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本居宣長の「神」の観念《人も悪霊も怪しきものもみな神である》

現代日本人の「八百万の神観」に大きな影響を与えているのが、本居宣長の「古事記伝」で語られている有名な「迦微(かみ)」とはという言葉である。「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり。」

 日本人は、この言葉をその通りに読み感得して、「尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて可畏き物」を「神」と解釈した。

しかし、この理解は少し間違っている。宣長は、「迦微」とは言っているが、「神」とは言っていない(説明の中では使用している。神は個称のようである)。わざわざ「迦微」と言っていることに注目したい。同じ音だからといって概念をよく吟味せず、「迦微」と「神」を混同して解釈することに過ちがあるのではないか。「古事記伝」三之巻に書かれている「神」の定義の部分をすべて引用してみる

 さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、さて人の中の神は、先づかけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は遠つ神とも申して、凡人とは遥に遠く、尊く可畏く坐しますが故なり、かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下にうけばりてこそあらね、一國一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかしさて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人は皆神なりし故に、神代とは云なり、又人ならぬ物には、雷は常にも鳴る神神鳴りなど云へば、さらにもいはず、龍樹靈狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、(中略)又虎をも狼をも神と云ること、書紀万葉などに見え、又桃子(もも)に意富加牟都美命((おおかむつみのみこと)と云名を賜ひ、御頸玉(みくびたま)を御倉板擧(みくらたなの)神と申せしたぐひ、又磐根木株艸葉(いわねこのたちかやのかきば)のよく言語したぐひなども、皆神なり、さて又海山などを神と云ることも多し、そは其の御霊の神を云に非ずて、直に其の海をも山をもさして云り、此れもいとかしこき物なるがゆゑなり、)

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける」(『古事記伝』三)

 

読んで「おやっ」と思われたのではなかろうか。現代の日本人が「神」として観念していることと違うことに気付かれるだろう。宣長は、現代人が思っている「神」を定義したのではない。「加微」というものを定義したのである。

「加微」とは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなど尋(よの)常ならずすぐれたるものすべてを「迦微」と呼んでいるのである。善霊も悪霊も、徳のない賤しき人も神なのである。もちろん、「神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人は皆神なりし故に、神代とは云なり」といっているように、人間も神なのである。古事記」の「神代之巻」で語られていることは、すべて神と呼ばれた人々の「事跡」であり、「神々の事態」である。

 

まとめると、現世の人間に目に見えない力を及ぼすものすべてが神なのである。善い事だけでなく、悪い事を起こし災いをもたらすものも神なのである。悪霊も動物霊も自然の霊もすべて神なのである。これでは、「神」を議論する前提が違うことになる。これでは議論にならない。崇高なるものだけを神と呼んでいるのではないのである。

 

宣長は、神とは、古事記などに登場する〈カミ〉について、宣長帰納的に説明したにすぎない。一方で、「迦微と申す名ノ義(こころ)は未ダ思ヒ得ず」と慎重なのである。

なぜ、このような神観になったのか。当時の考えを知るうえで、新井白石の有名な「神」の解釈をあげてみる。「神とは人也。我国の俗、凡其尊ぶ所の人を称して加美といふ。古今の語相同じ。これ尊尚の義と聞えたり。今字を仮用ふるに至りて、神としるし、上としるす等の別は出来れり。(『古史通』)」このような考え方が流布していたことをわきまえた方がいいのであろう。

 

ところで、すべての目に見えない力を及ぼすものを「神」と呼ぶ一方、「古事記」に語られている天地創造については当然ながら受け入れている。

宣長は、造化三神「天地初発之時、於高天原成神名」のうち、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)にはさしたる神格を認めず、特に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)に注目している。産巣日神という神名は、「産巣」は「生(むす)」であり、「日」は霊異(くんび)の意の「比」であり、「凡て物を生成すことの霊異なる御霊」ということになる。従って、「あらゆる神たちを、皆此神の御児」と見て差し支えないわけで、多くの神々の「有るが中にも仰ぎ奉るべく、崇(いつ)き奉るべき」神と解された。(小林秀雄小林秀雄全集第十四巻 本居宣長」新潮社2002)。

 

宣長の神の定義は、現代人の神の概念とは違う。それと同時に、宣長の神観は、「天地創造」という「唯一神」の論理と、八百万の神と云う「汎神論」の論理の両方を包含しているといえるのではないだろうか。