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日本の墓の変遷と霊魂観(2)

(4)近世ー檀家制度と墓参慣習

15世紀から17世紀にかけて、日本列島では遺体・遺骨に対する見方は再度大きく転換する。永続的に受け継がれるイエ(家)の制度と観念が庶民層まで広がり、それを背景として個人の墓・家の墓地が広く一般化していく。今日にまで続く「--家の墓」の濫觴である。死者は檀那寺の境内墓地に埋葬され、その存在を永遠に記録に残すべく法名を刻んだ石塔が建立された。子孫による定期的な墓参の習慣も確立した。そうした状況の変化に対応して、大量の墓寺が集中的に建立されていく。骨を納める墓には先祖が眠り、そこを訪れればいつでも個人に会うことができるという現代人に通じる感覚が、次第に社会に定着していくのである。

(a)  15世紀に入ると、板碑(石卒塔婆)は急速に姿を消し、死者の名を刻んだ小型五輪塔が出現する。また、板碑の衰退の中で、被供養者の個人名を刻んだ板碑が増加してくる。「仏教的供養塔」から「個人銘板碑や講・結衆などによる民間信仰的板碑」へと移行する。この段階では、建立された板碑や五輪塔に対して、無縁の人物が礼拝したり納骨してもそれを妨げることはなかった。その後に登場する小型一石五輪塔は、特定個人の遺骨と一対一で対応するもので、根本的に性格を異にするものであった。16世紀に入ると、現在の墓標の基本形となる死者の名を記した角柱の墓石が登場する。15・16世紀を転換期として、死者のために建立される石塔は、不特定多数の霊魂救済を目的とした供養塔から、特定の人物の遺骨に対応する墓標へと性格が転換する。墓標個人の痕跡を永く後世に伝えようとする意図が感じられる。

(b)  彼岸浄土の世界観は、室町時代14世紀半ばごろから急速に縮小する。現世肯定の宗教として日蓮法華宗は京都の町衆に広まった。日蓮は、正しい教えが流布することによってこの世から災害と戦乱が消え去り、民衆の安穏な生活が保障される理想社会が実現することを訴えた。町衆が望んだのも、死後の往生や安楽などではなく、この世での世俗的・経済的活動を支える精神的な拠り所だった。死後の問題以前に、人々は今生きている現世での生活の改善に心を向けるようになる。「世俗化」は、江戸時代社会全体を支配することになる。目に見えない世界をあれこれ考えるよりも、まずこの世の生き方を重んじるべきであるという観念が社会に受容されるに至った。

(c)  中世の霊場は、この世とあの世とを結ぶ通路としての機能を喪失した。代わって、現世でのより満ち足りた生活を祈る現世利益信仰の色彩を強めた。霊場は、浄土信仰の拠点から現世利益の祈祷寺へと変容していった。変容を端的に表しているのが、参詣曼荼羅(聖地の光景、参詣者の群れゆかりのある人々、神・仏・死者など聖俗にわたるさまざまな要素を隙間なく書き込んだ寺社の由来を説明するもの)である。その結果、近世の寺院は、境内にたくさんの神仏・祖師が同居する形態が一般化する。現世利益の機能を分有するさまざまな神仏を寺内に抱え込んだ多数の焦点をもつコスモロジーとなる。霊場参詣も、往復する形式から四国八十八か所のように周回形式が一般化する。

(d) 特定の故人を永きにわたって供養・想起するシステムは中世以降の現象である。個人の霊を祀る「詣り墓」のような石塔は、中世末になってはじめて普及する。中世の郊外の共同墓地、霊場納骨は、近世市中寺院の境内墓地に、また納骨霊場は祈祷寺・墓寺としての性格をもってくる。そして、イエごとの墓地の形成と墓標としての石塔の普及は、檀家制度の整備と対応しつつ、江戸時代完成するのである。死者が墓に留まるという観念は、位牌をはじめとする儒教的な儀礼の導入、年忌・命日法要の義務化によって確立する。現在ある寺院の大半は、16・17世紀に開創されたものである。

(e)  近世になると、死者の霊は遺体と一体化しつつあるいは墓標を依り代としてこの世の中の定められた場所に永遠に安らかに眠り続けることが求められた。石塔の表面には戒名が彫られ、そこに誰が埋葬されているか長期にわたって表示する役割を果たした。また、死後間もない霊魂は遺骸を離脱してさまようと考えられていたため、それを避けるため今に残るさまざまな仕掛け・儀礼が考案され、墓に留まる代償として供養の継続と縁者の来訪が約束された。

(f)  近世人は、普段世俗化された生活を送っており、位牌を通じて個人を想起することはあっても、もはや日常的に神仏や死者と交流したりその声を聞くことはなかった。生者の世界と死者の世界、人間の世界と霊魂・神仏の世界は時間的にも空間的にも厳密に区分されるようになったのである。

(5)まとめ

遺族や遺骨を放置して顧みることのなかった古代の人々、火葬骨を霊場や共同墓地まで運んだ中世の人々。家の墓を造って骨を納め、定期的に墓参を繰り返した近世以降の人々ーこの列島に住んできた人々の死者に対する態度は、これほど大きく変化している。「日本人は骨を大切にする」というテーゼは、骨をモノとして扱わなかった古代人には通用しない。「死者が身近に留まる」という感覚は、遠い浄土への旅立ちを願った中世人には無縁だった。この三者に、死者や霊魂をめぐる共通の観念を見出すことは不可能である。葬送儀礼の激変という事実そのものが、「日本人の死生観」という形で総括されてきたこれまでの通説・俗説に、はっきりと破綻を宣告するものだったのである。

現在、墓と葬送儀礼も大きく変わろうとしている。戦後、特に高度成長期以降、「・・家の墓」「・・家先祖代々の墓」と刻まれた四角柱の石塔が広がり、地下に納骨のための空間(カロート)をつくることも普及した。一つの墓に複数の親族の遺骨を納める形式が一般的になり、刻まれる文字も「夢」とか「空」とか個性あふれ、宗教宗派に縛られない自分らしい墓標が広がっている。近年は、樹木葬とか遺骨の一部をブレスレットやペンダントに入れるということも行われている。
現代の墓の変容は、土葬の衰退と火葬の普及、墓地の確保の困難さなどが相まって進展したものと考えられるしかし、墓の変容をこの世の社会的事情だけで考えるものではない。葬送儀礼と墓は、死者の霊魂の実在を前提としてこれまで続いてきた儀礼であり、そのことが正しい認識であるとするなら、葬送儀礼と墓の扱いは霊魂を扱うという大切な問題である故、軽々しく考えることは戒めねばならない。(私見)

佐藤弘夫著「死者のゆくえ」岩田出版 2008)