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日本のジャズ「六斎念仏と仏教音楽」

空也が始め、一遍が広めたとされる念仏踊り、音楽がなければ仏教は大衆のものとはなりえなかった。親鸞もまた音楽僧として出発したという。10世紀末には、「看取りと弔いの互助組織」といえる念仏結社(念仏講)が貴族社会に成立していた(高橋繁行)」。

仏教が日本の庶民に受け入れられるためには、音楽と踊りが不可欠だった。法然親鸞などの念仏宗が人々に受け入れられたのは、念仏踊りの下地があったからこそである。時宗が板張りの床を破らんばかりに踏み鳴らす乱舞の踊念仏は、荒魂の荒ぶる死霊を鎮めた鎮魂呪術というにふさわしいものだった。

空也が始めた宗教的実践としては、踊念仏(踊躍念仏)のほかに、「六斎念仏」がある。「六斎念仏」は、歌う念仏、節のついた詠唱念仏である。鉦や太鼓を叩きながら念仏を唱和する(六斎とは、1か月のうち斎戒沐浴すべき日が6日あることから名づけられた)。六斎念仏は良忍の融通念仏を祖とし、鎌倉時代に念仏が非常に堕落したのでその反省として始まったという。六斎念仏には、獅子舞などのような芸能化したもの(伝統芸能、夏の風物詩として人気がある)と、鉦や太鼓の音に合わせて、念仏和讃や御詠歌を座ったまま合唱する「うたう念仏」がある。「うたう念仏」融通念仏は、合唱によってお互いの念仏の功徳を融通しあうことによって、自分は百遍しか唱えなくても他の99人の念仏をもらうことによって、百万遍の念仏を唱えたことになるというものである。
(*百人の人が百遍の念仏を唱えると一万ではなくて、もう百重なって百万遍になるという融通の仕方をする。しかも、名帳という署名活動をすると、百年前に死んだ人の唱えた念仏も全部融通されるから無限大になる。美しい曲でないと合唱しにくいので、非常に美しい曲ができている。「うたう念仏」が残されていたものとして有名になったのが、「上鳥羽橋上鉦講」である。曲目として「焼香太鼓」がある。)

五来重氏によると、高野山周辺で六斎念仏が伝承されているところでは、葬儀の際の棺の前で唱えるのが「四遍」で、棺を墓に運ぶ時には「白舞」という曲を唱え、埋葬の時には「坂東」念仏を唱えるといわれている。「白舞」という曲は、行進曲風にできており、亡くなった人が早く浄土に行きたくなる曲である。「坂東」は踊りの曲で、霊魂を鎮めるために足踏みをする。「坂東」は願人坊が躍ったので住吉踊りになった。白衣に腰衣で踊るのは、願人坊の姿だそうだ。阿波踊りも元は踊念仏の流れにある。また「四遍」という曲は、民謡の「さんさ時雨」になっている。祝い唄になっているが、メロディは「四遍」の曲であるという。また、各地で「数珠回し」という風習が残されているが、これは葬送が終わった後亡くなった人が戻ってこないようにという意味が込められた呪術であると語られている。

また、念仏の伴奏に使われたのが尺八である。暮露(ぼろ=粗末な風をして尺八を念仏の伴奏にする修行僧。後に虚無僧になったりする)は、鎌倉時代の禅宗、法燈国師(荒野聖を支配していた)が中国の宋に行ったとき連れてきた尺八をもって伴奏をする念仏修行者だといわれている。尺八は、「うたう念仏」が日本に入った時から調律の楽器だった。慈覚大師円仁(794~864)が尺八の音の高低決めたといわれている。のちに尺八だけが独立して念仏と無関係のようになった。

残念ながら、六斎念仏の「焼香太鼓」の録音はyoutubeには見つからないが、高橋繁行氏によると、荒魂を能舞台ならぬこの世から激しく打ちやらうかのようであるといわれる。高橋繁行氏の知合いの寺の住職は、「六斎念仏は、アメリカのジャズに比すべき、しかしもっと歴史をもつ宗教音楽である」と語られている。

六斎念仏の源流はどこにあるのか。「京都の六斎念仏調査報告書」は、はっきりしたことはわからないが、良忍の融通念仏(融通念仏宗を開いたのは良忍ではない)に出るらしいことは認めてよいとしている。良忍(1073~1132)は、比叡山で音楽僧として修業、融通念仏の奥義普及に努めたとされる。彼は、「日本声明(経典の漢文音韻による韻文に旋律を付した声楽曲、お経からうたう念仏まですべて含まれる)の大成者」といわれる。真宗仏教音楽研究所の佐々木正典教授は、「日本人には馴染みにくかった声明を、誰にでも聞き取りやすく、また歌いやすい声明に変えた良忍の業績は計り知れないほど大きい」といわれる。良忍は、日本に伝わった声明は、すべてそらんじていたといわれ、現在に伝わる仏教各宗の声明はほとんど良忍の作曲・編曲したものだといわれる。不世出の音楽天といっていいだろう。

良忍が生まれる百年ほど前の10世紀後半、日本固有の新たな音楽様式の声楽曲、「和讃」や「御詠歌」が作られ、仏教音楽の隆盛期を迎えた。良忍は、庶民がだれでも理解でき、歌いやすい和讃や御詠歌をメロディーにのせて広めた。融通念仏である。融通念仏は、念仏を大合唱することによって念仏する「功徳」を互いに融通しあうという意味をもっている。

栗田勇氏が、「一遍上人」(新潮社)の中で、融通念仏の功徳を巧みに説明されている。

「何十人、何百人という大勢で合唱する名号は、すでに、おのれの口から出る名号ではない。仮に、おのれが黙していても、堂々たる合唱は虚空にひびく。またおのれ独りのとなえる名号だけでは、己ひとりとて救われない。こうして、名号による連帯感は、実感として、体験として、名号をおのれのものとして個人化し、所有する発想を否定するに至るであろう。(中略)この、合唱形式こそ、浄土教の主観性からなる念仏を開放することを可能ならしめた」

融通念仏、御詠歌、和讃とはどんなものか、あげておく。

 平安仏教の真言宗御詠歌とは、巡礼歌がその発祥といわれ、仏道の実践道として精神性が培われた仏を讃える歌である。次にあげるウェブは、①観音様の徳を讃えた御詠歌「観音大慈」、②三宝和讃:聖徳太子憲法17条の中の三宝(仏様と仏様のみ教えとその実践者を敬いなさい〈604AD〉)を讃える御詠歌、③弘法大師を追恩する「弘法大師追恩和讃」、④「御詠歌正調旧節」、⑤民謡「さんさ時雨」である。

https://www.youtube.com/watch?v=gPbQVa0fJYI&feature=player_detailpage

https://www.youtube.com/watch?v=OPVyXa7NPZY&feature=player_detailpage

https://www.youtube.com/watch?v=FeY2T3qVFcs&feature=player_detailpage

https://www.youtube.com/watch?v=f8QDKMqRA6E&feature=player_detailpage

https://www.youtube.com/watch?v=dZBJA9VZwNw

お聞きになるとわかると思うが、私たちの魂が懐かしさを感じていませんか。また、日本各地に残る民謡の原点がここにあるのではないでしょうか。まさしく「日本のジャズ」といっていいのではないでしょうか。

融通念仏の一例として、浄土真宗の「念仏和讃」を挙げておく。https://www.youtube.com/watch?v=DT38XJYI0EA&feature=player_detailpage

(参考文献1:高橋繁行著「葬祭の日本史」講談社現代新書 2004)
(参考文献2:五来 重著「先祖供養と墓」角川選書 1992)