日本歴史上初!国が崩落の危機に立っても誰も神に祈ろうとしない

 多くの宗教人が現在も活動されているので、真剣に国の未来を心配して神に深刻な祈りを捧げている方はいらっしゃるでしょう。しかし、その声は埋もれたままで、外には出てきていません。ほとんどの人は、日本の未来に不安・危機感を抱いていても、庶民にとってはどうしようもないから心配しても仕方ないと思っておられることでしょう。また、心配は政治や社会には向かっても、神に向かおうとはしないようです。

 国の守護、救いを神に祈り求めるという姿は表面には現れてきていません。神に救いを求めるということは前近代的な姿であって、今の科学時代にあっては単なる迷信にすぎないと思っておられるのでしょう。政治と社会の問題なので、そちらが問題であるとほとんどの人が思っておられるはずです。

 では、今の政治と社会を見て、人間に現代の問題、国の課題を解決することができるでしょうか。怪しい限りです。

 実は、日本の歴史を振り返って、国が危機の時に神に救いを求めようとしない初めてのときなのです。

 日本の歴史を振り返ると、いつも鎮護国家ということが重視されました。

 東大寺の大仏建立は、聖武天皇の時代天変地異や騒乱が相次いだので、鎮護国家の中心として造立されました。869年貞観地震があった年、この年は多くの災害があり、清和天皇も困り果てて、伊勢神宮に奉幣して、「天照大神が神護しておられる日本の国は、神明の国なので、日本の国と天皇を護ってください」と祈っています。鎌倉時代、蒙古襲来の時には日蓮が「立正安国論」を書いて、鎌倉幕府をいさめます。また、後深草上皇亀山上皇石清水八幡宮行幸し、また伊勢神宮に勅使を遣わすなどして異国調伏(内外の悪を打破する。特に怨敵・魔物を降伏すること)を祈願しています。明治維新の前後にあっては、霊界から外国から悪魔が襲ってくると警告が再三なされています。日露戦争の時も国難として各地で神仏への祈願が行われています。未曾有の危機でもあった昭和の軍国主義下では、戦意高揚の際にさかんに「神国日本」と宣伝されました。

 しかし、現在神仏への祈願は見られません。それどころか、神への供え物を騙されたから返せという恐ろしいことが起きています。神を怖れ敬愛したのとは正反対に、神を軽んじ否定する人々が跋扈しています。どんな禍が起こるかわかりません。国が亡びるということが現実になろうとしているのです。

 日本という国がどんな使命を託されているか、大本教に降りた啓示を引用しましょう。出口王仁三郎が再構成してまとめた「初発の神諭」(明治25年旧正月・・・日)には、次のように記されています。

「三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神の世に成たぞよ。梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構はな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかにされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。この世は全然、新つの世に替へて了ふぞよ。三千世界の大洗濯・大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。是が違ふたら、神は此の世に居らんぞよ。天理・金光・黒住・妙霊先走り、とどめに艮(うしとら)の金神が現はれて、世の立替をいたすぞよ。・・・」

 このような啓示が日本に降りています。それから100年、日本人は獣の世になってずいぶん尻の屁まで抜かれたようです。

 キリスト教を迫害したローマ帝国でさえ、ローマの神々を信仰しローマ建国800年祭まで行っています。その過程で、ローマの神を拝まないキリスト教徒を「けしからん」といって迫害したのです。

 303年キリスト教最後にして最大の迫害であるディオクレティアヌス帝の迫害は、共治帝ガレリウスが首謀者でした。しかしキリスト教徒は、迫害にもかかわらず信仰を捨てないため、ガレリウスは、ついに311年病の床から迫害中止の勅令を出すのです。その勅令には、「キリスト教徒は、父祖伝来の神々をすてたけしからん奴ではあるが、迫害の結果、かれらは自分たちの神をも拝さなくなってしまった。だから事態は前よりも悪くなってしまった。こういう神なき人間が増えてはたいへんだから、かれらに、かれらの祭祀を返却しよう。キリスト教徒は、自分たちの神を拝し、国家の安全と皇帝の健康のために祈れ」と、訳の分からない勅令を出したのです。

 神を捨てると、事態はさらに悪くなるのです。神への帰依を取り戻しましょう。それなくして日本の再興は実現できません。神は生きて働いています。すべての宗教人、神を愛する人々に告げます。日本の鎮護と世界平和を取り戻すために「すべての宗教人による救国救世大法会」を提起・提唱したいと思います。

 

土地に刻まれた歴史、肉体に刻まれた人生の記録は消えることはない

 死の淵からこの世にもどってきた人の話によると、死を迎えたとき静かで安らかな感覚(怪我や病気で苦しんだ人も、この時点ですでに痛みを感じなくなっていることが多い)になり、肉体から抜け出して上から自分を見ている自分を発見するという。その後、今までの人生を早送りで振り返るという走馬灯体験をすると、多くの体験者が報告しています。

 「そんなことはあり得ない。死の後は無だ」と多くの人がお思いかもしれません。

 しかし、近年の物理学の研究から類推すると、死後も記録は残るということが物理学理論として間違いないとされてきているのです。

 物理学では、現在ブラックホールの研究が盛んにおこなわれています。光まで飲み込むといわれるブラックホールが光を放つ写真が世界に衝撃を与えたのは、2019年のことでした。光まで飲み込むブラックホールがなぜ光を発しているのか、不思議に思われた方も多いはずです。光はスティーヴン・ホーキング博士が、ブラックホール天体には熱的な放射がある予言していたホ―キング放射(輻射)を確かめたものでした。

 それだけでなく、ホーキング放射の理論的根拠となっているベッケンシュタイン・ホーキングの公式(*1)は、温度だけでなくエントロピーについても重大なことを示していました。

 ブラックホールとは、星が死を迎えたときの姿です。そのブラックホールの表面には、その星のかつての情報がすべて残っているというのです。ベッケンシュタイン・ホーキング理論を発展させ、ホログラフィー理論を研究して笠・高柳の公式を提唱している高柳 匡氏(京都大学基礎物理学研究所教授)は次のように語っています。

ブラックホールが普通の星が崩壊してできたと思うと、星の中にはいろいろな情報があります。たとえば粒子が何個あったとか、例えば動物が棲んでいたとか何でもいいのですが、そういう情報がブラックホールになってしまうと、なくなるわけではないのですが、外の人からすると見えなくなってしまう。そういう意味で『情報が隠れている』ということになります。

物理ではそういう抽象的な事を言わないで全部「量」に直します。そういった隠れた情報量、ミクロな情報量というのを我々は『エントロピー』と呼びます。そういう意味でブラックホールにはエントロピーがあると推測されるわけです。

しかも、そのエントロピーは、ブラックホールが3次元空間の物体であるにもかかわらず、その情報量は表面積に比例するという不思議な性質を持つのです。」(2019年仁科記念財団第65回定例講演会より)

 ここまでの記述で、皆さんは物理学上のエントロピーと情報エントロピーは全く別物であってありえないと思われると思います。

 1970年代、物理学者のヤコブ・ベッケンシュタイン氏は「ブラックホールの内側の情報は3次元の体積(かさ)ではなく2次元の表面(境界)にエンコードされている」という理論を発表しました。20年後、レオナルド・サスキンド氏とヘーラルト・トホーフト氏はその考えを宇宙全体に拡張し、それをホログラムになぞらえました。つまり、我々の3次元の宇宙はすべて、2次元の「ソースコード」から生まれてくるという考えを提唱したのです。

 エントロピーは、物質を構成する微視的要素が、与えられたエネルギーや体積の下で、何パターンの構成の仕方があるのか(何パターンの波動関数を取り得るか)を表す量です。

 ベッケンシュタイン・ホーキング公式を提唱したベッケンシュタイン氏は、2003年8月号のサイエンティフィック・アメリカンの記事"ホログラフィック宇宙の情報" (Information in the Holographic Universe) において、"熱力学的エントロピーとシャノン・エントロピーは概念的に等価である:ボルツマン・エントロピーによって数え上げられる配置の数は物質とエネルギーの任意の特定の配置を実現するのに必要なシャノン情報量を反映している…"、また、物理的世界は情報でできており、エネルギーと物質は副次的なものであると論じています。(ホログラフィック原理 - Wikipedia

 物理的世界は情報によりできており、熱力学上のエントロピーと情報エントロピーは同じ価値であるということになるのです。ちょうどアインシュタインが、相対性原理においてE=mc2の式によって質量とエネルギーの等価性を示したように。

 このような物理学の最新研究から二つのことが導かれます。

① 土地に刻まれた歴史(情報)はずっと残っている。もしその中に醜い歴史があるならば、それは消えるのではなく災いとなるかもしれない。こう考えると、産土神を祀ることを主眼としている神道には科学的根拠があることになります。また、地鎮祭という土地の厄を払う儀式も根拠があるものとなります。

② 第二に、人間の人生の記録は、肉体がなくなってもその情報は表面に残っていて消えないということになります。死後、人生の出来事がパノラマのように映し出されるということは根拠がある現象になります。さらに、物理学のエントロピー概念ではエントロピーはゼロにはなりません(エネルギー保存の法則により)。この原則から考えると、人間の人生の記録(情報)も死んで消えるということはないことになります。肉体がなくなったから次第に薄らいでいくという考えが一部にありますが、そうはならないはずです。仏教が教えたように、縁を結んだ内容は消えることなく巡り、因果応報を繰り返すということが正しいはずです。人生において、後ろめたい経験や人を傷つけて恨みを買ったことはすべて因縁として残ってしまいます。例外はありません。しかも、個人としてだけでなく、民族、国家などの人間集団としての行為も、因縁として刻み込まれ続いていっていると考えられるのです。

 

 情報は、物理学上のエネルギーと等価であり変換されるとなると、私たちの考えも根底から変えられるはずです。物質万能の観念から情報、意識のもつエネルギーに目を向けざるを得なくなっていくと思われます。また、身近な問題として、亡くなったときの情報、意識は、どこに向かうのか?どうなっていくのかが気になるところです。さらに、地球に刻まれた情報はどのようになっているかも気になるところです。少なくとも、今、物理学と精神世界、宗教は接点を持ちつつあるようだというのが私の感想です。

(*1)ベッケンシュタイン―ホーキングの公式

ブラックホールエントロピーSBHは、次の式で表される。

  
k:ボルツマン定数 A:ブラックホールの地平面の表面積4πR2 

p:プランク長

 

 

共感の科学的基盤―ミラーニューロン

 ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞です。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられました。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられています。(Wikipedia

 ミラーニューロンは、イタリアにあるパルマ大学のジャコモ・リッツォラッティらによって、1996年マカクザルのエサを取ろうとする際の神経細胞の活動を研究している際に発見されました。その後の研究で、サルの下前頭皮質と下頭頂皮質の約10%のニューロンが、この「鏡」の能力を持ち、自身の手の動きと観察した動きの両方で同様の反応を示すことが判明しました。(Wikipedia

 ミラーニューロンは運動分野の研究で発見されたものでしたが、その後、行動に伴う音を聞くだけや想像するだけでも反応することがオランダの神経科学者、クリスチャン・キーザーズ(Christian Keysers, 1973-)らによって発見されました。キーザーズらのグループは、運動に関するミラーニューロンシステムと同様のニューロンシステムが感情の領域にも、また体性感覚の領域にも存在する、このシステムを「シェアードサーキット」と名づけました。

 脳のミラーニューロン、そして、シェアードサーキットが発見されて、共感の神経基盤が与えられたことにより、共感は科学の世界で市民権を獲得し、盛んに議論されるようになってきています。

 人は、他者に関する情報を、運動であれ、感情であれ、体性感覚であれ、すべて「自分が同じ状態を経験するのに用いる脳領域を使って」理解するという方式を取っています。キーザーズは、これこそわれわれが行っている他者理解の原理であると述べています。

図1:ミラーニューロンの例

図2:コモン・マーモセットの側頭葉FST(半ミラーニューロン:他者の運動・意図にのみ反応する細胞)

神経結合を生体内で観察する生体内結合可視化技術を用いて、FSTの神経結合から前頭葉下部のミラーニューロンの位置を同定した概念図。自己の運動・意図のみに反応するニューロン前頭葉に存在すると考えられる。

プレスリリース詳細 | 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター (ncnp.go.jp)

 さらにシェアードサーキット上では、自己と他者が区別されず曖昧になっていることを指摘しておかなくてはならないと語っています。このことは、シェアードサーキット上で自他が融合しているとも、自他が不分明になっているとも、表現されます。キーザーズは、この自他の融合状態について、「人間の何パーセントが純粋にその人個人のものなのでしょうか。身体の技能のうちどれくらいがその人自身のものなのでしょうか」と、問いを投げかけ、その理由を、「相手が何かするところを見た瞬間に、その人の動作は自分のものになってしまうからです。相手が苦しんでいるのを見た瞬間に、自分もそれを共有します。これらの動作や痛みは相手のものでしょうか。それとも自分のものでしょうか。人と人の境界はこれらのシステムの神経活動を通じて曖昧になっています。相手のほんの一部が自分になり、自分のほんの一部も相手になるのです」と述べています。このようにして、シェアードサーキットは、他者理解の神経基盤となり、共感の神経基盤ともなっているといいます。

 共感は、進化的に獲得された能力であり、ヒト以外の動物おいても見ることができます。「もし、あなたの共感性の得点が非常に高かったなら、あなたは他者の行動に対する脳のミラーニューロンの働きが非常に強いのではないかと推測するかもしれません。得点が低かったなら、その逆を推測するでしょう。まさにその通りのことを私たちは発見しました」とキーザーズは語っています。

 この共感から他者の援助へと進展するには、さらにもう一段階のステップが必要のようです。 フランスのドゥ・ヴァールは、「心的ミラーリングと心的分離」が必要だと指摘しています。 「心的ミラーリング」によって他者の感情は自分自身の感情となるが、その上に 「心的分離」 、つまり、他者の状態から自分自身の状態を切り離し、自分の感情の出所を突き止めることができなければ、他者を助けることはできないといっています。哺乳類の利他行動に関連して、 慰めをもたらす体の触れ合いが重要であり、それが深まると「真の気遣い」 (true concern)が可能になり、 「対象に合わせた援助」 (targeted helping)ができるようになると語っています。

 精神医学者の村井俊哉氏も、 「腹内側前頭前皮質の重要な働きの一つに、他人の痛みや苦しみを感じる力との関係が知られています。そこで、他者の苦悩への共感という感情を通じて、腹内側前頭前皮質は、利他的な行動へと人を導いているのではないか」と述べています。

 動物進化の立場から、「一個の遺伝子の生存確率がその遺伝子が含まれている個体の生存率とその個体が属する集団の生存率に依存する」という「階層淘汰論」 (multilevel selection)を 主張しているアメリカの哲学者エリオット・ソバー(Elliott Sober, 1948-)と生物学者デイヴィド・スローン・ウィルソン(David Sloan Wilson, 1949-)は、 「利他主義が存在しない集団よりも、利他主義が存在する集団のほうが多くの集団的利益を上げる傾向が高くなり、かつ、集団淘汰が多くの集団的利益を上げる傾向が高くなり、かつ、集団淘汰が存在する状況下では、後者のようなより多くの集団的利益を上げる傾向が強い集団のほうが生き残り、そうでない前者のような集団は淘汰されてしまう傾向が高くなる」として、 「進化論的利他主義の起源の少なくとも一つは階層淘汰に含まれる「集団淘汰」である」と述べています。

 共感共助の家族、社会を構築しない限り民族の未来はないのではないでしょうか。

文献:立木教夫「ミラーニューロン・共感・利他」41312dde4397e1f15e7311eeaf681aa0.pdf (moralogy.jp)


 

住みにくいコミュニティ-と住みやすいコミュニティ-

 人間が家族の次に生活していくうえで触れるのが近隣のコミュニティです。コミュニティには、隣近所の自然なものから始まって、地域の昔からの慣習となっている組織、学校などの生活上の必要から生じる組織、そしてその上に行政上の組織(市町村)などがあります。コミュニティ組織は、人が共同して生活するうえでの秩序を保つために規則を強いてきます。規則は、共同生活をしていくうえでの規範を教えるだけでなく、他人との豊かな人間関係を築く礎でもある為、人間の成長にとって大きな意味を持っています。人間の成長にとって結びつきのあるコミュニティという環境は、道徳性の発達にとって欠くことのできない重要なものでもあります。社会の健全な生活は、成員の間に自然発生的に生まれる組織により多く依存しているのです。人間が生き生きと誇りを持って生活できる環境を築くものでもあります。

 しかし規制は生活していくうえで不可欠なものですが、ともすれば煩わしいものになりがちです。規制が強いと息苦しさを感じてしまいます。公式な法的、政治的規制、古くからの慣習は、一方的に規制されるため戸惑いがちになります。日本の場合、ほかの地域から移住していった場合、なかなか溶け込むことが難しいことが多々あります。理由のわからない決まりや地元の人との価値観のずれから生じています。

住みやすい共同体と住みにくい共同体を比較してみました。

 

《住みにくいコミュニティ-》

ピラミッド型の統制社会

  • 共同体(全体)の利益を強制的に優先させる。
  • 指導者の個人的考えに左右される。
  • 個人の自由が結果として束縛される。
  • 命令的、上意下達、服従、規則的、義務的
  • 規則で縛り罪で罰する。
  • 今までの共同体及び共産主義社会の共同体は、この形態である。
  • 形式的で型苦しい空気が支配する。

 

《住みやすいコミュニティ-》

アメバー型の自立・融和社会

  • 共同体(全体)の利益は、理念のもとに運営される。
  • 多くの場合、神をいただき、神に判断を委ねるという形態をとる。
  • 民主的で平等、自主的、自発的、利他的
  • 愛で許し人を感化する。
  • 多くの宗教団体が建設している理想郷はこの姿に近い。
  • やすらかな愛・融和の世界が支配する。

 

 共同体が住みやすいものとなるか否かの違いは共同体の主権にあるのです。重要なことは、唯一絶対不変の神を頂き共にあろうとする精神です。そこが欠けると、人が支配して人の意識が分裂して対立して住みにくくなるのです。

 日本の村は、水利配分や水路・道路の修築、境界紛争・戦乱や盗賊からの自衛などを契機として地縁的な結合を強め、まず畿内・近畿周辺において、耕地から住居が分離して住宅同士が集合する村落が次第に形成されていきました。村の内部は、平等意識と連帯意識により結合していました。村の結合は、村の神社での各種行事(年中行事や無尽講・頼母子講など)を取り仕切る宮座を中核としていました。村で問題や決定すべき事項が生じたときは、惣村の構成員が出席する寄合(よりあい)という会議を開いて、独自の決定を行っていきました。

 民族学者の五来 重氏は、「日本の村は、二十五三昧会*1の結成により血縁社会から一種の信仰集団に変わっていった。村は、信仰的なつながりをもって運命共同体になった。ですから、日本の村落には多数決はありません。必ず全員で決め、一人でも反対があったら否決だという慣習ができています。(五来 重著「先祖供養と墓」角川書店1992 p140)」

 もう一度日本の村の原点に立ち返って、コミュニティのあり方を考え直す必要があるのではないでしょうか。神の祝福を受けた共同体は、住みやすく生き生きとして繁栄していくものです。今後、それぞれのコミュニティが神を頂く地域憲章を制定して神の祝福と共に生きる道を探すことが大切になると思います。

 

(*1)二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)とは、平安時代に結成された念仏結社。986年(寛和2年)に比叡山内横川にあった首楞厳院で、25人の僧が結集して結成された念仏結社である。この結社の性格は、極楽往生を希求する念仏結社であり、月の15日ごとに僧衆25名が集結して念仏を誦し、極楽往生を願った。彼等の「発願文」に、善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏することを記していた。

 

「君が代」を古代ヘブライ語で解読したら

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」

 この歌詞は、10世紀に編纂された勅撰和歌集古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出とし、祝賀の歌とされてきました。国歌としては、1869年(明治2年)、軍楽隊教官だったイギリス人ジョン・ウィリアム・フェントンが日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことを始まりとしています。

 1880年明治13年)、法律では定められなかったのですが、事実上の国歌として礼式曲「君が代」が採用されました。1893年明治26年)の文部省文部大臣井上毅の告示以降、儀式に使用され、1930年には国歌として定着しました。1999年(平成11年)には「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されました。世界で最も短い国歌です。(Wikipediaより)

 多くの日本人は、君が代は皇室の永続性と国家の安寧を歌ったものだと思っておられると思います。しかし、歌詞には意味不明のものを感じて首をかしげておられるのではないでしょうか。

 この歌詞を古代ヘブライ語で解読した方がおられます。古代ユダヤと日本との関係の研究家 中島尚彦さんです。驚くような解釈です。なるほどそういう意味が隠されていたのかと感じる方もおられると思います。

 中島尚彦さんのウエブページ「日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究」https://www.historyjp.com/より「ヘブライ語で読む「君が代」 古代の歌に秘められたメッセージとは!」2021/03/18https://www.historyjp.com/article/category/s15/

を紹介します。

 

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神よ、立ち上がってください!
シオンの民、神の選民! 残りの民は喜び、救いを待ち望みます!
神が御顔を見せてくださる
すべての基はキリストにあり

 日本人はどこから来たのでしょうか?考えさせられます。

カルロ・マリア・ビガノ前駐米教皇大使がトランプ大統領に宛てた手紙(悪の力による世界グレート・リセット計画が進行している)

アメリカ合衆国大統領 ドナルド・J・トランプ閣下への公開書簡

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2020年10月25日(日)

厳粛な王、キリストの使徒より (Solemnity of Christ the King)

 

大統領閣下

神と人類に反する世界的陰謀により、全世界が脅威にさらされていることについて報告させて頂くことをお許しください。私は前米国ローマ教皇大使であり、使徒の後継者として、そして大司教としてここに書かせていただきます。市民と宗教両方の代表者たちが沈黙を続けている中で発言させていただこうと思います。

6月の手紙にも書きました通り、この歴史的な瞬間は、悪の力(フォース)と善の力が戦っている光景を現出させており、そして悪の力は光の子たちに立ち向かうためにはパワフルで良く練られた戦略であるかのように見えていますが、実際には、乱れており、正しい判断ができない状態にあり、そして、精神的な指導者たちからは見放されています。

彼らは日々攻撃を増し、社会の安全や人々の自由や人生を乱しており、彼らには敬意というものがまったくありません。国家の政治家や宗教家のリーダーたちも西洋文化やキリスト的な魂を脅かすような発言を続け、健康を守るための緊急対策という名の下、実際には暴政により大衆は市民権さえ否定されている状態となっています。

世界的な計画である「グレート・リセット (Great Reset)」が進行しています。

その計画の構造は、世界のエリート集団が人類を支配し、大規模なスケールで個人の自由を奪おうとする内容です。資金の準備も出来ており、すでに数カ国ではこれは承諾済となっています。しかし、他の国々では、まだ計画初期の段階です。

世界のリーダーたちで、この悪魔的なプロジェクトの共犯者や実行者たちは、世界経済フォーラムの Event 201へ資金提供をしており、その内容を実行している悪辣な集団です。

このグレート・リセットの「目的」は、表向きにはベーシック・インカムと、これまでの負債・借金を帳消しにするという魅力的な約束がありますが、その背後に、健康と自由を完全に支配するという目的があります。

国際通貨基金IMF)が行うこの条件には、個人の資産所有権の放棄とビル・ゲイツと大手製薬会社の協調による新型コロナウイルスのワクチン接種を必ずおこなうという代償があります。

このグレート・リセットを実施している人々は、巨大な富を得る事が動機であり、ヘルス・パスポートとデジタルID が義務化され、世界全体の人々をデジタルで追跡できるようにしたいと考えているのです。それに応じない人たちは拘束施設に入れられるか自宅軟禁状態となり、資産を没収されるという計画です。

大統領閣下、すでにご存知かと思いますが、グレート・リセットは、数カ国においては、今年 2020年の終わりから来年 2021年の第三期の最初あたりに始まります。

公的には第二あるいは第三のパンデミックという口実を用いて更なるロックダウンが実施されます。パニックの種を撒き、個人の自由を奪おうとし、世界的な経済危機を正当化するドラコニアンのこれらの思惑は大統領はすでにご存知のことと思います。

グレート・リセットを計画している人々は、もう後戻りすることができない世界を構築しようと企てています。

しかし、世界の人々は感情、信仰、文化、伝統や思想を持っています。単に自動的にそのようなことに従いはしません。人間は心と魂を持っており、それは「精神的な糸」で高次元とつながっており、またそれは神ともつながっています。その使徒として、私たちは挑戦します。ルシファーが最初にやったように。

悪魔的集団である敵は、今最終段階に入っていますが、彼らは静かに移行できると思っていたところに邪魔が入り、彼らが怒っているのも不思議ではありません。

ディープ・ステートは、彼らを非難する人々に対しても一貫性のない反応を示しています。それも理解できます。主流メディアの多くが何の痛みも伴わずに気づかれずにスムーズにニュー・ワールド・オーダーに寝返った時点で裏切り行為やスキャンダルや犯罪が明るみになってきているのです。

数ヶ月前までは、真実を語る人々を陰謀論者として中傷する事は簡単でした。しかし今では詳細が明らかになっている事態となっています。

今年の 2月末くらいまでは、路上を歩いているだけで逮捕されてしまうというような状態を想像していた人はひとりもいませんでした。自分のお店を開いているだけで逮捕される、教会に行っただけで逮捕される、そんな社会が訪れるとは誰も思っていませんでした。

しかし、今、それが今世界中で起きています。

絵葉書にあるような美しい光景のイタリアでさえもそれが起きてしまっています。政治家たちが宮殿にバリケードを張って守られている中、多くの人がビジネスを失い、普通の生活を奪われ、旅行もできない、教会で祈る事もできない状態となっています。この悲惨な心理的状況の結果はすでに現れており、社会やクラスメートから離された子どもたちの多くが自殺しています。

このエリート集団は、ディープ・チャーチが持っている課題もサポートしており、(カトリック)教会のトップたちも最初からエリート集団と共にこの計画を実施しています。

カテコン(kathekon / 紀元前のギリシャの哲学者ゼノンによってつくられた概念)あるいは「完全に正しい行為」の中で聖ポールが「反対する者」の存在を語っていました。この「反対する者」とはトランプ大統領閣下、あなたのことです。

あなたは、闇の子たちの最後の暴力行為であるディープ・ステートに「反対する者」なのです。

あなたは、はっきりと基本的な自由を尊重し、妥協することのできない価値を尊重するとし、そして、「神の元にあるひとつの国」を守ると宣言しました。

この理由から、善である人々は、これが史上最も重要な大統領選挙であることを理解しなければなりません。ロックダウンにより私たちの今ある世界が抹消されてしまわないためにです。

あなたの周囲には、信心深い人々と勇気のある人々が集まっており、あなたこそが、世界の支配者たちに「立ち向かう最後の人」と彼らは考えています。

もう一方の候補に投票するということは、ディープ・ステートに支配され、多くの犯罪とスキャンダルにまみれた人物を選ぶということであり、コンテ首相が自国のイタリアに対しておこなっていることや、マクロン大統領が自国のフランスに対しておこなっている事、サンチェズ首相が自国のスペインに対しておこなっていること、そして、ローマ教皇フランシスコがカトリック教会に対しておこなっていることと同じことをアメリカにやろうとしている人に投票する事になるのです。

いくらでも脅迫され得る過去を持つバイデン氏は、バチカンの高位聖職者たちによる「マジック・サークル」と同様に、無制限に利用され、そして操られるでしょう。国内の政治も国際的な政治にも違法のパワーが干渉できる状態になります。

彼を操っている存在たちは、彼に問題が起きた場合には即座に替わりの人物を用意しており、入れ替える準備も進行しています。

現在、この「目に見えない敵」による暗黒の最中ではありますが、しかしながら、希望というものも生まれつつあります。

敵の存在たちは「愛する」という概念を知りません。ベーシック・インカムを与えることやローンの返済を消滅させることだけで、大衆を牛の様に扱い、そして征服することはできないのです。

長い期間、暴君たちからひどい扱いを受けていることに、多くの人々は気づき始めています。魂があることに気づき始めています。

すべての均質化とアイデンティティーの抹消が自由と引き換えに起きることを理解しており、それを拒否しています。実直な人々は、社会の繋がりの大切さ、家族というものの大切さ、信じ合える仲間との絆の大切さに気づき始めているのです。

グレート・リセットは、失敗に終わる運命にあります。

なぜなら、自分の「人間としての権利」を強く訴える人たちがいるからです。愛する人々を守り、子どもや孫たちに未来を与えようとする人たちがいるからです。

勇敢で強い意志力を持つ光の子たちの前で、非人道的なグローバリストたちは惨めに敗北することとなるでしょう。

敵にはサタンが背後にいますが、彼らは嫌悪しか知らないのです。

しかし私たちの側には、全知全能の神がついています。最も聖なる聖母は古代のサーペント(蛇の象徴 / 悪魔)の頭を揉みつぶすでしょう。「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」(新約聖書 ローマ人への手紙 8章31節)

大統領閣下、すでにご存じかと思いますが、この最大の危機において、アメリカ合衆国がこのグローバリストとの戦いで防波堤となることが期待されているのです。

神の力をどうか信頼して下さい。

「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。(新約聖書 ビリピ人への手紙 4章13節)」

神の摂理の使い手となることには大きな責任を伴いますが、それと同時に必要な力はすべて与えられるのです。多くの人々が祈りを通じてあなたを熱心にサポートしているのです。

天なる希望を込めて、あなたとファーストレディー、そしてあなたの協力者たちに私の心からの祝福の祈りを捧げたいと思います。

アメリカに神の祝福を!

 

カルロ・マリア・ビガノ

前駐米教皇大使

Carlo Maria Vigano

 

*この書簡については、下記のWEBなどで掲載されています。

https://ing-go.com/2020/11/09/last_samurai/

https://ameblo.jp/husiginaohanasi11kara99h/entry-12636305637.html

 

ついに聖書まで書き換えた中国共産党(イエスを殺人者にした)

 中国共産党が聖書を改ざんしてイエスを殺人者にしたのは、ヨハネによる福音書第8章のイエスの慈悲と許しを示した有名な場面です。ヨハネによる福音書をまず示します。

1エスはオリブ山に行かれた。
朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

引用:https://www.wordproject.org/bibles/jp/43/8.htm

 

  イエスが説法をしていると、律法学者やパリサイ派の人々が一人の女性を連れてきて、「この女は姦通をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。あなたはどうお考えになりますか」と述べる場面です。イエスは最初その声を無視されましたが、彼らがしつこく聞いてくるのでこう言われます。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。

 一人、また一人とその場を立ち去り、イエスとその女性だけが残りました。イエスは、「婦人よ、かの人々はどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」と問われ、女性が「主よ、誰も」と言うと、イエスはこう言われました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。聖書の中の有名な逸話です。引用:https://the-liberty.com/article/17651/

 

 この聖書の有名な逸話が中国で書き換えられたのです。中国の倫理の教科書が聖書の一節を歪曲し、イエス・キリストが自分は「罪人」だと話して女性を石で打ち殺したという結末に書き換えたのです。問題となった教科書は「職業倫理と法」と題され、中国各地の職業訓練学校で使用されています。米国を拠点とするキリスト教支援団体、ChinaAid Associationによると、教科書は2018年に中国教育省が監督する編集検討委員会によって承認されました。新約聖書の「姦通の女」という有名な話を引用しているが、それを忠実に引用せず、結末を書き換え、キリストを殺人者としたのです。

 教科書は結末を変え、このように書いています。「皆が去ると、キリストは『私も罪人です。しかし、もし法律が汚点のない人によってのみ施行されるのなら、その法律は死んでしまうでしょう』と言い、自ら女を石で打ち殺した」。その下の質問欄には、「この短編を通して、法律をどのように見ますか?」と書かれています。

 このことが明るみに出たのは、9月初め、ある教区民がこの文章の画像をSNSに投稿したことがきっかけです。香港のカトリック系報道機関、UCAニュースによると、ある専門学校のキリスト教徒の教師が後に事実を裏付けたが、教科書の内容は中国各地で異なると付け加えたという。

 ChinaAidはこの「悪意のある歪曲」を非難し、「キリスト教におけるイエス・キリストのイメージをひどく歪め、汚した」とした。ChinaAidは、中国共産党は何年もの間、「聖書の教義と神学を再解釈し、習近平が唱える社会主義の価値観に合わせようとしている」と述べています。

 中国共産党は、地下教会のキリスト教徒や他の宗教団体への厳しい弾圧を指揮し、教会を取り壊し、教会のメンバーや指導者を拘束してきました。中国の宗教の自由に関する問題を報道するオンライン雑誌、ビター・ウィンター(Bitter Winter)によると、中国当局は2019年9月、中国東部の江西省カトリック教会で、聖母マリアとその子どもの像を、習近平の写真に差し替えるよう強制したという。また、入り口に中国国旗を掲揚し、教会名の代わりに、「党についていき、党に感謝し、党に従おう」という横断幕を掲げるよう命じたそうです。

引用:https://www.epochtimes.jp/p/2020/09/62747.html

 

 中国共産党は神を否定するだけでなく、イエス・キリストを罪びとに貶め殺人者にするなど、唖然とするばかりです。キリスト教徒だけでなく神を信じる宗教者にとってはこれほど神を冒涜する行為はないでしょう。神の裁きが下されるのはもはや時間の問題でしょう。