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「空」の考えは、仏教の専売特許ではない。

「空」という言葉は、仏教だけでなく聖書にも登場する。この言葉をもって、仏教の特徴だとすることはできない。

旧約聖書の「伝道の書」の一節(冒頭の部分)

ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
伝道者は言う。空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変わらない。
日は出で、日は没し、その出た所に急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰っていく。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。
目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。
先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々にすでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、またきたるべき後の者のことも、後に起こる者はこれを覚えることができない。

伝道者であるわたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕らえるようである。

(そして最後のところで、こう述べている。)
人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。若い者よ、あなたの若き時に楽しめ。あなたの若き日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。
あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除け。若い時と盛んな時はともに空だからである。
あなたの若き日に、あなたの造り主を覚えよ、悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に。(中略)ちりはもとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。

「諸行無常、すべては空」であるという考えは、仏教だけの特徴ではない。この世の存在そのものが、移り行く仮の姿であり、いずれ消滅する運命にあることはほとんどの宗教が教えているのである。旧約聖書のこの叙述も、はかないこの世に惑わされず、世界の本質(造り主)を知れと諭しているのだ。