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都合よく改ざんされた末法時代の始まり

末法思想とは、釈尊の教えが時間とともにだんだんに歪められていくという思想である。釈尊の説かれた教えは、釈尊が入滅されてから500年間は正しく伝わる。したがって、仏滅後500年間は「正法時代」である。しかしその後、501年目からは形だけが伝わっていく「像法時代」になる。像とは、本物の人物や事物になぞらえてつくった彫刻や鋳物、いわばコピーの時代である。像法の時代の後、仏滅後1001年目からは「末法時代」となる。仏教が形骸化してしまった末の世である。この末法時代が1万年つづいて、その後「法難時代」となる。仏教が完全になくなる。これがもともとの末法思想である。

お釈迦様が亡くなられたとされているのが、(学者の間で論争があるが)紀元前486年の入滅である。とすると、像法の時代のはじまりはAD24年、末法時代の始まりはAD524年となる。ところが、この年代算定が都合が悪かったのである。

現代の我々は、このようにお釈迦様の入滅の時期を知っているから、当然のこととしてここから算定しているが、昔の人はこの年代を知らなかった。

仏教が中国に伝来した当時の人々は、故意か否かは別にして仏滅年代をずっと昔に想定したという。紀元前949年である。仏教伝来当初の中国人にとっては、釈迦と孔子老子はどちらが古いかが需要だったのである。釈迦の生没年が、中国の聖人である孔子よりも新しいのでは威厳がなくなるからわざと古くしたのだという。それで孔子よりも500年ほど古くしたのだという。

そうすると、次の問題が生じた。5世紀後半、南北朝、斉の時代(515~575)の頃「摩訶摩耶経」が翻訳されて末法思想がはいってくる。仏教が最初中国に伝来したのが紀元67年であるとすると、仏教は末法時代に入って中国に入ってきたことになる。仏教は、「滓(カス)の仏教」、ひどいじゃないかということになったのではないかといわれる。そこで、末法の時代をもう少し先に延ばすことにしたらしい。正法時代を500年、像法時代を1000年とすれば、末法時代は1501年目からとなる。釈尊の入滅を紀元前949年とすると、紀元552年からが末法時代になる。これで理屈が成り立つことになる。

日本では、中国より約500年遅れて仏教が伝わった。その時、日本人もまた「何だ、日本に伝わって来た仏教は、末法の仏教、滓(カス)の仏教であったのか」と思ったのではないか。そこで、日本人もまた、末法時代の到来を500年下げることにした。正法時代を1000年、像法時代を1000年末法時代の始まりを2001年目、すなわち紀元1052年とした。この結果、平安末期に末法時代を迎えることになる。これで面目が立つと考えたのであろうか。

現在、お釈迦様の入滅は紀元前486年と知られているので、正法の時代は500年に戻されて、正法500年、像法1000年、末法は1501年目からということになっている。人間がやることは、まことご都合主義である。真実はわからないが、苦笑するばかりである。