日本の宗教は、霊魂の宗教・先祖供養の宗教である

世界中の多くの民族に先祖崇拝の習慣があるが、日本人が先祖の祭を特に重んじる民族であることは、広く海外にまで知られている。民俗学者の五来 重氏は、「日本の宗教は、霊魂の宗教です。仏教にも輪廻の実態となるようなアートマンなどがありますが、仏教はだいたい霊魂は認めません。ところが、日本の宗教はまず死者の霊から出発して、それが清められて祖霊になり、全く浄化されて神になるという、死霊・祖霊・神の宗教です。また、自然崇拝の宗教です。山河草木鳥虫動物は、すべて魂を持っていると考えますので、日本人はそういうものを供養するという考え方があります。虫供養や牛馬供養があったり、木を供養したりするのは、一種のアニミズムですが、日本人にはそういうものが源泉にあります(*1)」、といわれる。

(*1)五来 重著「先祖供養と墓」角川選書 1992

日本人は、現在でも「あの世にいる先祖は山や海に住んで、お盆や正月に子孫の元に帰ってくる」と無意識のうちに信じている。日本人には、死者の霊が手の届かない天国や極楽に行ってしまうという感覚はなかった。霊魂は、あくまでこの世界内部のかつての生活空間に留まり、再び人界に生を享けるまでの間、折に触れて縁者たちとこまやかな交流を持ち続けるのである。そして、先祖の霊は死後、時間の経過とともに浄化され、やがて氏神になり子孫を守るようになる」と信じられている。日本の年忌の法事は、1年、3年、7年と続けられ、33年忌もしくは50年忌は最終年忌(弔上げ)として重視され、死者はこれ以降神様になるのだとされている。

柳田国男は、「先祖の話ー死の親しさ」の中で、日本人は死後の世界を身近なものと捉えていたと述べて、日本人特有の四つの観念を指摘している。

1、死してもこの国の中に霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと
2、顕幽二界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭だけでなく、いずれか一方の心ざしによって、招き招かるることがさほど困難でないように思っていたこと
3、今生きている人間の念願が、死後には必ず達成するものと思っていたこと
4、このため、子孫のためにいろいろの計画を立てたのみか、再び三たび生まれ変わって同じ事業を続けられると思ったものが多かったこと

「我々が先祖の加護を信じて、その自発の恩沢に身を打任せ、特に救われんと欲する苦しみを、表白する必要もないやうに感じて、祭りはただ謝恩と満悦とが心の奥底から流露するに止まるかの如く見えるのは、其原因は全く歴世の知見、即ち先祖にその志があり又その力があり、外部にも之を可能ならしめる条件が具わって居るといふことを、久しい経験によっていつと無く覚えていたからであった(柳田国男ー先祖の話)」。

日本人は、御先祖様の霊の実在を信じ、いつも見守られていると思っている。肉親は亡くなった人の霊の実在を感じているからその悲しみを満足させるようなあるいは霊を本当の意味で救済するような真剣な葬式・供養を執行しようとし、霊との共存、霊の力を認め、そこから力をもらおうとする。

しかし一方では、日本では、死後直後の霊は災いをふりまく荒魂として恐れられている。従ってその霊を鎮め(鎮魂)、罪滅ぼし(滅罪)をし、浄化することが重要になる。(墓参りをして水をかけたりするのも浄化の儀礼である。)災いが起こると、先祖が成仏していないのではないかと畏れる。死者の罪を清めるため凶癘魂(きようれいこん)としての荒魂を鎮め清めるため供養をする。供養をすると、荒れすさぶ祟りの性格が薄まり、恩寵的な霊、和霊に変わっていくとされる。

また、新たに世を去った人の喪の穢れを既に浄まった御霊に近づけまいと常の魂棚と違う荒棚を作る。死の穢れが恐怖であった。そうすることによって滅罪してはじめて往生できるので、往生三昧、念仏三昧が行われるようになった。

「祀られない霊(不祀の霊)の増加には大きな怖れを感じていた。国家や領主たちは、家の存続といふことに力を入れたのも、一つには活きている者の不安を済ふためであったが、実際は思ったほど目的が達し得られなくて、却って仏教を頼んで亡霊を遠い十万億土へ送りつけてしまうことを唯一の策とするようになった。しかもその方法もそう容易なものと考えられなかったために、古来の我々の先祖祭は、大変煩わしいものになり、毎年お盆の季節が来るとさまざまな無縁仏等の為に、別の外棚門棚水棚などという棚を設け、又は先祖棚の片脇に余分の座をこしらえて、供物を分かち与えることを条件としなければならぬようになった(柳田国男「先祖の話」)」。

日本人の先祖供養の原点には、死者は死後必ずしも成仏してはおらず不成仏霊は現在生きている人間に災いを起こすと信じられてきたことがある。また浄化した先祖の霊は子孫を守ってくれると信じられてきた。多くの日本人が、先祖からの因縁というものを信じているのも、何かしら感じるところがあるからである。科学万能時代の現在、先祖の因縁というと迷信として片づけられるだけかもしれないが、現在もあきらかに起きていて生きている子孫に災いをもたらしている。がんなどの病気や精神的な病もそれと無関係ではない。