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本居宣長の「もののあはれ」考 (1)小林秀雄と「もののあはれ」

(1)もののあはれ源氏物語

 

小林秀雄氏は、「折口信夫氏は、お別れしようとした時、不意に、『小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら』と言はれた」と、「本居宣長」の序に書いてゐる。

宣長は、「源氏」を語ろうとする努力と、同じ方向に歩いた。さうよふ風に物語を辿ってみて、紫式部の本意を体得した。会得してみれば、『源氏物語』は、「もののあはれ」とは何かといふ事を読者に知らせる以外、全く何も目指したものではないと断言できた。(小林秀雄

もののあはれ」という言葉が、日本文学史上に初めて現れるのは、紀貫之の「土佐日記」である。「楫(かじ)とり、もののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば・・・」。船頭どもは、「もののあはれ」がよく解らないで酒をただ飲んでいる、という使い方がされている。「もののあはれ」という言葉は、その当時日常語ではなく歌人の言葉だった。紀貫之は、当時歌人の占有物であった「もののあはれ」という言葉を一般人に解放した。以降、歌文に親しむ人々によって長い間使われてきて、宣長の時代にはもう誰も格別な注意を払わないごく普通の言葉であった。宣長は、そのごく普通の言葉を取り上げて吟味し、秘められている意味に驚き、「もののあはれ」論を展開したのだった。

 

(2)「もののあはれ」とは、嘆きの言葉

小林秀雄氏は、「『あはれ』とは、嘆きの言葉である。誰でも、何かに感動すれば、あゝ、はれ、と歎声を発する。この言葉が、どんなに精錬されて、歌語の形を取らうとも、その発生に遡って得られる、嘆きの声といふ、その普遍的な意味は失はれる譯がない。これが、宣長の「もののあはれ」の思想の基本の考えだといわれる。宣長は、其処から出発して、歌の情趣のうちに閉じ込められていた「あはれ」といふ言葉を、生き生きと使われている日常語の世界に引き出し、其処で、その意味をできるだけ拡大して見せた。

 

宣長が、源氏物語について書いている箇所を記してみる。「すべての人の心といふものは、からぶみに書るごと、一かたに、つきづりなる物にはあらず、深く思ひしめる事にあたりては、とやかくやと、くだくだしく、めめしく、みだりあひて、さだまりがたく、さまざまのくまおほかる物なるを、此物語には、さるくだくだしきくまぐままで、のこるかたなく、いともくはしく、こまかに書あらはしたること、くもりなき鏡にうつして、むかひたらむがごとくにて、大かた人の情(こころ)のあるやう書るさまは、やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、たぐふべきふみはあらじとぞおぼつる」(「玉のをぐし」二の巻)と異常なほど賛美した評価をしている。

 

この感動の内に心をとらえた宣長の人間観は、「おほかた人のまことの情といふ物は、女童のごとく、みれんに、おろかなる物也、男らしく、きっとして、かしこきは、實の情にはあらず、それはうはべをつくろひ、かざりたる物也、實の心のそこを、さぐりてみれば、いかほどかしこき人も、みな女童にかはる事なし、それをはぢて、つつむとつつまぬとのたがひめ計也」(「紫文要領」巻下)と記すのである。私たち人間は、特に男性は、取り繕って生きていることを見透かされているようである。

彼は、「此物がたりをよむは、紫式部にあひて、まのあたり、かの人の思へる心ばへを語るを、くはしく聞くにひとし」(「玉のをぐし」二の巻)と賛美するのである。

 

和歌史の上での「あはれ」の用例を調べて、「阿波禮(あはれ)といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれ共、其意は、みな同じ事にて、見る物、きく事、なすわざにふれて、情(こころ)の深く感ずることをいふ也。俗には、ただ悲哀をのみ、あはれと心得たれ共、さにあらず、すべてうれし共、おかし共、かなしとも、こひし共、情に感ずる事は、みな阿波禮(あはれ)也。されば、おもしろき事、おかしき事などをも、あはれといへることおほし」(「石上私淑言」巻一)という。「あはれ」と使っているうちに、何時の間にか「哀」の字を当てて、特に悲哀の意に使はれるやうになったのは、「うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、ただかなしき事、うきこと、悲しきことなど、すべて心に思ふにかなはぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故」(「玉のをぐし」二の巻)である。

 

宣長は、「阿波禮(あはれ)といふ事の本は、すべて人の情の、事にふれて動くこと」(「石上私淑言」巻一)という。何事も、思ふにまかす筋にある時、心は外に向かって廣い意味での行為を追ふが、内に顧みて心を得ようとはしない。意識は、「すべて心にかなはぬ筋」に現れるとさへ言へよう。心が、行為のうちに解消し難い時、心は心を見るやうに促される。心と行為との間のへだたりが、即ち意識とさへ言へよう。

 

(3)「もののあはれ」を知るとは、世間がほんとうにわかるということ

日常生活の間においては、「事の心、物の心をわきまへ知るが、則ち物の哀を知る」事といへるし、更に、「世にあらゆる事に、みなそれぞれの物の哀はある」筈だと言ふ。このような考え方を進めて行けば、世間が、ほんとうに解るという事が、「もののあはれ」を知るといふ事だといふ事になる。人の心ばへ、世の有様は、なるほど、かくの如きものか、と身にしみて解っている人が、「もののあはれ」を知る人と言える。「世俗にも、世間の事をよく知り、ことにあたりたる人は、心がねれてよきといふに同じ」とまで言っている。そこまで言っては言い過ぎだとは、宣長自身も気づいているのだが、歌人の美感の周りをうろついていたのでは、「源氏」の味ひの深さはとうていわからぬ、という考えに引きずられて、極論せざるを得なくなった。

 

「ことにあたりたる人は、心がねれてよき」という言い方をよく見ると、「心」という字は話が細かくなると、「情(こころ)」と書かれ、人間の持って生まれて来た「情」は、苦しい事、楽しい事、さまざまな人生経験を重ねる事によって、練られ、育つものだ、と言う。このものの言い方が表現していることは、「歌の事」から「道の事」へ行くという過程の説明である。宣長によれば、「物を考へる」とは、「我」と「物」とが深い交はりを結ぶといふ事である。知らうとする「物」が、「人の心ばへ」とか「世の有様」とかいふ「物」であれば、人生は生きて知らねばならぬ事で充満している以上、自分の言ふ「考へる」といふ働きによって、人生と結合する道を行く他ない、と宣長は言うのである。

 

(「小林秀雄全集」第14巻本居宣長 新潮社2002 p126~143、p551~557)