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日本国粋主義の元凶とされている平田国学の「万国の本国」思想

和辻哲郎は、『日本倫理思想(下)』の中で、「篤胤は、その狂信的な情熱の力で多くの弟子を獲得し、日本は万国の本である、日本の神話の神が宇宙の主宰神であるというような信仰をひろめて行った。この篤胤の性行にも、思想内容にも、きわめて濃厚に変質者を思わせるものがあるが、変質者であることは狂信を伝播するにはかえって都合がよかったであろう。やがてこの狂信的国粋主義も勤王運動に結びつき、幕府倒壊の一つの力となったのではあるが、しかしそれは狂信であったがために、非常に大きい害悪の根として残ったのである」と、述べている。(*1:p225)

明治20年代にはこのように平田篤胤の評価は定まっていた。しかし、この「万国の本国」思想は、ここで終焉したのではない。《日本は万世一系の皇統を守り続けている国である。皇室は万世一系の天照大神の子孫であり、神によって日本の永遠の統治権が与えられている(天壌無窮の神勅)天皇により日本は統治されている》という皇国史観・国体主義が主張され国民に広まる中で、再び脚光を浴びていったのである。日本では、国家が危機に瀕してくると、「日本は神国である」という主張が高まり国民を鼓舞するという歴史がある。日清日露戦争の時、太平洋戦争の時、「我が国は天皇を頂いた神国である」という主張がなされ、国民を鼓舞していった。その「神国」観念も、太平洋戦争の敗戦によって灰塵に帰し、国民は幻想から覚めたのだが。

 

国粋主義の元凶とされる平田篤胤の「万国の本国」思想とはいかなるものか、平田篤胤の主張の中にその姿を見てみる。篤胤の主著とされる「霊能真柱」の中にはこのように記述されている。(なお、平田篤胤は狂信者とされているが、仙童寅吉を通してあの世(幽冥界)の世界の見聞を深めようとする一方、キリスト教をはじめとして諸外国の宗教・古史を研究して、人間の救済について真剣に考えていたことを付記しておく。)

 

≪「万国の本国」思想≫

①   我が皇大御国(すめらおおみくに)は、万国の、本つ御柱たる御国にして、万物万事の、万国の卓越たる元因、また掛まくも畏き、我が天皇命は、万国の大君に坐すことの、真理を熟に知得て、後に魂の行方は知るべきものになむ有ける。(『霊能真柱』上巻)

②   こ々に吾が皇大御国は、殊に、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)二柱の大神の、生成賜へる御国、天照大御神の生坐(あれます)る御国、皇大孫命(すめみまのみこと)の、天地とともに、遠長に所知看御国(しょしめすみくに)にして、万国に秀で勝れて、四海の宗国たるが故に、人の心も直く正しくして、外国の如く、さくじり偽ることなかりし故にや、天地の初の事なども、正しき実の説有て、少(いささか)も、私のさかしらを加ふることなく、有のまにまに、神代より伝はり来にける、これぞ、虚偽なき真の説に有ける。(『霊能真柱』上巻)

③   まづ皇国は、神ながら言挙せぬ国と云て、万事外国の如く、かしこげに、言痛く諭(あげつら)ひさだすることなく、ただ大らかなる御国ぶりなるが故に、天地の初の説なども、外国の説どもの如く、これは此故にかくの如し、それは云々(しかじか)の理によりて、かくの如しなどやうに、細に言痛く、説諭したる物には非ず、ただ有しさまのまゝを、大らかに語り伝へたるのみにて・・・・・・(『霊能真柱』上巻)

と語るのである。またいはく、

④   「外国どもの初めは、二柱神大八洲を生賜ひて、国土と海水と漸に分るるに随ひて、此処彼処と潮沫の、おのづから凝堅まり合たるどもの、大にも小くも成れるものなり。篤胤云、実に中庸の論ひの如く、万の外国どもは、皇国に比べては、こよなく劣りて卑しかるべきこと、・・・・・。(『霊能真柱』上巻)

と語るのである。

アドルフ・ヒトラーのアーリア民族の人種的優越説を彷彿させるような日本民族優越説である。ファシストの元凶と言われるのも当然である。

子安宣邦は、他国の古説(神話)を自らの内に包容して、それらの古説を「真の古伝」の残像とすることで、「真の古伝」は世界に冠たる唯一真正なものとされる。宣長に始まり篤胤にあって顕在化する汎神道主義的イデオロギーは、近代日本の国体論のうちに、あるいは日本精神論のうちにその残骸をとどめることになるのである。すなわち、雑多な思想・文化を受容し、それを日本化する、そのことこそ世界に冠たるわが国体の発現であり、日本精神の優越性の証拠だという主張のうちに、国学的汎神主義はその影をとどめるのである、と語っている。(*1:p270)

篤胤は、自分が説く「古伝」はそのまま事実として確定しなければならないという課題をもっていた。それが、彼の眼を海外に向け、キリスト教のアダムとイブの話を取り入れさせる原因となる。

「抑天地世界は、万国一枚にして、我が戴く日月星辰は、諸蕃国にも之を戴き、開闢の古説、また各国に存り伝はり、互に精粗は有なれど、天地を創造し、万物を化生せる、神祇の古説などは、必ず彼此の隔なく、我が古伝は諸蕃国の古伝、諸蕃国の古説は、我が国にも古説なること、我が戴く日月の、彼が戴く日月なると同じ道理なれば、我が古伝説の真正を以て、彼が古説の訛りを訂し、彼が古伝の精を選びて、我が古伝の闝(ひょう)を補はむに、何でふ事なき謂(ことわり)なれば、・・・・。(『赤県太古伝』一、上皇太一紀一(七))と。

もし外国に伝わる伝説がわが国の古伝と整合するとすれば、それだけわが古伝の真実性が増し、篤胤における「古伝・古史」が事実として承認されるというのである。後期平田学の大半を占めるインド学・シナ學の研究は、宇宙の始まりから、天・地・泉(よみ)の成立までの事実の真実性を証明するとともに、わが皇大御国と天皇は四海万国における最高の存在であることを明らかにすべき役割をもつものであったわけである。(田原嗣郎*2:p573~575)

アダムとイブの聖書の話については、こんな具体的な記述がある。

「遥西の極なる国々の古伝に、世の初発、天神既に天地を造了りて後に、土塊を二つ丸めて、これを男女の神と化し、その男神の名を安太牟(アダム)といひ、女神の名を延波(エバ)といへるが、此二人の神して、国土を生りといふ説の存るは、全く、皇国の古伝の訛りと聞えたり」(「霊能真柱」)(「日本思想体系50「平田篤胤 伴信友 大國隆正」岩波書店 1973 p32所収」

 

ところで、平田篤胤の「万国の本国」論は、篤胤が独自に創り出し主張したのかといえばそうではない。篤胤は、本居宣長の結論から出発したといわれているのだが、「万国の本国」論も、やはり宣長の主張を受け継いでいる。宣長は、「直毘霊」のなかでこう述べている。

皇大御國(スメラオホミクニ)は、掛(カケ)まくも可畏(カシコ)き神御祖(カムミオヤ)天照大御神(アマテラスオホミカミ)の、御生坐(ミアレマセ)る大御國(オホミクニ)にして、萬國に勝(スグ)れたる所由(ユエ)は、先( ヅ)こゝにいちじるし。國という國に、此( ノ)大御神の大御德(オホミメグミ)かゞふらぬ國あらめや。大御神、大御手(オホミテ)に天(アマ)つ璽(シルシ)を捧持(サゝゲモタ)して、御代御代に御(ミ)しるしと傳(ツタ)はり來(キ)つる、三種(ミクサ)の神寶(カムダカラ)は是ぞ。(直毘霊)

いともめでたき大御國(オホミクニ)の道をおきながら、他國(ヒトクニ)のさかしく言痛(コチタ)き意行(コゝロシワザ)を、よきことゝして、ならひまねべるから、直(ナホ)く清(キヨ)かりし心も行(オコナ)ひも、みな穢惡(キタナ)くまがりゆきて、後つひには、かの他國(ヒトグニ)のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の蔽(ツミ)なることを、えさとらぬなり。古( ヘ)の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。(直毘霊)

宣長もやはり日本という国が他の国に比べて優れていると主張しているのである。

国学は、日本は天照大御神から綿々と皇統が続く大御国であるというが、この点については疑問が残る。しかし国学が主張する底辺には、世界の宗教を吸収するだけでは納得できない日本民族の譲れない精神が流れているようだ。それがどこから来ているのか、そして世界の宗教との接点は何なのか、それは今後に残された問題であるが、少なくとも「日本は神国である」という単純な見解だけは荒唐無稽になったことは事実だろう。

 

1:子安宣邦著「平田篤胤の世界」ペリカン社2001

2:田原嗣郎「『霊の真柱』以後における平田信胤の思想について」『日本思想学体系50-平田篤胤伴信友、大国隆正』岩波書店1973