仏教のミニ知識4-釈尊入滅後の歴史(インド)3-密教とヒンドゥー教への吸収・終焉

1、密教とは

釈尊入滅後から約400年紀元前後に登場する大乗仏教は、民衆化した仏教である。大乗仏教がさらに民衆化、ヒンドゥー化(インド化)を進めると密教になる。密教は、大乗仏教がヒンドゥー教に融合してしまう一歩手前の段階である。そして最後にはヒンドゥー教に吸収されて終焉することになる。
大乗仏教が密教になったのは、インドの民衆のあいだに「バクティ(信愛、熱烈信仰、誠信と訳されている)の思想があったからである。バクティの思想とは、われわれ人間が神に熱烈な信愛(バクティ)を捧げるならば、神は必ずわれわれに恩寵をもって酬いてくれるというものである。この考えは、バラモン教ヒンドゥー教に変わってくる要因でもあった。

2、バラモン教ヒンドゥー

2-1、アーリア人のインド侵入とバラモン教

密教が仏教のヒンドゥー化であると上述した。ヒンドゥー化とはいかなる現象なのか、バラモン教の変遷をまず見てみる。
バラモン教は、アーリア人の宗教だった。紀元前2000~1300ごろアーリア人はインドに侵入してきた。そしてインドに住んでいた原住民と混血しながらインドに定着していった。バラモン教は、アーリア人のインド定着とともに民衆の間に広がり、4世紀グプタ朝の時代にヒンドゥー教になる。
2-2、バラモン教の教理とヒンドゥー
バラモン教の聖典「リグ・ヴェーダ」には3339柱の神が登場する。多神教である。しかも、最高神がいない。最高神は、祭祀の度に替わる。今、勧請されている神が最高神なのだ。
最高神が存在しないということは、地上に顕現した神は天界の唯一神の変化身、宇宙に遍在する超越した姿なき神(宇宙神)の変化身であると考えられた。姿なき宇宙神を顕在化して一種の人格神とした。三大神(①創造神-ブラフマー、②維持神-ヴィシュヌ神、③破壊神-シヴァ神)である。この三大神は、本質においては一体であるとされた(世界主宰神-イーシュヴァラ)。創造神ブラフマーは、それほど信仰を受けず早くに抜け落ち、ヴィシュヌ神とシヴァ神が民衆の熱烈な崇拝を受けることになった。この理論でもって民衆が持っている信仰を取り込んでいった。民衆が拝んでいる神もまた姿なき宇宙神の変化身(権化)だとした。

バラモン教ヒンドゥー化していく上で大きな役割を果たしたのが、神像である。元々、バラモン教には神像はなかった。2世紀ごろ大乗仏教が仏像を作り始めると、バラモン教でもその影響を受けて神像が作られるようになった。神像ができると、民衆の間でバラモンの神々を親しみをもって拝むことができるようになった。祈る対象がはっきりしたため、民衆は熱心に祈る。がむしゃらに神に祈ることによって、信者の中に神が顕現した。バクティの成立である。こうしてバラモン教の神々が民衆に受け入れられ、広まっていった。4世紀グプタ朝の頃、ヒンドゥー教として定着する。

3、密教の胎動

7世紀初頭、中国の僧 玄奘がインド後期グプタ朝ハルシャ王の時訪れているが、その時繁栄していたのは仏教だけでなく、同じくヒンドゥー教も繁栄していた。民衆にとっては、両方ともそんなに変わらなかったのであろう。民衆の支持は、ヒンドゥー教にあった。これが、大乗仏教が密教になる根本的な原因だったのではなかろうか。

8世紀の半ば、インドのベンガル・ビハール地方にバール朝が出現する。バール王朝は仏教を保護した。9~10世紀国内にはナーランダー寺、オーダンタブリー寺、ヴィクラマシン寺の三大寺のほか多数の寺院があった。そこでは密教学を中心に研究していた。バール王朝下で密教学は急速に台頭した。

4、密教の仏

密教は、大乗仏教がヒンドゥー教に取り込まれる直前の形であると上述したように、バラモン教ヒンドゥー化が下敷きになった。
バラモン教宇宙神の考えと類似したものとして、密教は宇宙仏として「大日如来」という名称を与えた。宇宙に遍在する時間・空間を超越した姿なき仏(宇宙仏)の代弁者として地上に顕現されたのが釈迦牟尼仏であるとした。宇宙仏は、この宇宙の永遠の真理そのものであると説明した。
(別名:毘盧舎那仏〈びるしゃなぶつ〉)
  初期大乗経典「華厳経」に登場する仏、奈良東大寺の大仏がこの仏である。本来は宇宙     に遍在する姿なき仏であるが、仮の姿として宇宙大の規模を示そうとして大きな形につくられた。この仏は、「沈黙の仏」であるが、代弁者として釈迦牟尼仏が高邁な真理を説かれるのでわれわれは聴聞することができるとされている。

反対に、この大日如来は雄弁の仏である。しかし、その説法に語られる言語は宇宙語であるから凡夫(衆生)には理解できない。理解する方法は、「仏性」という受信機なのだが、凡夫の受信機は手入れが悪く、ほとんど受信できない。このために凡夫は、受信機の感度を高める必要がある。大乗仏教では、修行という形で感度を磨いたのに対し、密教ではヒンドゥー教のバクティ(信愛)の方法を取り入れるのである。

5、密教の信仰

密教の信仰には、ヒンドゥー教のバクティ(信愛)の思想が色濃く入っている。「宇宙仏と凡夫の神秘的合一」である。加持の理論である。三密加持と呼ばれるものである。
①印契ー仏の身密と凡夫の身業を加持させるために
②真言ー仏の口密(語密)と凡夫の口業(語業)を加持させるために(マントラ)
③観法ー仏の意密と凡夫の意業(心業)を加持させるために

凡夫に三密が加持されれば、超人間的な力が凡夫にそなわるという。印契は、インドでは舞踏の手の動きに重要な意味が与えられていることに重要なヒントがあるようだ。真言は、インド人は真実のことばには大きな呪力があると考えていた。神々への祈祷の聖句を唱えているうちに神々を動かす不思議な霊力が宿っており、神々を動かせると信じていた。これが真言であって、凡夫が仏と合一できるとした。中国や日本の密教では、真言は梵語サンスクリット語)のまま翻訳せずに唱えることになっている。観法は、メディテーション(瞑想)、座禅・禅定であるが、やり方が違っている。座禅は、仏になろうとする修行であるが、観法は凡夫が仏と一体になることが目指されている。じっと仏を念想して仏と一体になるのが観法である。道元禅師の禅は観法に近い。

6、密教世界とヒンドゥーの神々

密教には曼荼羅が使われる。曼荼羅とは、仏の世界の全体像である。従って曼荼羅は、本来図像ではなく心象風景である。われわれは曼荼羅を見て仏の世界に遊ぶのである。「一切衆生悉有仏性」のスローガンを図像に表現したものともいえる。
曼荼羅には数多くの仏様が出てくる。1、仏・如来、2、菩薩、3、明王、4、諸天諸神である。

仏・如来、菩薩は、大乗仏教にも登場したおなじみのものであるが、それ以外に密教特有の仏として不動明王愛染明王などの明王が出てくる。明王は、実は大日如来の捕吏のような存在で、やさしく衆生を救おうとされる菩薩の救いでも救えない「仏教の敵」ひねくれ者や頑固者を救うために、剣でもって悪人を脅かし、羂索でもって悪人を縛り上げるなど明王の浄化の怒りでもって救うことが目的である。仏とは思えない姿をしているが、どうもインドの奴隷階級をモデルにしているということらしい。また、諸天諸神(梵天・帝釈天・吉祥天・弁才天・歓喜天・・・)が描かれている。これらの神々はヒンドゥー教の神様である。密教ヒンドゥー教化した仏教だから当然である。密教は、大日如来を立てておいて、その変化身という形で民衆が信仰しているヒンドゥー教の神々を取り込んだ。(吉祥天は、ヴィシュヌ神の妃ラクシュミーである。)

 7、仏教の滅亡

8世紀インダス川流域に進出してきたイスラム勢力は、徐々にインドに侵入を始める。インドに侵入してきたイスラム勢力は、仏教寺院を次々に破壊し、1203年最後のヴィクラマシラー寺が破壊され多数の僧尼が殺りくされた。ここにインドの仏教は滅亡した。反対からいえば、仏教はヒンドゥー教の中に入ってしまった。ヒンドゥー教の神ヴィシュヌ神は、世界の危機に際して動物・英雄の形をとって出現し世界を救うとされているが、この中に「ブッダ」も入っているのである。ヒンドゥー教は、仏教を取り込んだといえよう。

インドでは仏教は亡くなった。イスラム勢力の破壊があってもヒンドゥー教やジャイナ教は存続していることを考えると、仏教がなくなったのは、民衆とはなれてしまったことに大きな要因があるといえよう。