神の御心にまかせて神の心に従うのが『神の道』であると述べています。良いこと悪いこと、どんなことも受け入れることが重要であるというのです。理屈や結果の良し悪しにとらわれず、すべて受け入れるという姿勢は、ヨブに通じる信仰姿勢ではないでしょうか。

日本人の神に対する信仰には、こうした無意識の姿勢があるといえるようです。天変地異で突然不幸が襲ってきても、それをじっと我慢して受け止め、「せむかたなし」とする姿勢は、神にすべて委ねた姿そのものように思われます。理屈はありません。理由もわかりません。ただ、神がそのようにされるから、そのまま受け入れているようです。だから、大震災が起きても、暴動など起こさず静かに事態を受け入れます。人間にはどうしようもないことなので、ただ受け入れるしか方法がないのです。恨んでも文句をいっても仕方がないことをよくわきまえているのです。

 

本居宣長は、次のように語っています。

「世の中のありさまは、万事みな善悪の神の御所為なれば、よくなるもあしくなるも、極意のところは、人力の及ぶことに非ず。神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ物なれば、此根本のところをよく心得居給ひて、たとひ少々国のためにあしきこととても、有来りて改めがたからん事をば、俄かにこれを除き改めんとはしたまふまじきなり」(「玉くしげ」)

「そもそも神は、人の国の仏聖人などのたぐひにあらねば、よの常におもふ道理をもてとかく思ひはかるべきにあらず。神の御心はよきもあしきも人の心にてはうかがひがたき事にて、この天地のうちのあらゆる事は、みなその神の御心より出て神のしたまふ事なれば、人の思ふとはたがひ、かのから書の道理とははるかに異なる事もおほきぞかし(『石上私淑言 巻三』)とのべ、人のもっともだと思うような〈道理〉に立って、この世のあらゆる事をおしはかろうとするあり方を〈漢意〉と批判しながら、「神の御心」にうちまかせ、その心にしたがうのが「神の道」なのだというのです。子安宣邦著「平田篤胤の世界」ぺりかん社2001)

世の中のありさまは、万事人間にはわからない深遠な神のはからひ、神の道があるのであって、神の御心にうちまかせて従うことが随神の道なのだと言っているのです。

そこには、赤子のように純真無垢な信仰の姿が垣間見えます。

 

宣長は、また次のようにも言っています。「聖人の書を読みて、道を明らかにし、而して後に、禽獣免れんとするか、亦迂なるかな」、異国人は、そんな考えでいるかもしれないが、自分は日本人であるから、そうは考えていない。一体、人間が人間であるその根拠が、聖人の道にあるとはおかしいではないか。人の万物の霊たる所以は、もっと根本的なものに基づく、と自分は考えている。「夫れ人の万物の霊たるや、天神地祇の寵霊に頼るの故を以てなるのみ」、そう考えている。従って、わが國には、上古、人心質朴の頃、「自然の神道」が在って、上下これを信じ、禮義自ら備るという状態があったのも当然な事である。小林秀雄小林秀雄全集第十四巻 本居宣長」新潮社2002p58)

 

「抑世中の万の事はことごとく神の御心より出て、その御しわざなれば、よくもあしくも、人力にてたやすく止むべきにあらず、故にあしきをば皆必止よと教るは強事也」(「呵刈葭」)と述べているように「よくもあしくも」現実肯定、従順を述べている。「玉かつま」の中では、「今のおこなひ道にかなはざらむからに、下なる者の、改め行はむは、わたくし事にして、中々に道のこころにあらず、下なる者はただ、よくもあれあしくもあれ、上のおもむけにしたがひをるものにこそあれ」。すなわち「神の御心」や神の「御しわざ」に対する敬虔な信仰が、ここでは「よくもあれあしくもあれ」と「上のおもむけ」に対する「下なる者」の絶対的な服従につながっている。(松本三之介「幕末国学の思想史的意義」日本思想体系51「国學運動の思想」岩波書店 1971所収)

儒教も仏教も老荘の道も、それが生まれたのは「神のしわざ」であり、「皆ひろくいへば、其時々の神道也」と考えた彼は、「儒を以て治めざれば治まりがたきことあらば、儒を以て治むべし。仏にあらではかなはぬことあらば、仏を以て治むべし」(「鈴屋答問録」)と述べている。激しく批判した朱子学についても、「国を治むる人の、学問し給はんとならば、をさまれる世には、宋学のかた、物どほけれど、全くてそこひ無し」(「玉かつま」)と激賞する言葉さえ見出される。(松本三之介「幕末国学の思想史的意義」日本思想体系51『國學運動の思想』岩波書店1971所収)

 

「よくもあしくも従順についていく」というこの信仰姿勢は、どんな試練を課されても神を信じてついて行ったヨブの信仰に通ずるものではないでしょうか。

世の中が大きく変わろうとするときには、ヨブのように神に召命されて苦難の道を歩まされている人が多く出ます。一人一人が苦難の道を甘んじて受け入れて乗り越えていくことによって、未来が大きく切り開かれていくのです。

○「神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」(『コリント人への手紙』8章3節)

○「思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。」(ブッダ)